「自分の人生、自分で舵取りするために」女性特化プログラミングスクール監修者・Tomokaがエンジニアになったワケ
2021年2月にローンチされた、女性専用プログラミングスクール『SheTech Premier(シーテック・プレミア)』。
約3カ月で実践的なプログラミングスキルを身に付けることができ、全てのカリキュラムがオンラインで完結する仕組みだ。いまだ男性中心のエンジニアの世界で、多くの優秀な女性エンジニアを育成するというミッションを掲げている。
そんな『SheTech Premier』の監修を務めたのが、現在シリコンバレーで活躍するエンジニアのTomokaさん(25歳)だ。
大学2年生で一念発起し、プログラミングのスキルを独学で習得。メルカリ、サイバーエージェントで働いた後、24歳で単身シリコンバレーに渡った。
現在は、動画サービスのスタートアップFireworks(ファイヤーワーク)社でエンジニアとして活躍している。
わずか1~2年の間で働く環境を軽やかに変え、テクノロジーの聖地・シリコンバレーへと乗り込んだTomokaさん。エンジニアリング最高峰の場所へ、猛スピードで向かった理由は何だったのか。
そう問い掛けると、彼女は「自由に生きたかったから」と話し始めた。彼女の言う「自由に生きる」とは一体どういうことなのだろうか。Tomokaさんが大切にしてきたキャリアの選択軸について聞いた。
コピペ学習じゃダメ。“本気で学べる”プログラミングスクールが必要
――大学2年生の時に、プログラミングを始めたそうですね。どのようにプログラミングのスキルを習得したのですか?
ほぼ独学です。一時期、いくつかプログラミングスクールに通ってみたことはあるのですが、正直に言うと、あまり良い印象を抱きませんでした。
というのも、多くのプログラミングスクールで教えているのは「このコードを書いたら、こう動く」というような、いわゆる“コピペ”だと感じたから。
テキストを見て真似事をしても、すぐに忘れてしまうことばかり。本当にこの学習に意味はあるのだろうか……? そんな疑問を感じていました。
結局、私はすぐにスクールを辞めました。それから、独学でプログラミングスキルを身に付けることにして、毎日みっちり10時間くらい勉強。時には、16時間くらいひたすらコードを書いている日もありました。
そうしているうちに、4カ月くらいで一通りの基礎知識を習得できましたね。
――なるほど、既存のプログラミングスクールに違和感があったわけですね。
ええ。もちろん全てのスクールが悪いというわけではないですし、私が目にしたスクールは一部に過ぎませんけどね。
ただ、今って、プログラミングスクールブームみたいなところがあるので、「とりあえずプログラミングの基礎を知っておきたい」とか「趣味程度に学びたい」とか、いろいろなニーズの人が通いに来ると思うんですよ。
でも、当時の私は「本気でプログラミングスキルを身に付けたい」と思っていたので、周囲との熱量の差に居心地の悪さを感じることもあって。
本気でエンジニアになりたい、本気でプログラミングを学びたいという人は、どこに行けばいいんだろう、と。
――同じ志を持つ仲間が集まるような場所がなかった、と。そこからなぜ、女性専用プログラミングスクール『SheTech Premier』を監修することになったのでしょう?
『She Tech Premier』は、女性たちが「本気で」プログラミングを学ぶスクール。学んで終わりではなく、実際に使える、応用できるスキルの習得にとことんこだわっているところがポイントです。
まさに、私がプログラミングを学び始めたときに出会いたかったサービスで。「本気」の人が集まる場を私も一緒につくりたいと思いました。
――コースの監修でこだわったのは?
「主体性のある学び」の仕組みをつくることですね。学習者がただ受け身で情報を受け取るだけではなく、自ら問いを立て、分からないことがあれば自分で調べ、実際に手を動かしてものづくりをしていきます。
私が過去に約4カ月である程度のプログラミングスキルを習得できたのは、とにかく「自分で調べる」というプロセスを踏んだことが重要だったように思います。
分からないことがあったら、とにかく調べてやってみる。その主体的な姿勢があったからこそ、スピーディーに知識とスキルが身に付きました。
――「女性専用」とする理由は?
私がプログラミングスクールに通っていた時にも感じたことですが、やはり、エンジニアの世界はまだまだ男性が多いんですよ。
たとえエンジニアリングに興味があってスクールに足を踏み入れても、周りが男性ばかりで自分だけ女性となると、どうしても居づらさを感じるという人も少なくありません。
そういうところがネックになって、途中で辞めてしまう女性も多いんです。でも、それではもったいない。まだまだ女性エンジニアが少ない時代だからこそ、女性特化型のスクールというのも必要だと感じています。
エンジニアになったのは「自由に生きる」ため
――そもそも、Tomokaさんがエンジニアになった理由は? 元々、ものづくりに興味があったのでしょうか?
実は、全然そうじゃないんですよ。周りのエンジニアの人は「ものづくりが好きで」ってよく言うんですけど、私はそういうのは一切なかったんです。
――ではなぜ?
一言でいうと、「自由に生きたかったから」。
――自由、ですか。
はい。「自由に生きる」ために、エンジニアになりました。
私は元々飽き性で、何かに縛られるのが大嫌い。「終身雇用」なんて聞くと、逆に怖いなって思っちゃう。決まったルートをずっと歩み続けるっていうことが、どうしても性に合わないんです。
エンジニアになろうと決めたのは、大学2年生の時でした。アメリカ留学をしたことをきっかけに、「プログラミングスキルさえ身に付ければ、どんな企業でも、どんな国でも働ける」って思ったんです。すごく単純ですけど(笑)
自分が生きる国、過ごす場所、そういったものの選択肢を最も多く持てる仕事は何か。寿司職人なんかも考えましたけど、最終的に行き着いたのが、エンジニアの仕事でした。
――人生の中で「こうしなければいけない」「こうせざるを得ない」という状況を、できる限り排除したかったわけですね。
自分の意志が伴わない選択はできる限りしたくない。私が考える「自由に生きる」とは、言い換えると、人生の主導権を自分で持てる状態であること、なんですよね。
では、人生の舵を自分で取るために何が大事か。それは、場所がどこであれ使える「手に職」だろうと。
――エンジニアになると決めて、プログラミングを独学で学び始めて……シリコンバレーに行くことはいつ決めたのでしょうか?
本当は、大学卒業後すぐにでも行きたかった。アメリカ留学から帰って来た時、「またここに戻りたい」と強く思ったんです。日本に戻って就職活動のことを考え始めた時も、「どうやったらアメリカで働けるか」ということしか考えていませんでした。
でも、実務経験もないのにいきなりシリコンバレーで働くというのはやっぱり難しくて。まずは国内でエンジニアとしての経験を積もうと考えました。
自分が一番「成長できる場所」に身を置きたい
――エンジニアとして働く場所は、どんな視点で選んできましたか?
自分が持てる選択肢の中で、最も難易度の高い場所、レベルの高い仲間がいる場所で働きたい。そう思ってインターン先や就職先を選びました。
大学3年生の時、就活を始めると同時に、インターンとしてメルカリにジョインしました。当時はちょうど『メルペイ』の立ち上げのタイミングで、QRコード決済の開発の一部を任せてもらえて。
責任の大きな仕事にやる気は十分だったのですが、独学でプログラミングを勉強してどうにかこうにか試験をパスして、という状況だった私は、全く周りについていけなくて。仕事中はとにかく分らないことだらけ。1日100回くらいは質問してたんじゃないかな……。
インターンながらに仕事がしんどくて、六本木のオフィスから泣きながら家に帰った日も何度かありました(笑)。でも、社員の皆さんはすごく優しくて、私のことを心から応援してくれていましたし、支えてくれました。それもあって、インターンの期間をなんとか乗り越えられたようなものです。
――その後、新卒ではサイバーエージェントに入社されていますよね。それはなぜですか?
メルカリに残ろうかとも考えましたが、サイバーエージェントは新卒教育が非常に手厚いという話を聞いて、いいなと思ったんです。これまで独学で何とかくらいついてきたから、体系的に物事を学べる場に身を置くのも悪くないなと。
――自分にとって一番スキルアップできると思う環境に身を置いたのですね。
はい。私にとってスキルを持つということは、「自由に生きる」ための手段。結局いつも、そこに帰結するんです。「自由に生きたい」という強烈な願いに対して、そこに最も近づける手段・手法を選択しているという感じですね。
――サイバーエージェントで働き始めて、「エンジニアの仕事」に対するイメージは何か変わりましたか?
大きな変化があったとすれば、「プログラミングは楽しい」とようやく思えるようになったこと。今は、サービス、プロダクトづくりの面白さに目覚めました。
職場は転々としているけれど、プログラミングは楽しいから辞めていない。今は、ごりごりエンジニアとしてのスキルを磨きたいなと思っているところです。
100社に振られても諦めない。24歳、単身シリコンバレーへ
――24歳でシリコンバレーの企業に転職されていますが、スムーズにいったのでしょうか?
いえ、全然! 誇張ではなく、100社くらいは履歴書を送ったと思います。でも、全く引っかからず……。キャリアの浅さやビザのこともあり、どこからも相手にしてもらえませんでした。
でも、だからといって夢を諦めようとは思わなかった。まだ何か方法があるはずだ、と知人に「シリコンバレーで働きたいんだけど」と、とにかく相談してまわって。
その中の一人が、シリコンバレーの企業で働いている人とつないでくれて、一社だけ面接を受けられることになりました。それが、今まさに私が在籍しているFireworks社です。
面接はシリコンバレーにあるオフィスで行いました。今思えば、現地まで行って「本気度」を見せられたのもよかったのかもしれません。
――その行動力、すごいと思います。しっかりと自分の手で次のステージの扉を開けにいっているというか。
無理やりこじ開けているだけですけどね(笑)。でも、何かやりたいことがあったら、口に出して周りに伝えていると、叶いやすいというのはあると思います。
――実際にシリコンバレーで働き始めていかがですか?
やはり、シリコンバレーには起業家マインドを持ったエンジニアが多いですね。会社でいちエンジニアとして働いて終わりっていうふうに考えている人はむしろ少ないかもしれない。頭のどこかに、起業という選択肢が入っているように思います。
そういう環境にいて、私も「起業家になるのもいいな」って初めて考えるようになりました。今はまだ、会社の中で技術力を磨いて“かっこいいエンジニア”になりたいっていうのが目標なんですけどね。
技術力でつくりたい、格差のない世界
――今後はどのようなキャリアを歩んでいきたいですか?
これまで短期間でさまざまな場所で経験を積んできましたが、私自身はまだまだ未熟。しばらくは技術力の向上のために仕事に打ち込んでいきたいです。
日本でもシリコンバレーでも、すごいエンジニアをたくさん見てきました。私はいつもその中で、一番下だったんです。どうにか食らいついていって、引き上げてもらって、今があります。
だからこそ私も確固たるスキルを持ったエンジニアになって、評価してもらえる位置に行きたい。そして、今よりもさらに「自由に生きる権利」を手にしたいですね。
――自由に対して、本当にストイックですね。
苦しいことやつらいことから逃げようとは思いません。一度やると決めたことは、途中で投げ出したくないし。
私が考える自由は、そういう努力の先にあるものなんです。つらい思いをしてでも自分が努力してつかみ取った自由は、誰にも奪えないと思うから。
――技術力を磨いていく中で、そのスキルをどう生かしたいと考えていますか?
あらゆる格差や不平等をなくすための取り組みができたらと思いますね。『She Tech Premier』もそうですが、「女だから」という理由で自分の夢を諦めてしまうような人がいない世界を創りたいです。
あとは、発展途上国の問題。どこに生まれるかは誰にも選べないのに、得られる教育も、福祉も全然違う。でも今は、ITの力であらゆる社会課題を解決できる可能性があります。発展途上国で困っている人たちを、救う取り組みができないか、ということも考えています。
――やってみたいと思ったことを、やれる力があるということも、また「自由」につながりますね。
はい。シリコンバレーの企業で働き始めてますます思いますが、エンジニアはやっぱり無敵ですよ。私が思い描いていた通り、最高の職業でした。
何か解決したいことがあれば、テクノロジーを使ってそれを解決するための手段を自分で生み出せますからね。最高に自由です。
取材・文/太田冴
※この記事はエンジニアtypeより転載しております