「一般職で入社したあの日から31年」野村アセット女性初社長・中川順子さんが持ち続けた“黒子の意識”
機械化が進み、人間がすべき仕事の本質が改めて問い直されることの多い昨今。AI時代は「人間らしく働くこと」が大事だとは言うけれど、それは一体どういうことなのだろう。
そのヒントを見つけるべくお話を聞いたのは、国内最大手の資産運用会社である野村アセットマネジメント株式会社のCEO兼代表取締役社長・中川順子さん。
1988年に野村証券に入社。支店の窓口業務などを担う一般職から総合職へ転じた後、人事、投資銀行業務、財務などさまざまなセクションを経験した。また、2004年には夫の海外勤務を機に一度は会社を離れた時期も。そこから4年後、グループ会社に復帰した中川さんは、2011年に野村ホールディングス初の女性執行役として財務統括責任者(CFO)に就任。さらに2019年4月、初の女性社長として現職に就任している。
金融の世界でキャリアを築き上げてきた中川さんだからこそ言える、「人間らしく働くとは何か」という問いへの答えとは――?
今、私たちに必要なのは「当たり前」を疑う視点
私が思う「人間らしく働く」とは、自分は何がしたいのか、社会とどんなふうに関わって、誰の役に立ちたいのか、自分の中にある「WANT」、つまりは「~~したい」という気持ちをベースに考え、実行すること。たとえどれだけAIが進化しても、AIを使ってどんな問題を解決するのか、その最初の目的設定は人間にしかできないことだと思うからです。
そこで必要なのは、現状に対し疑問を持つ目。「これはこういうものだから」と暗黙の了解のようになっている常識やルールに対し、本当にそれは正しいのか、もっと工夫の余地や効率的な方法はないのか、柔軟かつフラットな目線で思考する力です。
もう、おおかたの人は気付いているとは思いますが、「AI時代がやってくる」といっても、だからといって人間の仕事が奪われるというような話ではありません。いわゆる単純労働は人間のやるべき業務ではなくなってくると思いますが、じゃあ、AIに何をさせたいか、AIを使って何を解決するかを考えるのは、やっぱり人間です。
決してAIによって人間の役割が脅かされるというわけではなく、むしろより人間らしい業務にリソースを投資できるようになることが、機械化の目的であり価値。AIは恐怖や脅威の対象ではなく、私たちの働き方をよりクリエーティブにしてくれるものなんです。
なぜ金融業界で働くのか。想いは31年ずっと変わらない
だからこそ、これから私たちはよりいっそう「自分は何をしたいのか」と、自分の胸に問い掛けていくことが大事です。それは決してAI時代だからという理由だけではなく、もっとシンプルに私たちがキャリアを重ねようとしたとき、自分のWANTが明確でないと、進むべき道を見失ってしまったり、モチベーションが下がってしまったりすることがあるからです。
組織で働いていれば、時に会社に対する不満が募ることもあると思います。そのときに、一体自分は何のためにここで働いているのかが曖昧だと、どうしても前向きな気持ちを維持できなくなる。逆に言えば、自分のWANTさえはっきりしていれば、迷ったときにふと原点に立ち返ることができます。自分は仕事を通して何がしたいのか。その解が、自分自身のキャリアデザインのベースになるんです。
私自身もそうでした。私が社会に出たのは今からもう31年前。野村証券に一般職で入社して、窓口業務からキャリアをスタートし、そこから人事、投資銀行業務、財務とさまざまな経験を積んで一度は専業主婦になりました。復職後は医療機関に対し資金調達を中心とした財務コンサルティングを行う野村ヘルスケア・サポート&アドバイザリーというグループ会社で社長職を務めて、現在のポジションへ。こうお話しすると、多様な経歴のように聞こえますが、私のWANTはどんなときも変わっていません。
それは、人や企業の一生をサポートしたいという気持ち。私はずっと金融業界の仕事を「黒子」のように考えているんですね。決して自分たちは主役ではない。主役は企業や投資家であって、私たちの仕事はあくまでサポートすることです。その考えをベースに31年間、ずっと黒子の意識を持って金融の仕事に携わってきました。
中でも現在の資産運用業務は、金融におけるコア業務だと考えています。将来の資産形成やより最適な資産運用について関心をお持ちの個人のお客さまと、企業の間に立ち、対話によって両者をつなぐのが私たちの仕事。そして、企業の成長に貢献し、それによって業績が伸びれば、そのリターンが投資家の利益につながる。このwin-winの関係をどれだけ広げていけるかを第一に、私たちは日々業務に取り組んでいます。
もちろん企業の担当者から「あなたのこの間の提案が非常に役に立ったよ」とおっしゃっていただけることが喜びにはなります。でも、そういうものがなくても、企業が成長し、それによって投資家の方々にリターンをお返しできる。その事実だけで、十分にやりがいを持てるし、投資家の方々に感謝の言葉をいただくことはあっても、その「ありがとう」は私たちではなく、投資先企業に向けられるものだと思っていました。そう考えられたのは、私のWANTが「黒子となってサポートする」ことだったから。
もちろん金融業に携わる人がみんな私と同じ考えというわけではありません。むしろ金融業を黒子の仕事と捉えているのは私だけかもしれない(笑)。でもそうやってこの仕事の意義は何なのか。どんなふうに社会の役に立っていて、誰を幸せにしているのか。自分で分解してみて、それが自分のWANTにマッチしているか考えてみることは、長く仕事を続ける上でとても大切なことだと思います。
正解のない社会を生きるには、自分で考え行動するしかない
結局、どれだけ時代が変わっても、企業が求める人物像はそんなに大きく変わらなくて。「自分で考え、行動できる人」がこれからも評価されるし、求められるんだと私は考えています。なぜなら常に時代は変わり、それに伴い社会も変化し続けるから。これだけ変化のスピードが速いと、過去の成功例が常にベストとは限らない。むしろ既存の慣習にとらわれていると、あっという間に取り残されてしまいます。
正解がない中で、私たちがやらなければいけないことは、常に新しいことを考えること。既存のやり方に縛られるのではなく、もっと他に方法はないのか大胆に発想してみることです。それにはやはり自分で考える力が必要ですし、現状から脱して、もっと自分を磨き続けるために行動する力も欠かせません。
よく多様性という言葉が使われますが、決してこの多様性はジェンダーだけを差すものではないですよね。一つの価値観や考えに固執していると、成長は鈍化し、変化に対応できなくなる。もっと組織にさまざまな考えを持ち込み、一人一人が自分にない視点や意見を受け入れる柔軟さを持つことが、多様化なんだと私は思います。
何かを議論するときも、全員が同じことを考えていたら広がらない。各々がまったく違う視点から物事を捉え、思い付きでいいからどんどん発信していく。その中で何か心に留まるものがあれば、それをさらに皆のアイデアで広げていく。そうやって解決策を生み出していくことが、正解のない今の社会における組織のあり方です。
そのためにも、まずは一人一人が自分で考え行動できる力を持つこと。そういう人たちが増えれば、これからたとえどう時代が変化しても、私たちは人間らしく働くことができるのではないでしょうか。
取材・文/横川良明 撮影/洞澤 佐智子(CROSSOVER)