職業うぬぼれ屋・はましゃかの自分を愛するライフハック「私たちは生きてるだけで尊い」
新型コロナウイルスの影響で自粛生活が始まり、ライフスタイルは大きく変わった。突然の、しかも予期せぬ変化ということもあって、どうしても「できない自分」に目が向きがち。
在宅ワークになかなか集中できなくて「ちゃんとしなきゃ」と自己嫌悪に陥ったり、家で時間を持て余してしまって「私には何の趣味もない」と落ち込んだり。SNSで「自宅時間があるからこそスキルを身に付けよう」といった投稿を見て、何もしていない自分に焦っている人もいるかもしれない。
そこで、前回のインタビューでこう話してくれた、はましゃかさんに話を聞いてみた。
私自身は生まれつき自己肯定感が超高いんです。職業は“うぬぼれ屋”だと思ってるくらいで。
フリーランスのマルチクリエーターとして活動するはましゃかさんは、「朝早く起きる」「スケジュール通りに動く」といった、会社勤めの人が日々やっていることが苦手なのだそう。
できないこともあるけれど、それでも「愛してるど自分!!」と叫ぶ彼女の話から、「うまくできない自分が嫌い」にならないためのヒントを探ってみよう。
万物のにわかファン
−−はましゃかさんは「自分大好き!」を堂々と発信していますよね。自分のどんなところが好きなんですか?
うーん、なんだろうな……。いっぱいあり過ぎて何から言ったらいいのか……。
私、生まれつきだと思うんですけど、もともと愛情が余ってる気がするんです。測れるものではないから人とは比べられないけど、やたらある。配るほどあります。
−−愛情をいっぱい持っている?
なんか……万物のことが好き、みたいな(笑)
人間はもちろん、動物もめっちゃ好きだし、季節の移り変わりも好きだし、植物も好き。詳しいとかじゃないですけど、「いいな~」って思うんですよね。万物に対してにわかファンみたいな感じなんです。
で、自分もそういう万物の一つというか。美しい地球のスタッフやってるわ~! という嬉しさというか。
育った環境のせいなのかな? とも思ったんですけど、末っ子として甘やかされはしたと思うんですが、規則が厳しく怒られ方もハードめな家庭だったので……。なのに物心ついた時から鏡見て「あれ、めっちゃイケてんな?」みたいな感じでした。
だから自分の好きなところは、愛情をいっぱい持っていて、その愛情を自分にも周りにもいっぱい配りたいと思ってるところ、ですかね。「自分が好き=自分が一番大切」ではなくて、自分にも自分が大切にしたい人たちにも同様に愛情を注ぎたい。
自分と他人の境界線が薄いのかなと思います。薄過ぎて困ったこともありますが……。
−−それは物心ついた頃からずっと変わらず?
変わらずです。好きっていうか、自分への興味がすごくあるんですよ。自分をどういい感じにするかに一番興味がある。
とはいえ小学生の頃は恥ずかしくて自分のことが好きだなんて言えなかったですけど、中学生になる時に「自分が好きって言った方が面白いんじゃないか?」と思って。
それで住んでいた地域から離れた私立の中高一貫校に進んで心機一転したこともあって、公言してみたんです。
そうしたら笑ってもらえることが増えたというか、「何言ってんのこの人?」みたいな感じで扱われることが増えたというか(笑)。いい感じに友達ができて、「あ、自分好きって言っていいんだ」って思いました。
その方が楽しいっていう実感があって、それ以来ずっとこういう感じです。人生のテーマは「恥ずかしいは面白い」なので。
落ち込み過ぎて「やばいとき」は、とりあえず眼鏡を掛ける
−−はましゃかさんはご自身の『note』に「できることが多すぎるけど、出来ないことも極端」と書いていましたよね。
−−仕事でミスしちゃったり、約束の時間を守れなかったりしたときに「こんな自分嫌い」とはならないんですか?
めっちゃ落ち込みますよ。自分が好きだからこそ、すごく自分に期待しちゃうところがあって。
例えば「人を傷付けない自分でありたい」とか「人に迷惑を掛けない自分でありたい」みたいな理想があって、それができなかった時に罪悪感を持っちゃう。
−−そういう時はどうやって気持ちを立て直しているんですか?
落ち込んだりして「やばくなったとき」っていうiPhoneのメモがあって。チャート式みたいになってるんですけど、ちょっと読み上げますね。
◆外に出られる場合
→散歩・銭湯・飯食う
◆外に出られなさそうで、ベッドから起き上がれる場合
→お風呂に入る
→お風呂が無理なら顔を洗う、歯を磨く
→それも無理だったら「かが屋」のコントを見る
→それも無理なら何か飲む
→トイレに行けたら顔を洗う
→それができたら簡単なものでいいからご飯を食べる
◆ベットから起き上がれない場合
→携帯に触れてミュージカルの曲が聴けそうだったら聴く、そして歌う
→テンション的にミュージカルが無理なら他の音楽を流す
→眼鏡を掛ける
→何時か確認する
→11時前だったらめちゃくちゃ偉い。11時前にこのメモを見てる時点で回復しようって気持ちがあるからめちゃくちゃ偉い
→12時過ぎてても全然まだ明るいから大丈夫
→日が沈む前だったら外に出て日を浴びに行った方が日が沈んだ時に落ち込まないからいいね
→夜だったら友達をご飯に誘ってみて
→深夜だったらとにかく寝ろ
−−すごい具体的……!「眼鏡を掛ける」など、ハードルがめちゃめちゃ低いのがいいですね。なぜこういうメモを作り始めたんですか?
私は生まれつき注意欠陥の疾患があるんですけど、診断される前に引きこもったことがあるんです。
ベッドから起き上がれないからトイレにも行けないし、ご飯も食べなくなったし、この細身からさらに7キロも体重が減って。超ヤバくて、生命活動を維持できなくなっちゃったんです。
そういう経験があったので、もう気合いじゃ気持ちが戻らないことが分かったんですよね。気持ちが落ち込んでいるのに「よし、なんとか頑張ろう」って気持ちから解決しようと思っても無理。
眼鏡を掛けるとか、お水飲むとか、一個ずつ積み重ねて普通の生活に戻っていくしかなくて、その積み重ねが「何もしてない私ってダメだ……」って自分を責めないための支えになるというか。
「でも、昨日は起き上がってお風呂入ったしな」って思えることが大切な気がしています。
−−そうやって落ち込んでしまったときに、「ちゃんとできない自分が嫌い」とはならないんですか?
うーん。何かできたから自分は良いとか、失敗したから悪いとかは思いたくなくて。そう思ってしまいそうになるからこそ、「自分はこういうつくりの人間なんだな」って、あるがままのものに対して、「はぁ~これは大変だ」って見ている感じというか(笑)
あと、私は感情の振れ幅がめっちゃ大きいんです。「やばい私天才かも!」「明日までの締切りあったんだった~終わった~」みたいに、激褒めと激落ち込みを繰り返していて。「いや、情緒!」っていつもツッコまれてます。
−−激褒めと激落ち込みのどっちもあって、プラスマイナスゼロという感じなんでしょうか?
いや、プラマイゼロでは全然ないです(笑)
友達に「しゃかと暮らすのって普通の人と暮らすより2倍楽しそうだけど、普通の人の3倍大変そうだね」って言われたことがあって。めっちゃ言い得てるじゃん! と思って、ちょっと落ち込んだ……。
−−情緒のアップダウンが激しいゆえに、すごく楽しそうだけど、同時にすごく大変そうだと。
そう、私「物分かりのいい女でいるのやめよう」と思い立ってから、めちゃくちゃ人と揉めるんですよ。どうしよう。だから生き方の参考にしない方がいいし、多分まだ何か間違ってるんだと思う(笑)
でも、半年に1回ぐらい大きい揉め事とか失敗をして、反省してるんです。自分の人生に興味があるから、「なんでダメだったんだろう?」って内省するのは好きで。
そうやって少しでも学びを得ようとしてるから、それこそ前回のインタビューの時から考え方は変わってます。「ピンク髪にしたら自分に合う人と仲良くなれた」けど、「結局その人たちと大揉めしました(泣)」、みたいな感じだし……。
「何かしなくちゃ」は元気でいられる人に任せればいい
−−自分のことは嫌いじゃないけれど、いまいち自信が持てない人もいると思います。「誇れるような、特別なものもないしな……」っていう。
いやいや! 生きてるだけですごいことですよ!
SNSで個の時代って言われるようになって、「何か自分に誇れるものがないとダメなんじゃないか」「夢を持って成し遂げなければいけないんじゃないか」みたいな圧がすごい強い気がしていて。
でもそんなことはまったくなくて、何もしなくたって、生きてるだけですごいと思います。
−−生活がガラッと変わって、うまく適応できないことに落ち込んでしまう人もいると思いますが、毎日出勤したり、決まった時間に在宅で仕事をしたり、それだけで偉い……?
めっっちゃ偉い!
当たり前に何とも思わずできることが、誰かにとってはめちゃくちゃ大変なことだったりする。
私、周りに言われて気付いたんですけど、動物とか子どもとか、言葉がうまく発せない人とコミュニケーションするのが得意らしくて。別の言語の人と適当に喋ることも苦じゃない、というか好きなんですね。でもそれって、誰でもできることではないらしくて。
逆に私は毎日同じ場所に電車で通うとか、朝早く起きることが苦手だし、気付いたらトイレに行き忘れて我慢しちゃってることもある。ご飯を食べ忘れないとかすごいなって思うし、お風呂に毎日入れるのも尊敬します。
−−家に居ることが増えた今、「これを機会にスキルアップしよう」「こんな時こそやれることをやろう」といった意見もありますが、それをプレッシャーに感じる必要はない。生きてるだけで偉い! ということですね。
本当にそう思います。健康管理と安全に過ごす以外、無理に何もしなくていいと思う。
与えられたものや使えるものは感謝して使った方がいいと思いますけど、努力して能力をアップさせて、それで人生を良くして成功しよう! みたいな、能力主義の流れが本当に苦手で。
もちろん今は命に関わる事態で本当に大変ですけど、予防とかできることはやって、その上で元気な人は元気にやればいいし、でもそのプラスアルファの活動を人に強要するのは違うよなぁと。
−−たしかに、みんながみんなモチベーション高くいられるわけではないですもんね。
多分、ルーティンワークが得意な人にとって、ルーティンが崩れてる今の状況はすっごいストレスだと思うんですよ。
逆に私は、世の中のリズムに合わせなきゃという罪悪感を感じることが減ったのか、今、割と元気です。大きな声では言えないですけど、私、めちゃくちゃ元気なんです。やりたいことが家の中にいっぱいある。
しんどい気持ちでいる人たちのために、世界中のアーティストやエンターテイナーがコンテンツを作っているわけだから、今はたまたま元気になっちゃった人のコンテンツを存分に享受するタイミング。元気な人に「何かしなくちゃ」は全部任せちゃっていいと思いますよ。私もずっと映画観てます。
ただ、私が置かれている「家で安全に働けている状況」ってめちゃくちゃ恵まれているという自覚があります。家でできない仕事をしている人もいるし、家が安全ではない人もいる。医療従事者の方をはじめ、今も外で不可欠な役割を果たしている人たちへの感謝は忘れたくないと思っています。
−−しんどい人はエンターテイメントを享受して、些細なことでも生きている自分を褒めてあげる。「何かしなくちゃ」「ちゃんとしなきゃ」と焦るより、だいぶ気持ちが楽になりそうですね。
小さなことでも自分を褒めたり人と褒め合ったりすることは、私にとっては健康に過ごすためのライフハックだったんだなと今気づきました。私はやたら自分のことを褒めるし、しかもそのレベルがめっちゃ低くて、さらにめちゃくちゃ口に出すんです。
だから「この人なんでこんな自分のことが好きなんだろう。もしかして何かものすごいことを成し遂げた人なのかな?」って思われるかもしれないですけど、小さなポイントを大きな声で褒めてるだけで、マジでなんっにもしてないですから!(笑)
われわれ、生きているだけで尊いので、自分のことを褒めてあげる理由なんて本当になんでもいいんですよ。何かを成し遂げなきゃなんて考えなくていいし、生活をちゃんとしているだけですごい。
「今日何したっけ?」を振り返って、服を着替えていたら、それだけで偉い。自炊したら超偉い。仕事をしたらめっっっちゃ偉い!
今わたしが感じていないつらさを抱えている人にまで無理に「自尊心をあげよう」と言うことはできないですが、自分が嫌になりそうなときにこそ自分のことを褒めまくってみることが、だれかの助けになったら嬉しいです。
取材・文/天野夏海 写真/はましゃかさん提供