30 NOV/2019

「職なし・彼なし・貯金なし」28歳で人生詰んだ元アイドルが“赤の他人の会社員おじさん”と同居して気付いた3つの真理【大木亜希子】

結婚、出産、これからのキャリア――。20代後半を迎えると、多くの女性たちが将来への漠然とした不安に頭を悩ませる。何が幸せかなんて正解はないのに、つい誰かが決めた“勝ち組人生”と自分の人生を比較しては焦り、「もっとキラキラしなくちゃ」なんて謎のプレッシャーも感じてしまう。

「私の20代後半も、不安や焦りで窒息寸前でした」

そう話すのは、ライターの大木亜希子さん。14歳で女優デビュー、20歳でSDN48に加入し、紅白歌合戦にも出演。2012年にSDN48を卒業した後は、会社員として働きながらハイスペ男子との幸せな結婚を目指し、自分磨きに勤しんだ。

大木亜希子

しかし、希望に満ちた毎日は、突然ブラックアウトする。ある日、駅のホームで足が動かなくなり、心療内科へ。やがて時間通りに起床することも困難になり、会社を退職。28歳にして、生活は一変。「職なし・恋人なし・貯金なし」の状況に。

都心で一人暮らしすることが難しくなった大木さんは、姉の紹介で知り合った当時56歳の“赤の他人のおっさん”と共同生活を送ることになる。

常識的に考えれば、明らかに変な状況であることは間違いない。でも、そんな奇妙な共同生活が、プレッシャーやマウンティングでボロボロになっていた大木さんの気持ちを楽にしてくれたという。「当たり前」をきれいに捨て去った彼女が見つけたものとは何だったのだろうか。

虚栄心も、自尊心もズタボロ。「落ちちゃダメだって思ってた」

私、ずっと28歳ぐらいで素敵な男性と結婚して、交際2年の末に結婚、30歳で素敵なホテルで式を挙げるんだって信じていました。それが私にとっての「当たり前」。

“ハイスペ男子と結婚”という勝ち組人生のゴールこそが私にはふさわしいんだって言い聞かせて、毎晩デートの予定をつめこんで。可愛いカッコしてメイクをして、完全に戦闘モード。

自分ではとても払えないような西麻布の高級レストランでごちそうしてもらいながら、帰る部屋は六畳一間のボロアパート。はたから見ればどうしようもなくチグハグなのに、一生懸命それに気付かないふりをしていました。

大木亜希子

いわゆる「女の幸せみたいなもの」を必死で追い掛けてきた私も、今年で30歳になりました。でも、まだ結婚もしていないし、将来を約束している相手もいません。20代の頃に信じて疑わなかった「幸せ」とは程遠い場所に立っています。

でも、今の私はそれを少なくとも「不幸せ」だとは思わない。そう言えるのは、“人生の底をついたから”でした。

これまでの私は、ずっと“落ち目”になってしまうのが怖かったんです。10代で大手芸能事務所に入って、何となく華やかな世界に身を置いていろいろ知った気にはなったものの、私自身は女優として売れる気配はなし。それで、今度はAKB48グループという屋号を手に入れて紅白歌合戦にも出させてもらったけど、実際には顔半分がちらっと画面に映っただけ。

しかも、卒業後は一気にファンが激減。武道館や西武ドームに立って何万人のファンの歓声を浴びていたはずが、地下アイドルになった途端、イベントに来てくれたのはほんの3人だけということも。もう虚栄心も自尊心もズタボロです。

大木亜希子

「あれ、人生って階段を登っていくようなものなんじゃないの?」って、頭がパニック状態でした

だから今度はライターになって、キラキラ輝くキャリアウーマンとして皆に認めてもらいたかった。でもそれも、全部世の中が決めた勝ち組人生のステップから落ちてしまうのが怖かっただけだったんですよ。しかも私は、「一度道を踏み外したら、もう二度と勝ち組ポジションには戻ってこられない」と決めつけていた。

ところが、実際は全然そんなことなかった。それは、心を壊して初めて知ったこと。むしろ「職なし・彼氏なし・貯金なし」の人生どん底を経験して、56歳のおっさん、通称“ササポン”と住むことになって、やっと分かったことが三つあります。

夫婦でも恋人でもない。“何とも呼べない関係”がもっと増えたらいいのに

一つ目が、自分が楽でいられるシェルターを持つことの大切さ。

赤の他人のおっさんと一緒に住んでいるという話をすると、「本当に恋愛感情はないの?」なんてよく聞かれるんですけど、まったくなくて。一緒にいても気楽で、説教臭くも押し付けがましくもないササポンとの距離感が、今の私にはすごく心地いいんです。

大木亜希子

例えばある日のこと。私が「もう30歳だぁ~」ってがっかりして見せたら、ササポンが言ってくれたんです、「必要以上に自分を年寄り扱いしないで」って。その言葉がまた一つ世間の常識にとらわれていた私を解放してくれた。

ササポンは中肉中背のどこにでもいるようなおっさんです。強いて言えば小日向文世さんに似ているかな。今までの私なら絶対に関わることのなかったタイプの人(笑)。でも、そんなふうに年齢も職業も社会的なポジションも全然違う人だからこそ、私も彼の言うことを素直に受け入れられた。

今の日本って、まだまだ男女が一緒に暮らしたら、肉体関係があるのが当たり前という固定観念にとらわれているけれど、実際に自分がササポンと一緒に暮らしてみて、男と女の間には恋愛感情とか性欲だけでは片付けられない関係があるんだと分かりました。

こういう名前のつけられない“何とも言えない関係”ってもっと増えてもいいと思うんです。世の中には一人が好きな人もいれば、一人でいると全部抱え込んでしまう人もいる。ちょっと前までの私がそうで、不安や弱音を誰にも言えず、深夜、小さなテーブルでカップラーメンを食べながらモヤモヤしつつ、朝になったらちゃんとメイクして自撮りをあげるみたいな毎日を送っていました。

大木亜希子

「写真にうつるところだけは、めっちゃキレイにしてました」

でも今は、「今日、仕事でこんなことがありまして!」って話を家で食卓を囲みながらササポンとできる。

私は、赤の他人のおっさんと住んで救われたわけでもなければ人生ゴールしたわけでもありません。ただ少し、気が楽になっただけ。でも、その「少し気が楽になった」ということが大切で、それを求めている人は今の世の中にはたくさんいるんじゃないでしょうか?

だから、これからは恋人や夫婦という単位だけじゃなくて、もっといろんなかたちのペアが生まれたらいいなって思います。気の合う者同士で集まって、心安らげるシェルターを築いていくんです。そういう生き方が当たり前になれば、もっとたくさんの人が健やかに生きられるようになる気がしています。

「人生、詰んでからが勝負なんです」

二つ目が、人生はどうにでもなるっていうこと。私は今年の5月に一冊目の本を出したんですけど、それまで出版社のコネクションなんて一切ありませんでした。会社を辞めて、アルバイトでなんとか食いつないでいる私は、どうしても本を出したかった。

そこで、ある先輩ライターさんのトークイベントに行って、質疑応答の場で「編集さんを紹介してください!」って必死お願いして、半ば強引につながりを持つことができました。

大木亜希子

「頼まれた方はちょっと驚きつつ協力してくれそうだったので、気にせずぐいぐい行きました」

他の参加者の方もいる前でそんな向こう見ずなお願い、昔の私だったら絶対にできなかった。でも、何もかも失った私には、もう恥も外聞もなくて。

一度どん底まで落ちてしまえば、もう怖いものは何もありませんね。だから失敗を恐れず、やりたいことに一歩踏み出せた。そう、「人生は詰んでからが勝負」だったんですよ。

「人からどう見られるか」を人生の判断基準にしないで

そして三つ目が、人生の判断基準を他者ではなく自分自身に置くこと。20代で不安や焦りに押し潰されそうになっていた私は、とにかく「人からどう見られるか」しか頭にありませんでした。だから、身の丈に合わないチグハグな生活を送っていた。

でも今の私は、自分のやりたいことは何か、無理なく活躍できる場所はどこか、どうしたらお金も睡眠時間も確保して、友達との時間も持ちながら、自分を大切にしていけるかを一番に考えている。その違いは、すごく大きいです。

大木亜希子

恋愛にしてもそう。結婚を諦めたわけではありませんが、昔みたいに私にふさわしいのはハイスペ男子だなんて幻想にしがみつくのはやめにしました。

もちろん高級レストランでのお食事は素敵。でも、結局のところ人のお金で食べさせてもらうのって気を遣うし、気疲れするだけ。本当の自分を見てほしいって思っているくせに、高値で売るために自分を良く見せて見た目ばっかり重視する生活はもう無理だって思いました。虚無感に苛まされながら、「すごいですね」「さすがですね」って愛のない会話を続けていたら相手にも失礼だし、絶対二人とも楽しくないじゃないですか。

それよりも今は、自分がどんなときでも一緒にいて、共同タッグを組める人。そういう魂で向き合える男性に出会いたいって思っています。

そう思うようになってからは、ハイスペ男性と結婚した女友達を妬ましく思うこともなくなりました。皆がそれぞれ自分で自分の生き方を決めただけで、私はそういう生き方を選ばなかっただけ。素直にそう思えるようになったら、自然と焦りも消えたんです。

「人からよく見られたい」っていう気持ちを捨てるのは難しいかもしれないけれど、虚栄心は捨ててしまうと本当に楽だし、いいことしかありません。小さなことからでも、「自分で選ぶ」という行動を繰り返していくことをお勧めします。

実はみんな、同じようなことに悩んでいる

こんな話をすると、全て悟ったみたいに聞こえるかもしれないけど、そんなことはなくて。30代には30代の悩みが待っているはずで、本当、一生迷っていると思うんですよ、人生って。

でも、こうして20代でとことん悩んでおけば、その悩みが30代になって武器になるかもしれない。だから、皆さんも今の自分を否定しないで。

大木亜希子

仕事がない、お金がない、恋人がいない、何がしたいのかもこの先どこに進めばいいのかも分からない……いろんな悩みがあると思うんですけど、昔の私はそんなことで苦しんでいるのは自分だけだと思いこんでいた。でも、実は皆が同じようなことで悩んでいるんですよね。

そして、過去の私みたいな状況にいる女の子たちにあと一つだけ伝えるなら、「無理をしないで」って言ってあげたい。これが一番大事なんじゃないかと思います。

体を壊してまで無理して何かやる必要はないので、できないことは「できない」と言うべきだし、分からないことがあれば恥じずに質問する。この二つができるだけで、きっとずっと楽になるはず。アイドルを辞めて25歳で初めて会社員になった私は、22歳の新卒の子たちに負けないように、生き急いで仕事のスキルを学ぼうとしていました。でも、デキる人に見られたくて、大きな得意先を掴むんだって、無理していろんなことを引き受けて、心まで壊してしまった。

そうじゃなくて、自分のできること/できないことをちゃんと棚卸しして、できることは誠実に、責任をもって応えていく。そうやっていれば、きっと自分も良い方向に進めるはずです。人と比べて幸せかどうかより、自分が無理せず楽しく生きていられる方がよっぽど大事。それが、20代で“人生詰んだ”私から言えることですね。

大木亜希子

大木亜希子(おおき・あきこ)さん

1989年8月18日生まれ。千葉県出身。2005年、ドラマ『野ブタ。をプロデュース』で女優デビュー。数々のドラマ・映画に出演した後、2010年、アイドルグループ・SDN48のメンバーとして活動開始。12年に卒業。15年から、Webメディア『しらべぇ』編集部に入社。PR記事作成(企画~編集)を担当する。18年、フリーライターとして独立。著書に『アイドル、やめました。AKB48のセカンドキャリア』(宝島社)、『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』(祥伝社)がある。
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取材・文/横川良明 撮影/赤松洋太

<Information>

人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした

仕事なし、彼氏なし、元アイドルのアラサー女子。夜は男性との「ノルマ飯」、仕事もタフにこなしているつもりが、ある日突然、駅のホームで突然足が動かなくなった。そして、赤の他人のおっさん(56歳)と暮らすことに―― 読めば心が少し軽くなる、元SDN48の実録私小説

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