髙木菜那「自分と向き合うことは辛くて苦しい」スピードスケート五輪メダリストを育てた“自己対話力”

一流の仕事人には、譲れないこだわりがある!
プロフェッショナルのTheory

この連載では、各界のプロとして活躍する著名人にフォーカス。 多くの人の心を掴み、時代を動かす“一流の仕事”は、どんなこだわりによって生まれているのかに迫ります

2022年4月、スピードスケート五輪金メダリストの髙木菜那さんが現役引退を発表した。現在は、タレント活動を中心に、日本のスポーツ文化を盛り上げるべく学校等での講演活動にいそしんでいる。

髙木菜那さん

18年開催の平昌五輪では日本女子初の2冠に輝き、22年2月の北京五輪でも銀メダルを獲得。誰もが認めるトップアスリートへとのぼりつめた彼女の強さの秘訣とは何なのか。

その答えを探るべく話を聞くと、髙木さんは「自分とどれだけ真剣に向き合ってきたかだと思う」と語り始めたーー。

「自分と向き合う」は辛く、苦しい作業。でもそれが私を強くした

物心ついたころから、勝利には人一倍強いこだわりを持ってきた。勝ちたい、速くなりたい。常にそればかり考えてきた。

高校卒業後は長野県に本拠地を置く実業団に入った。「自分と向き合う」ことを本格的に意識するようになったのは、ちょうどそのころ。社会人二年目の時期だった。

「当時は満足のいく滑りができなくて、どうしたらいいんだろうっていつも考えていました。思うように滑れない自分に、ただ焦っていたんだと思います」

そこで髙木さんは、実業団の先輩たちに「どうやったらもっと速く滑れますか?」「どうしたら勝てますか?」と話を聞いてまわった。

「ただ、その時にある先輩に、『人に答えを求めるな、まずは自分で考えろ』と言われてはっとしました。図星だったんです。外に答えを求めるばかりで、自分自身に向き合おうとはしていなかった。

ちゃんと、自分で考えて、考えて、考え抜かなくちゃダメなんだ。そう気づかされた出来事でした」

髙木菜那さん

自分と向き合うことは、苦しく、つらい作業だと髙木さんは言う。自分のダメなところ、格好悪いところ、弱さ……直視したくないものや認めたくないものを一つ一つ見つめ直し、己の成長を阻んでいる要因をつきとめる。

そして、なぜ自分は勝ちたいのか、速くなりたいのか、この先どうなりたいのか……うそ偽りなく心から“欲しい未来”を探していく。そうやって、真の目標を見つけるのだという。

「自分の本心なんてちょっと考えたらすぐ出てきそうな気がするかもしれないけれど、そうはいかないんですよ。自分の嫌な部分を見つめて考え抜かないといけないから、すごく苦しい。

でも、そうやって見つけた目標は自分が心から達成したいと思えるものだから、そこに向かって努力を重ねられる。この対話を怠らなかったからこそ、私は人一倍強くなれたんだと思います」

「本番を意識したトレーニング」で緊張や不安に強い自分をつくる

アスリートに限らず、仕事で「ここぞ」という場面を迎えることは誰にでもある。緊張や不安がある中で、いつも通りのパフォーマンスを発揮するにはどうすればいいのか。

メダリストとして数々の大舞台に立ってきた髙木さんは、「周囲からの期待が膨らむと誰でもプレッシャーを感じるもの。それは仕方ない」ときっぱり割り切る。

髙木菜那さん

「でも、そういう状況の中で発揮できる力が今の自分の実力。緊張はして当然だから、それでも力を発揮できるよう、普段から『練習』ではなく『トレーニング』を重ねておくしかないんです」

「練習」と「トレーニング」の違いは何か。そう問い掛けると、「トレーニングは必ず、本番を意識して行うものだ」と彼女は言う。

「プレッシャーがかかっても結果が残せるように、本番を意識したトレーニングを積み重ねるしかありません。ふと気を抜いてただ練習を繰り返さないように、『本番』を常にイメージする

そうやって普段から自分を鍛えておくと、プレッシャーがあっても普段通りのパフォーマンスが出せるようになるはずです」

これまでの競技人生は、常にプレッシャーと隣り合わせだった。中でも印象に残っているのが、ソチ・平昌・北京で迎えた3度のオリンピックだ。

髙木菜那さん

「ソチの時は、初めて自分の心を受け入れてあげられた。平昌では、自分の夢から逃げなかった。そして北京では、自分を自分として認めてあげられたーー。

うまく言葉にするのは難しいのですが、私がこの3大会でそれぞれ向き合ってきたプレッシャーは全く違うものでした。

でも、自分の心と向き合いながら一つ一つそのプレッシャーを乗り越えてきたからこそ、それぞれの大会で結果を残せたのではないかと思います」

新しい世界を見たい。引退決断は「本気で頑張った」からこそできた

22年4月5日、引退会見を行った髙木さんは、時折涙を見せながら「第二の人生を歩みたい」と希望を語った。その表情は、実に晴れ晴れとしていた。

髙木菜那さん

「実は、引退会見を行う前日まで『どうしようかな、本当に辞めますって言っていいのかな』なんて悩んでいたんですよ。今ならまだ、『やっぱり引退するの辞めます』って撤回しても間に合うかな!? って考えたりもして(笑)

でも、自分の心に問い掛けてみるたびに、『やれるだけのことはやった』という実感が湧き上がってきた。そして、『私のスケート人生に悔いは一つもない』ということも分かった。だから、新しい世界で頑張ろうって決めました」

今ではニュース番組やバラエティーのスタジオで、笑顔で頑張る彼女を目にする機会が増えた。「本当に、第二の人生が始まったみたい」と髙木さんは無邪気に笑う。

「ずっと狭い世界で生きてきたので、本当に新しいことづくしの毎日です。こうやってインタビューを受けたり、自分とは全然違う職業の人たちと話したりできるのはすごく楽しいし、勉強になる。

今はまだまだ模索期間ですけど、スピードスケートと同じくらい自分が真剣になれるもの、愛せるものを探してみたいなと思っています」

自分の心の声は、努力しないと聞こえない

30代を迎えてのキャリアチェンジ。ずっと身を置いた場所を離れる決断は、誰にとっても簡単なことではない。 髙木さんはどんなふうに、自分が進む道を決めてきたのだろうか。

髙木菜那さん

「やっぱり、大事なことを選択するときに必要なのは自分との対話です。どんな選択であっても、選ぶのは自分自身だし、決めた道を歩んでいくのも自分。

だからこそ、キャリアの転機になるような決断は人任せにせず、自分が本当に望むものを手にするための意思決定をすべきだと思います」

ただ、自分の心の声を聞くためには、「努力が絶対に必要」だと髙木さんは続ける。

「自分との対話は、ものすごくエネルギーを使う作業です。私自身もこれまでいくどとなくやってきましたが、勇気のいることだし、難しいことなんです。

でも、自分の心の声が聞こえるようになると、これから進むべき道筋がおのずと見えてくるはず。

今は生き方の選択肢が多い時代で迷うことも多いと思うので、その中で“自分の道”を見つけるためにも、一度『自分とじっくり対話すること』に挑戦してほしいと思います」

これからの目標はまだ具体的には決まっていない。ただ、髙木さんの選択軸は常に一つ。後悔のない人生を生きることだ。

「いつか自分の過去を振り返った時、『めっちゃ濃いな』って思える人生にしたい。そのためにも、新しい世界にどんどん足を踏み入れて、知らないことをもっと学んでいきたいと思います」

髙木菜那さん

【プロフィール】
髙木菜那さん

北海道出身。平昌オリンピックで、団体パシュート及びマススタートでそれぞれ金メダルを獲得し、夏季・冬季を通じて日本人女子では初となる、一つの大会において複数金メダリストとなった。マススタートでは初代女王として五輪史上に名を刻む。妹はスピードスケート選手の髙木美帆。二人は団体パシュートのメンバーとして夏季冬季を通じ日本初の姉妹で金メダル獲得という快挙を達成した TwitterInstagram

取材・文/モリエミサキ 撮影/赤松洋太 レース写真/Robert Cianflone(Getty Images Sport) 編集/栗原千明(編集部)