「私、本当に産みたい?」猶予の中で考えた。スノボ五輪メダリストが明かす卵子凍結の副産物【竹内智香】

竹内智香

出産したら、キャリアは終わりーー?

子どもを持つ・持たないの選択、出産時期、子育てと仕事の両立など、働く女性を悩ませる「産む」にまつわる課題の数々。

特に、肉体の変化が競技の成果に直結する女性アスリートにとって、出産は選手生命が絶たれるかもしれない“大問題”であり続けてきた。

そんな中、2020年の秋、ソチ五輪「スノーボード女子パラレル大回転」の銀メダリスト、竹内智香さんが卵子凍結を公表したことが話題に。

出産のタイムリミットを伸ばし、一時は退いていた競技の世界に戻った今、22年の北京五輪への出場を目指している。

卵子凍結の公表を機に、彼女のキャリアにはどんな影響があったのか。アスリート生命と出産について彼女の考えを聞いた。

競技を続けたい。でも、子どもも欲しい

竹内さんにとって5度目のオリンピック出場となった、18年の平昌五輪。「スノーボード女子パラレル大回転」で5位に入賞した竹内さんは、その後、約2年半にわたって競技生活から距離を置いていた。

「ソチ五輪から平昌五輪までの間に左膝前十字じん帯損傷という大怪我をしていましたし、平昌五輪の時は34歳。年齢的にもそろそろ選手としてやっていくのは限界なんじゃないかと考えたんです。それに、平昌ではその時の自分のベストは尽くせたという達成感もありましたから」

第一線から遠ざかっている間、仲間とともに雪山で純粋にスキーを楽しんだ。競技普及や育成活動にも積極的に携わった。

一時は「このまま引退していいかも」という考えも脳裏をよぎったが、自分自身と向き合う時間が増えたことで、あらためて日常にスノーボードがある素晴らしさを再確認。「自然と戻りたいという気持ちになっていた」と話す。

ただ、競技も続けたいけれど、「子どもも欲しい」という葛藤があった。

竹内智香

復帰するなら、38歳で迎える北京五輪まで妊娠は考えられない。最低でも2年近く競技を離れなければならないからだ。子どもも諦めないための可能性を残す必要が彼女にはあった。

妊娠や出産にもタイムリミットはある。卵子は年齢とともに老化していくし、「35歳をこえると、さらに妊娠しづらくなる」というのが通説だ。だからこそ、競技再開を決めた時点で卵子凍結することを選んだ。

卵子凍結の公表で、ずいぶん楽になった

竹内さんが練習拠点としていたヨーロッパでは、卵子凍結や体外受精、不妊治療などについてオープンに話せるカルチャーがある。看護師や助産師など医療関係の知人からも話を聞いていたため、20代のころから卵子凍結の選択肢は頭の中にあったという。

「より競技に集中するために」と、昨秋、卵子凍結を公表すると、予想以上の反響があった。

以前は、取材の場などで必ずといっていいほど聞かれていた「いつ結婚するのか」「いつ出産するのか」という質問も、以前と比べて減っていると竹内さんは明かす。

「30歳前後から、『結婚は?』『子どもは?』と記者や周囲の人から聞かれることが多くなって。最初は気にしていなかったんですが、年々それがストレスになっていきました。

昨年、卵子凍結を公表していなければ、きっと今もそういった質問をされていたんじゃないかな。興味本位で聞かれるようなことがなくなって、ずいぶん楽になりました」

竹内智香

約束されるわけでは決してないが、妊娠・出産の可能性も残せたことでストレスがなくなり、よりいっそうスノーボードに集中できるようになった。「以前にも増して、のびのびと生きられるようになった気がする」と竹内さんは笑顔を見せる。

とはいえ、課題が全てなくなったわけではない。今は、妊娠や出産と向き合うための猶予が与えられただけ。竹内さん自身、タイムリミットを永遠に伸ばせるわけではないことを理解している。

「今、私は妊娠や出産を完全に先送りしている状態。婦人科の先生にも言われたのですが、先送りし過ぎて、40代~50代の高齢出産になると、自分の体にもかなり負担がかかってしまうとのこと。

今は、『すぐ産まないと』という焦りからは解放されましたが、いつか自分でタイムリミットを決める必要があるのも分かっています」

「本当に子ども欲しい?」初めて自分の本音と向き合えた

卵子凍結を行ってから約1年間。競技への復帰も果たした今、「本当に子どもが欲しいのか」ということを改めて自問自答していると竹内さんは打ち明ける。

「卵子凍結を行ったことで、一瞬ですが、時間が止まった空間にいるような感覚になりました。そこで、改めて『自分は本当に子どもが欲しいのだろうか?』と考えてみたんです。

そこで気づいたのは、私はただ、タイムリミットが迫っていたから焦っていたし、『早く産まなきゃ』と思っていただけだったんじゃないかということ。

もしそれで急いで妊娠して出産したとしても、自分も生まれてくる子どもも幸せになれないのではないだろうか……。

そう考えたとき、『焦るから妊娠する』というのは、私の生き方とは違うのではないかと思うようになりました」

竹内智香

北京五輪まで残り数カ月(2021年11月時点)。次の大舞台が迫る今、竹内さんは「今は競技が一番」と、正直な思いを聞かせてくれた。競技と妊娠・出産を天秤にかけたのではなく、競技への気持ちが一番にあったからこそ卵子凍結は必要な選択だった。

ただ、2022年の北京五輪で競技をやり切り、完全燃焼したと満足すれば、その考えはまた変化するかもしれない。

「まずは目の前に競技に全力を尽くしたい。きっと私が子どもを産むという選択をしたときは、本当に心から欲しいと感じて産む子どもなんだろうなと思います。そうやって生まれた子には100%の愛情を注いであげたい。自分の時間を全て捧げられるはずです」

「産むこと」をハンデにしない。アスリートの世界も変わるべき時がきている

卵子凍結を経て、競技を続けることと、「いつか子どもを持てる」という可能性の両方を手にした竹内さん。今回は個人の選択によって「自分らしい今」をかなえたが、卵子凍結をするかどうかにかかわらず、誰もが「産みたいときに産める社会」が必要なのではないかと問い掛ける。

「これからは、女性が出産しても仕事を続けやすい環境や、男性が育児参加しやすい環境を、アスリートの世界でもつくっていけるといいなと思います。

誰もがキャリアに不安を抱くことなく、欲しいときに子どもが持てるようになるのが一番いい。でも、今はそれらを実現できる環境がまだまだ整っていないし、解決しなければならない課題が多いのも現実。

そういった現代社会の中で、個人が持てる選択肢の一つとして卵子凍結があるという認識ですね」

近年は、出産後にも第一線で活躍する女性アスリートが徐々に増えてきた。

しかし、竹内さんが話す通り、産後に競技復帰を目指す環境が日本で整っているとは言い難い。

竹内さんの競技も、妊娠・出産で休んでいる間はW杯などレースに出られないため、オリンピックの代表選考にもかかわるFIS(国際スキー連盟)のポイントは失効する。

ドイツやオーストラリア、スイスのナショナルチームでは、選手が育休から復帰する場合、過去の実績があれば、チームに入る基準を満たしていなくても下部の大会からではなくトップカテゴリの大会に出場できる保証があるそうだ。しかし、日本の環境は妊娠/出産した女性アスリートにとってはいまだ厳しい。

竹内智香

竹内さんは今、スノーボードの国際アスリート委員会を通じて、怪我をした選手同様に出産した選手にもFISポイントの凍結が適用されるよう提案を行っている。

「知人の選手たちと話をする中で、『出産した選手へのサポートがもっと必要だ』という意見が一致して、昨年5月頃に委員会に提案しました。ただ、それが受け入れられてもポイントシステムを再構築したり、変更しなければならないので、早くても1~2年はかかるはずです。

ただ、こういうアクションをとらなければ、私たちの種目においては出産からの第一線復帰はかなりハードルが高く、オリンピックを目指すのも難しい。これからの世代のためにも、声を上げ続けなければいけないのだと思います」

3シーズンぶりに競技に復帰した昨季、竹内さんはいきなりW杯初戦で8位に入賞。21年2月のW杯ロシア大会では3位を勝ち取り、表彰台に上がった。

竹内智香

「初戦でのベスト8は、自分でも想像していませんでした。競技に復帰した直後は、荷造りして遠征に行くのも、スタート地点の緊張感も、全てが新鮮。新たな競技人生がスタートしたような感覚で、タイムを少しずつ縮めていく過程は、まるでジュニア時代や20代前半の頃のようで、初心に戻ったような気分でした。

今は、これまでに蓄積してきた経験と、復帰後に手にした初々しい感覚、その二つがいいバランスでコラボしている状態です」

そんな竹内さんが描く、これからのビジョンは「基本的にはノープラン」だという。

「一つ一つ、目の前の課題に取り組んで、今の生活を楽しんで続けていけば、自然と『次』が見えてくるんじゃないかなと思います」

競技に打ち込むにあたり、卵子凍結を選択した竹内さん。「自分の本音」に向き合う時間を得られたからこそ、納得のいく決断ができるようになった。「今は全力で競技に打ち込む」と決めた彼女が再び表彰台に立つ日が楽しみだ。

<プロフィール>
竹内智香(たけうち・ともか)さん

1983年12月11日生まれ。北海道出身。2002年ソルトレイクシティ大会から5大会連続で五輪に出場。2014年のソチ五輪ではスノーボード女子パラレル大回転で銀メダルを獲得した。現役選手として活躍する傍ら、19年にスノーボードキッズ育成組織「&tomoka 」を立ち上げ、今夏、北海道東川町で健康寿命延伸プログラムを始動させた。

取材・文/モリエミサキ 撮影/赤松洋太