仕事と結婚を天秤にかけなくても人生は自然とできてくる【今月のAnother Action Starter vol.11 フリーアナウンサー・青木裕子さん】


青木裕子(あおき・ゆうこ)
1983年1月7日生まれ、埼玉県出身。2001年、大学1年生の時に「ミス慶應」に選ばれる。大学卒業後の05年にアナウンサーとしてTBSテレビに入社。その後はバラエティ番組を中心に活躍。10年から約2年間、『NEWS23』にてスポーツキャスターを務める。12年末にTBSを退社。13年3月27日、かねてから交際していたナインティナインの矢部浩之さんと入籍。現在はフリーランスとして活躍中。http://www.lespros.co.jp/
見えないところで重ねてきた小さな努力
それを認めてくれた人の言葉が背中を支えてくれた
「ミス慶應」からTBSのアナウンサーへというキャリア。知的で華やかな青木裕子さんの活躍を見て、何でも上手にこなせる器用な人だと感じる読者も多いに違いない。
しかし、素の青木さんは少し印象が違う。周囲と比べて「できない」と感じる自分に戸惑い、立ち止まったことも数多いという。アナウンサーの入社試験も、すんなり合格できたわけではなかったそう。
「実は大学3年生当時は芸能事務所に入っていてお芝居の勉強をしていたので、卒業後もそれを続けようと思っていました。でも、周囲の友人が就職活動を始める中、自分も何かしなければと感じ、自分に合っている仕事を考えた末にたどりついたのが民放のアナウンサー。ですが、受けた民放は全部1次や2次で落ちてしまって。それがとても悔しくて、このままでは終われない、もうちょっと先に進みたいという一心で、原稿読みや発声練習などの準備をして受けたのが、試験が一番遅かったTBSだったんです。TBSの試験の時期が早かったら、今のわたしはなかったですね(笑)」
内定獲得後は、芝居の道を進むか、アナウンサーになるか迷いがあったという青木さんだが、所属していた芸能事務所の人にも「やったほうがいい!」とアドバイスされ、入社を決意。
そして入社後、アナウンサーとしての本格的な訓練に挑んだ青木さんは、その難しさや奥深さに愕然とさせられた。生まれてから20年以上身に染みついてきたしゃべり方は全否定され、発声や発音をゼロベースから叩きこまれる日々。「しゃべるということを変えていく研修はとてもハードでした」と青木さんは振り返る。
その後、ニュースバラエティ番組『サンデージャポン』でデビューを飾るも、「自分が発した言葉を何万人という人が聞いていると思うと、1行の文章でさえまともに読めなくなってしまった」くらい、極度の緊張に襲われたこともあった。
「アナウンサーは1つの現場に1人というのが基本。現場で先輩の仕事ぶりを拝見する機会がなく、逆にわたしのやり方を見ていただくこともないので、自分がちゃんと上達しているのか、成長できているのか、いつも不安でしたね」
その不安を打ち消したい一心で、青木さんは人知れず発声練習を行うなどの努力を続けてきた。そんな中で支えになったのは、先輩から贈られた言葉だ。
「あるとき、先輩がメモをくれたんです。そこには『わたしは青木の放送、好きだよ!』と書かれていて。また、発声練習のことを知った先輩は『そういう努力はいつか絶対に力になる』と言ってくださいました。普段はダメ出しや注意をいただくばかりのわたしでしたが、必要なときにあたたかい言葉をかけてもらって、本当に大きな力をいただいたと感謝しています」
また、職業研究にTBSを訪れた高校生が「青木さんを見てアナウンサーになりたいと思いました」と伝えてくれたことも励みになった。アナウンサーとしての自分という存在を肯定されたことは、青木さんの小さな自信になったという。
がむしゃらに働いてみたからこそ分かる
「自分らしい働き方」

アナウンサーになりたてのころから、降ってきた仕事はすべて全力でやってきた。
仕事をしている以上、そういうがむしゃらさが必要な時期は必ず訪れるし、そこで背伸びをするからこそ、少しずつ成長を重ね、自分のスタイルが見えてくるものだ。
しかし、青木さんは自分のキャパを超えた仕事量に疲弊することもあったという。
「同期に、多少寝なくても、休みがなくても大丈夫という人がいたんです。そういうハードな働き方に刺激され、がむしゃらに『何でもやります!』と言っていた時期がありました。でも、わたしは体力的にも精神的にも、多くのことをそつなくこなすのがどうしても苦手だったんです」
その過程で青木さんが気付いたのは、「自分はひとつのことにグッと集中する働き方が向いている」という事実だった。
「たぶん、不器用なんだと思います。わたしはたくさんのことをそれなりの精度でこなすことができない。そこそこの出来のものをたくさんこなすよりも、1つに集中して最大限のパフォーマンスを上げるように努力するほうが性に合っていると思いました」
その後青木さんは、2010年より『NEWS23』のスポーツキャスターを担当。プロ野球のキャンプの時期には、朝から沖縄で取材をし、帰ってきて夜には生放送という日程が続いた。体力的にはきつかったが、“1つのことに集中する働き方”ができた仕事でもあった。
「スポーツは分からないことだらけなので、必死に勉強しました。忙しいのは変わらずでしたが『スポーツキャスターとして完璧にやりたい』という大きな目標に向かって、若手のころのバタバタ追われる感じとは違う種類の忙しさで充実していましたね。一緒にやっていたスタッフさんたちも情熱のある方ばかりで、とても良い経験でした」
ナインティナインの矢部浩之さんとの交際をスタートさせたのも実はこのころ。しかし、お互い多忙でなかなか連絡が取れず、会えない不安に心をざわつかせたこともあった。
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