03 AUG/2022

【ブレイディみかこ】日本でダサイ「貧しさ」は英国でならかっこいい? “ここではない世界”に救われた人生

特集:サヨナラ“私なんて”

「私なんて……」つい口にしてしまうこの言葉。それを「私ならできる」に変えたなら……? 本特集では、常識にとらわれないチャレンジで自分らしいキャリアを切り開いた女性たちのストーリーをお届けします

2019年に刊行され、シリーズ累計100万部を突破した『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)の著者であるブレイディみかこさんが、初の小説『両手にトカレフ』(ポプラ社)を世に出した。

ブレイディみかこさん

描かれているのは、イギリスの貧困家庭で育った14歳の少女、ミアのお話。著者のブレイディさんもまた、10代の頃は貧困へのコンプレックスがあったという。

そんな生活の中で、ミアとブレイディさんが「私なんて」の鎧(よろい)を脱ぎ去り、「ここではない世界」と出会ったきっかけは、偶然出会った本と音楽だった。

『両手にトカレフ』を小説とは呼びたくない

『両手にトカレフ』は、私にとって初めての小説です。内容はフィクションで、主人公のミアが実在するわけではありません。

でも私の中ではこの作品を、あまり小説とは呼びたくない感覚もあります。

というのも、この作品が生まれたきっかけは、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を読んだ息子のこんな一言でした。

「本の中のうちの学校はキラキラして見えるけど、実際にはそこからこぼれ落ちている子も結構いるよね。本当にうちの学校がそのまま描かれているわけではないんじゃない?」

ブレイディみかこさん

それは、私も気付いていたことでした。例えば『ぼくイエ』ではクラブ活動に打ち込む子どもたちの話を書きましたが、実際にはクラブ活動すらできない、深刻な状況におちいっている子どもたちもいる。

私は以前、イギリスの託児所で働いていたことがあるのですが、そこには貧困家庭だったり、依存症などの問題を抱える保護者からネグレクトされていたりと、ソーシャルワーカーが介入するような家庭環境に置かれている子どもが多くいました。

彼・彼女らは今では中学生になり、ほとんどが変わらずシリアスな環境で生きている。その子たちを描きたい思いはあったけど、とてもノンフィクションでは書けない。

だから、そんな子どもたちを一人のキャラクターにして、主人公のミアを描きました。小説が書きたかったのではなく、この題材を書くのであれば、フィクションにするしかなかったんです。

日本ではダサいことが、違う国ではクールなこともあるらしい

実は私も、経済的に余裕のない家庭で育ちました。

小学生の頃から保育園に妹のお迎えに行き、帰りにスーパーで買い物をしてから食事の支度をする生活を送っていて。今でいうヤングケアラーです。

ブレイディみかこさん

当時は、お金も友達と遊ぶ時間もなくて、唯一の楽しみは、全ての家事を終えてから読む本でした。

そんな日々の中、『両手にトカレフ』でミアが金子文子の自伝と出会うように、私も10代の時、瀬戸内寂聴さんが書いた評伝『余白の春: 金子文子』と出会いました。

私の祖母と母は二人とも本を読む人だったけど、二人が同じ本を読むことはほとんどなくて。それなのに、『余白の春: 金子文子』は二人とも持っていた。だから「一体どんな本なんだ」って気になって手に取ったんです。

金子文子は、恵まれない環境に置かれながらも、自分で思想をつかんでいった女性。私にとって彼女の姿は励みであり、希望の星のように感じていました。

そしてもう一つ、大きく影響を受けたのが、イギリスのロックです。

私が10代を過ごした1970〜80年代の福岡では、「めんたいロック」というムーブメントが巻き起こっていました。当時は「洋楽こそクール」であり、みんなが当たり前にイギリスのロックを聴いていた。

その中で、「イギリスでは労働階級がカッコいい」というカルチャーに出会ったんです。

今もそうだと思いますけど、私が学生だった頃は特に、貧乏はダサくて、情けないことでした。それなのに、イギリスのロックではワーキングクラスがクールとされている。

その時に思ったんですよ。「私は肉体労働者の娘だけど、イギリスに行ったらカッコいい存在なのかしら?」って。

日本ではダサいことが、別の国ではそうじゃないこともあるらしい。そう気づいて、別の世界が開けたんです。

鎧を脱げば、なんとかなる

「こことは違う世界がある」というのは、『両手にトカレフ』のテーマの一つでもあります。

私が金子文子やイギリスのロックによって新しい世界を知ったように、偶然の出会いから道が開けることはある。

じゃあ、どうやったら偶然の出会いを得られるのか。私がイギリスの歯医者さんで出会った、印象的な日本人のおばあさんの話を紹介します。

ブレイディみかこさん

彼女は若い頃にイギリスへ留学し、イギリス人の青年と恋に落ちました。二人は「3年後のこの日、この場所で会おう」と約束をし、おばあさんは帰国。

そして3年後、なけなしのお金をはたいて、彼女は本当に再度イギリスへ渡りました。移動手段が船だった時代の話ですから、相当気合が入っていますよね。

ところが、相手は来ない。彼女は会えるつもりでイギリスに行ったから、日本に帰るお金がないわけです。

困った彼女は近くにあったパブに入って、「お金がないから働かせてください」と言ったのだそうです。そうしたら偶然にも店主が女性で、「男を信じるなんてバカだね」と、パブの2階に泊めてくれた。

シーツを洗ったり掃除したりしているうちに気に入られて、そのままパブで働くようになり、日本で生け花を習っていたからパブに花を生けたところ、それが近所のホテルの人の目にとまり、スカウト。

その後、ホテルで働いている姿を地域の実業家に見初められ、なんと結婚したのだそうです。わらしべ長者みたいな話ですよね(笑)

私はこの話を聞いて、おばあさんに「ラッキーでしたね」と言いました。そうしたら、「そうじゃない」と。「若い時は失うものが何もなかったから、オープンだった。自分を開いていたから、運の方から寄ってきたんだ」という言葉が返ってきて。

これって、本当にその通りだと思うんですよね。

この話のおばあさんには、鎧がないじゃないですか。どうしようもなくなって、来るものを何でも受け入れていたから、こういう出来事が飛び込んできたわけです。

実は、私も今の仕事はやろうと思って始めたことではないんです。ジョン・ライドン(イギリスのミュージシャン)のファンサイトをやっていたら声をかけてくださる方がいて、成り行きでエッセイや今回の小説を描くようになった。

これも、自分を開いていたから舞い込んだことだと思っています。オープンにすれば向こうから寄ってくるし、逆に閉じてしまうと、本当はすぐそこに何かがあっても見えなくなってしまう。

だから、鎧をガチガチに着込んでいた若かりし日の自分には、「なんとかなるよ」って伝えたいですね。自分を閉じなければ、本当になんとかなりますから。

ギャンブルな毎日なら、「私なんて」と思う暇はない

おばあさんの時代ほどではなかったけど、私がイギリスに行き始めた1980年代も今ほど情報がなかったから、毎日がギャンブルみたいな感じ。行き当たりばったりで、失敗して当たり前でした。

ブレイディみかこさん

でも今は、「80%くらいは大丈夫だろう」と思えるところまで調べてから行動しますよね。正しい答えというか、「これをやれば間違いない」みたいなものを探している気がします。

あらゆることが最適化され過ぎて、本ですらAmazonがおすすめを提示してくるでしょう? 好みの本には出会えるだろうけど、「絶対に自分からは読まないけど、めっちゃよかった!」という出会いを自らはじいている可能性もあるように思います。

「この店はクチコミが悪いから駄目だ」「ここは人気がありそうだ」と前もってチェックできるいうのは、合理的で安心なようでいて、実は未知のものに出会う可能性を排除してしまっていることでもある。

そもそも自分の考えをベースに検索している以上、自分の想像を超えたものとの出会いはないじゃないですか。おばあさんがたまたまそこにあったパブに飛び込んだように、本来の自分だったら選ばない道を偶然進むことで可能性は広がります

そして、「帰る船賃がない!」くらいまで切羽詰まると、「私なんて」と思う暇もないんです。

おばあさんいわく、その日は雨が降っていたそうです。ずぶぬれの若い日本人女性がパブに飛び込んできて、片言の英語で一生懸命事情を説明しながら「働かせて」とか言うのだから、パブの女主人もびっくりしたでしょう。でも、こんな風に「なんとかしなきゃ」って必死だからこそ、偶然の出会いが生まれる。そして、そこから彼女の物語が始まるんです。

日本の女性は「こうあるべき」に真面目すぎない?

私は最近オンラインで日本の若い女性と話す機会が増えたのですが、びっくりするぐらいみんな良い子なんですよ。

ブレイディみかこさん

それは言い方を変えれば、「誰かにとって都合の良い子」でもある。

「良い子でいるのをやめてみたら?」と思うことは多いですね。そうすれば、もっと楽になるんだろうなって。

日本の女性は自己肯定感が低いと言われますが、イギリスの女性たちもまた、自分に自信がなかったりします。例えばコロナ禍で若い女性たちの摂食障害が増えたことが、イギリスでは問題になってもいる。

その一方で、イギリスの女性は戦うことも好きというか。女性たちの怒りから運動が盛り上がったり、息子の中学校でも「男の子のあの行動はセクハラだよね」と、授業中に女の子たちが教室を飛び出してデモをしたりする。

日本では、そういうことはあまりないですよね。というか、そもそも愚痴を言うことすらよくない、ネガティブな行動とされている。

でも、例えば見た目のコンプレックスを友達と愚痴り合うことで、「どうして私たちはこんなに見た目を気にしなきゃいけないんだろう」「日本ってルッキズムがすご過ぎない?」と話が発展するかもしれません。共通の問題を見いだせれば、連帯が生まれることもある。

それなのに日本の女性は、「自分の中で処理しなきゃ」って、一生懸命良い子であろうとしてしまっている気がします。

「真面目」にはいろんな種類があって、例えば「私らしい生き方にこだわる」のも真面目さ。一方、日本の若い女性からは「こうでなければいけない」という、誰かが作った規制の枠にきれいにはまり込もうとする真面目さを感じます。

私はこの夏、3年ぶりに日本に帰国しましたが、全体的に元気がないというか、不安を抱えている人が多くないですか?

「将来を考えると不安で眠れない」と話す人もいたけれど、ちゃんと仕事があって、とてもすてきな人なのに、何がそんなに不安なんだろうって思います。

もちろん日本で女性が生きるキツさはあって、ジェンダーギャップ指数も相変わらず低い。置かれている立場がしんどい中で、「女性だから」という諦めもあるのかもしれません。

加えて、日本は残念ながら経済的にはそんなに良い状況ではないから、なんとなくムードもしぼみがち。不安を抱くのは理解できます。

ただ、その枠の中で自分を最適化してうまくやっていこうとするからキツいのであって、「そもそも枠を壊してしまえばいいんじゃない?」とも思います。

視点を広げれば「こことは違う世界」を見つけられる

ブレイディみかこさん

置かれている枠から出るには、それこそ本を読んだらいいですよ。本は、普段会えない人の話を落ち着いて聞ける場所です。

短いスローガンや決め言葉の飛ばし合いみたいになっているネットと違って、本には退屈なことも書いてある。でも、その中にはグサッと自分に刺さる言葉が混ざっています。まさに人との対話に似ていますよね。

そうやって「こういう考え方をする人がいるのか」と視点を広げたり、違うものの見方を獲得したりするのは、自分を小さな枠から解放して楽にすることにつながります。

私はよく「エンパシー」という言葉を使いますが、これは「他人の立場に立ってみること」であり、いわば「他人の靴を履くこと」です。

これは何も相手のためだけでなく、自分が新たな視点を獲得するためでもあります。それによって、「違う考え方をする人もいるから、これしか道はないって考えて我慢しなくても大丈夫だな」など判断ができる。

うまくいかないときに、別の道がないのが一番キツいじゃないですか。プランA、Bだけじゃなくて、C、D、なんならプランMくらいまで広げていくと、だいぶ気楽になるはず。

私自身、イギリスで日本では会わないような人と出会い、「こんな考え方もあるんだ」と知ったことで楽になったことがたくさんあります。

それこそ私が抱いていた貧困へのコンプレックスもそうでしたが、日本で感じているコンプレックスは、海外に行ったら「すげえいいじゃん」に変わることもある。

コンプレックスは、その場所にある固定観念から生まれるものだから、自分を開けば開くほど楽しくもなります。「これが私の持ち味なのかしら?」「案外私はイケてるのかも?」と、自分自身も思えるようになるきっかけは絶対にありますよ。

これは海外に行かなくてもできること。普段自分が行かないような場所に行って、普段接点がないような人たちと出会うことで、可能性を広げることができます。

だからぜひ、日常生活とは違う世界をのぞいてみてください。「こことは違う世界がある」ことを、忘れないでほしいなと思います。

ブレイディみかこさん

<プロフィール>
ブレイディみかこ さん

1965年、福岡県生まれ。96年から英国ブライトン在住。17年、『子どもたちの階級闘争 ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(みすず書房)で新潮ドキュメント賞を受賞。19年、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)で毎日出版文化賞特別賞や『Yahoo!ニュース』本屋大賞ノンフィクション本大賞を受賞。著書に『ワイルドサイドをほっつき歩け ハマータウンのおっさんたち』(筑摩書房)『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』(文藝春秋)『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2』(新潮社)などがある

作品情報

ブレイディみかこさん
『両手にトカレフ』(ポプラ社)
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の著者・ブレイディみかこが14歳の少女の「世界」を描く、心揺さぶる長編小説。寒い冬の朝、14歳のミアは、短くなった制服のスカートを穿き、図書館の前に立っていた。そこで出合ったのは、カネコフミコの自伝。フミコは「別の世界」を見ることができる稀有な人だったという。本を夢中で読み進めるうち、ミアは同級生の誰よりもフミコが近くに感じられて――。

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取材・文/天野夏海 撮影/洞澤 佐智子(CROSSOVER) 編集/栗原千明(編集部)