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MAY/2021

「●●の嫁」はもうやめた。ケニア在住のアパレル起業家が“劣等感の20代”を経て自分らしさを手にするまで【河野リエ】

私と仕事のいい関係

河野リエ ラハケニア

今年で創設3年目を迎えたアフリカ布ブランド『RAHA KENYA(ラハケニア)』。

起業経験も海外在住経験も語学力もなかった河野リエさんが、アフリカ・ケニアの地でゼロから立ち上げたアパレルブランドだ。

今でこそ起業家として活躍している河野さんだが、就活に失敗してからというもの、20代の間は長らく自分探しを続けて職を転々としていた過去を持つ。

今から3年前の2018年にケニア移住を決めたのも、別の会社を経営している夫の仕事のため。ケニアの地で仕事に奮闘するパートナーを横目に、「自分は何者でもない」ことに劣等感を持っていたという。

そんな河野さんに、働く目的、自分らしく輝ける仕事、納得感をもって生きられる場所……「20代の頃に欲しくてしかたなかった人生」をケニアの地で手にするまでの軌跡を聞いた。

河野リエ ラハケニア
河野リエさん
1987年生まれ。学生時代、就活で60社以上の新卒採用面接を受けるも内定を得られず、教員免許取得の勉強をしながら、介護や事務系の仕事など20代で複数の職場を転々とする。結婚後、起業家である夫に帯同し、2018年にケニアに移住。移住後、アフリカ布のアパレルブランド『RAHA KENYA』を立ち上げ自身も起業家として活躍。現在は、クラウドファンディングにも挑戦中 Twitter:KawanoYOME

自信が湧き、背筋が伸びた。変化のきっかけをくれたアフリカ布

河野リエ ラハケニア

ケニア・ナイロビに移住したのは2018年2月。ケニアで赤タマネギの卸売り事業をしていた夫の仕事についていくかたちで移住しました。

今では『RAHA KENYA』の事業を手掛けていますが、当時は夫に頼りっぱなしの、無職・30歳。自分がここでアパレルブランドの代表を務めることになるなんて想像もしていませんでした。

何も考えず、どうにかなるだろうと思って乗り込んだケニア。そこで私を襲ったのは、大きな無力感でした。

ケニアの人たちは、悪気なく「あなたは何をしにケニアに来たの?」と質問してくるのです。そこで初めて、自分がその答えを持ち合わせていないことに気付きました。

「ただ家族についてきただけ」というのも何だかな、という感じで。何者でもない、何もない、そんな自分を痛感したのです。

日本で暮らしている時も「何者でもない自分」「何も持っていない自分」を自覚してはいましたが、ケニアに来たことでそんな自分に向き合わざるを得なくなりました。

日中やることがないので時間を持て余していましたし、語学もできないので仕事もありません。夫がせっせと仕事に勤しむ中、一人で家に引きこもり状態。

そんな悶々とした日々を送る中で出会ったのが、カラフルなアフリカ布を身にまとった女性たちでした。

河野リエ ラハケニア
河野リエ ラハケニア

アフリカでは、自分で選んだお気に入りの布で自分のドレスを仕立てる文化があります。

アフリカ布、アフリカ女性たちのファッションが気になった私は、布市場へ行き、眩しいほどに色とりどりの布から自分で好きなものを選んで、自分のための一着を作ってみることにしました。

河野リエ ラハケニア
河野リエ ラハケニア
ケニアの布市場にて

アフリカ布を初めて身に纏った時の高揚感は、今でも忘れられません。心の底からエネルギーが湧き上がり、背筋がシャキッと伸びて、何でもできちゃうような気持ちになったのです。

派手かな? なんて気にしない。この柄を選んだのは自分のため。誰のためでもないし、人からどう思われるかなんて関係ない。「これが私よ」と胸を張って歩き出したくなるような、自分らしいスタイル。

塞ぎ込んでいた私を救ってくれたのは、紛れもなくアフリカ布でした。この体験を、もっと多くの人に届けたい。それが『RAHA KENYA』の始まりです。

河野リエ ラハケニア
自分のために最初に作った一着。総柄のセットアップ

就活面接で60社落ち。20代は「迷い・劣等感・焦り」の暗黒期だった

思い返せば、20代はずっと「自分探し」を続けていました。言わば、人生の暗黒期です。

その始まりは就活。60社もの企業の選考を受け、全落ち。ここまで思い通りにならなかったのは初めてで、絶望しましたね。

卒業後は何とかして介護職の仕事を見つけて就職しましたが、1年で退職。

その後「教員になろう」と決意して教員免許取得のための勉強を始めましたが、教育実習で「やっぱり違う」と思ってしまい、卒業後は全く別業界の一般企業に就職することに。

ブレブレですよね。結局「自分が何をしたいのか」を突き詰めて考えたことなんて一度もなかったんだと思います。考えてもやりたいことなんて分からないし、進むべき道も分からないと諦めてしまっていました。

そして、当時の私は「正しい道」は一つしかないと思い込んでいて、その王道ルートから外れてしまった自分を、出来損ないのように感じていたのです。

仕事を転々としてもなお、やりたいことがいつまでも見つけられない自分への嫌悪感は凄まじいものでした。

結婚後にケニアに来てからも、使命感を持って仕事に打ち込む夫に対して劣等感を抱いていて。

そのくせ、経営者である河野邦彦の嫁であることを自分のアイデンティティーにしていた私は、TwitterのIDを「@KawanoYOME」にしてしまったほど……(余談ですが、起業後Twitte名は「河野リエ」という個人名に変えたものの、IDは変えられないため当時のまま残っています。今でもIDをみると「自分」を持たずに生きてきた20代を思い出しますね)。

河野リエ ラハケニア
ケニアで初めて作ったパソコンケースを持って。ブランド代表にはなったものの、まだ少し不安げな表情

そんな私に訪れた転機は、先ほどもお話ししたとおり、アフリカ布との衝撃的な出会い。そして、ケニアに来てたっぷり自分と向き合う時間がとれたことです。

ケニアに来たばかりの頃は働いていませんでしたから、嫌っていうくらい自分のことを考える時間があったんですよ(笑)

自分が情熱を注げることは何か、自分はどう働いて、どう生きていきたいのか、書き出したりしながらじっくり考えました。それによって、自分の選択に自信が持てた。

『RAHA KENYA』を通して私と同じような思いでいる人に、アフリカ布を身に着けてもらえたら、何かその人たちの人生を良い方に変えられるんじゃないか。「自分らしく生きる」ことを始めるきっかけになるんじゃないか。そう確信しました。

自分が選んだことだから、幸せに働ける

河野リエ ラハケニア

アパレルブランドの立ち上げ、起業といっても大それたことは何もしていません。「自分のための一着」を作ってみたら、また一着、もう一着と、もっと作ってみたくなっただけ。

いきなり工場をかまえたりするなんて無理なので、最初はサンプルを自分で持って職人さんが集まるマーケットまで持っていって。実物を見せながら「Can you make this one?(これ、作れますか?)」って聞いて回ったんです。

今では20人程度の職人さんと契約して、手作りしてもらっています。

河野リエ ラハケニア

語学は全然できなかったけれど、翻訳機を使ったりしながら少しずつ必要なフレーズを覚えて。経営については夫が先輩なので、教えてもらいながら今も日々勉強中しているところです。

いきなり大成功しようだなんて全く考えていませんでしたし、今も考えていません。

自分に「今できること」を積み重ねて、想いを発信していくうちに、事業を手伝ってくれる仲間もできました。今は3名の社員に恵まれて、ケニアで一緒に暮らしながら奮闘したり、日本からサポートしてもらったりしています。

今年、私は33歳になりました。今は、20代の頃には想像できなかったほどに幸せです。その理由を考えてみると、やっぱり、「自分で選んだ」実感が持てる仕事をしているからだと思います。

河野リエ ラハケニア

一般的に正しい選択やレールのようなものがあると信じていた頃は、周りの目や世間の評価だけを頼りに物事を判断してきました。

介護や教師の仕事なんかは、「安定していそうだ」「親が喜びそうだ」っていうのが判断軸になってしまっていました。就活で「いい企業にはいらなきゃ」と思ったのもそうです。結局、他人目線の選択でした。

でも今は、自分自身が「やりたい」と思ったことに取り組んでいます。そのおかげで、これまで味わったことのなかった納得感・充実感を得られたのです。

河野リエ ラハケニア

起業してからは失敗の連続ですし、つらいこともあります。

最初の失敗体験は、職人さんにオーダーしたはずのものと全く違うものが段ボールいっぱいに届いたこと。正しく発注したはずなのに、なんで!? とパニックに。

職人さんに問い合わせると、「だって、こっちのデザインの方がクールだろう?」って言われてしまい。これはもう、カルチャーショックですね。正直その日は寝込みました(笑)

河野リエ ラハケニア

でも、こうやって取り返しのつくことなら失敗するのも悪くないなぁと思います。今までは「失敗しないように」と、とにかく慎重に生きてきました。けど、石橋を叩き過ぎても何もできない。

起業経験もアパレル経験も語学力も全くなかった私が初めて挑戦する仕事で「失敗しない」なんてこと、そもそも不可能なんですよ。そう思うと、失敗は全然こわくない。

失敗に慣れることは、自分に正直に生きていく上で必要なステップだと思います。

「君は今、幸せ?」自分の幸福を大事にするアフリカンカルチャー

河野リエ ラハケニア

ケニアの人々との触れ合いは、私の価値観を大きく変えてくれました。皆さん、とにかく毎日楽しそうに生きているんですよ。

仕事中も歌っていたり、気持ちよさそうに揺れていたり、踊っていたり。

河野リエ ラハケニア

私が拙い言葉で話し掛けても「今、仕事中だから」と突っぱねるようなことは決してしません。私の目を真っ直ぐ見て、会話を楽しもうとしてくれるのです。

そして、ケニアの皆さんは「自分の幸せ」を特に大事にします。何気ない会話の中で「君は今、幸せ?」って聞いてくるんです。そんなこと日本で言われたら、ドキッとしますよね。

でも、アフリカではこういう会話は自然に行われています。私は今、幸せなのか。常に自分にそう問い掛けながら生きているんです。

河野リエ ラハケニア
ケニア移住後、一児の母に。アフリカではシッター文化が定着している。河野家の子育てをサポートしてくれる頼れるシッターさんと

『RAHA KENYA』の事業を始めてから、過去の私と同じように「何も持っていない自分」に悩む方達からメッセージをいただくことが増えました。

私は何か偉そうなことを言える立場にありませんが、一つだけお伝えしているのは「誰かのため、社会のために生きるのを、一度やめてみてほしい」ということ。

周囲の目ではなく、自分の心に正直になることが、幸せへの第一歩だと身を持って感じるからです。

河野リエ ラハケニア

私にとっての“一歩”は、アフリカ布で“自分のための一着”を作ったことでした。「これなら似合うかな」とか「これは人気がありそう」ではなく、「私はこれが好き」と思う柄の布を選び、自らの手で作ったこと。それが何よりも大きな一歩でした。

新しく何かを始めようとするとき、他人から見て“すごいこと”を成し遂げる必要はありません。一歩の大きさは、人によって違っていい。そして、比べても意味がないことです。

自分にとって「こんなこと」と思う些細なものでも、自分の意志で始めたことであれば、十分大きな一歩なのです。

河野リエ ラハケニア

『RAHA KENYA』のコンセプトは「一歩踏み出すきっかけの」です。私がそうであったように、皆さんにとってアフリカ布が一歩を踏み出すきっかけになれば、こんなうれしいことはありません。

取材・文/太田 冴 編集/栗原千明(編集部)写真/河野リエさん提供

河野リエ ラハケニア

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