【山下良美】W杯サッカー史上初の女性審判へ。「審判になるなんて考えていなかった」彼女の“まずやってみるマインド”
2021年5月、サッカー・Jリーグで初めて主審(※)として女性がピッチに立ち話題になった。
(※)審判の中で最も大きな権限があり、競技規則の範囲における全ての権限を有する人
プロフェッショナルレフェリーの山下良美さん。22年11月開幕のFIFAワールドカップカタール大会では、唯一の日本人審判員として参加する予定だ。

撮影: Hiroki Watanabe
幼い頃からサッカーのプレーヤーとして活躍してきた山下さんは、「もともと審判になる選択肢は頭になかった」と明かす。
なぜそんな彼女が、日本人女性として初のプロフェッショナルレフェリーになれたのか。「一人目の人」へと山下さんを導いたものは何なのかを探った。
「審判やってみない?」先輩の誘いから思いがけず開けた道
山下さんが主審として初めてJリーグのピッチに立ったのは、21年5月のJ3・Y.S.C.C横浜-テゲバジャーロ宮崎。誕生から29年目を迎えたJリーグの試合で、女性主審として初めてピッチに立った。
幼い頃からサッカーをやってきて、Jリーグの開幕もテレビで見ていました。そのピッチに自分が立つことができて、とても感慨深かったです。
また、喜びと同時に山下さんが感じたのは、大きなプレッシャーだった。
今回たまたま私がJリーグで初めて主審を務めることになりましたが、そういう道が開けたのは、これまで女性審判員の皆さんが築いてきたものがあったからだと思っています。
ですから、自分がここでこの道を閉ざしてはいけない。次にバトンを渡さなければいけないと思うと気が引き締まりました。
山下さんがプロ審判への道を歩み始めたのは13年前。同じ大学の先輩で、審判員として活躍していた坊薗真琴さんの“勧誘”がきっかけだった。

「あなたも審判をやってみれば?」と勧められて、初めて「そういう道もあるのか、じゃあせっかく声を掛けてもらったし、まずはやってみようかな」くらいの気持ちで始めたんですよ。
いざ審判をやってみると、選手時代とはまた違う立場からサッカーについて考えられるようになってきました。
「楽しい」という感情とは違うけれど、サッカーの奥深さにどんどん気付いていく感じ。
ピッチに立たせていただくたびに、自分のスキルについても「次はここをもっと修正しよう」「もっと良くしたい」という感情が自然に湧いてきました。
そうこうしているうちに、いつの間にか審判を続けていたんですよね。
「将来の夢」から逆算はしない。目の前の仕事に夢中で取り組むだけ
山下さんは、「遠い先の目標を考えるのは苦手。目の前のことだけに集中したいタイプなんです」と話す。
将来のことはあまり考えていません。
だから、審判を始めるきっかけが先輩の勧めだったように、新しいことに挑戦するのも、人から声を掛けてもらった時が多いんです。
目の前の仕事にコツコツと向き合うことに夢中になっているうちに、いつも周囲の方が新しい扉を開いてくれるんですよね。
私はそこに飛び込んでいくだけというか。 私がいつもぼんやりしているから、「もっとこうしてみなよ」って皆さんが手を差し伸べてくれるのかなと思いますね(笑)
そんな中、「女性初のプロレフェリー」となり、周囲からは将来のことについて質問される機会も増えた。

プロになったからと言って、審判としてやるべきことは今まで通り揺るぎないものです。
そこはいつも通り、しっかり取り組んでいくだけなので変わりありません。
ただ、未来について考えることがあるとすれば、女性審判がもっと活躍できるような道をつくっていきたいということ。
今、私は「女性だから」ということで注目してもらっています。でも現時点では、それでもすごくありがたい。
だって、今回こうして注目してもらえたからこそ、他の女性たちが活躍する機会も増えるし、審判を目指したいと感じてくれる人も増えると思うので。
「女性初」の不安は最初だけ。まずはやってみる
22年9月には、J1リーグの試合で主審を担当。約5万人の観客が見守る中、最後まで的確に試合をコントロールした山下さん。
「女性初」という肩書きに重荷を感じることはないのか聞くと、「少し身構えてしまったのは最初だけだった」と明かす。

撮影: Masashi Hara
「女性初」と報道されて注目していただいて、少し緊張しましたね。
普段から全力を尽くして試合に臨んでいますが、それでも「もっとしっかりしなきゃ」とも思いましたし。
でも、報道後に初めてピッチに立ってみたら、実際はなんてことはなかったんですよ。やるべきことも見える景色も、いつもと変わらない。そこで感じるプレッシャーも、これまで通りのものでした。
こういうことは、スポーツの世界に限らずあることだと思います。仕事で責任あるポジションに抜擢されて「私にできるかな」と不安になってしまう女性も多いと思うのですが、まずはやってみるといいと思いますよ。
やってみれば、意外と「なんだいつも通りのことをやればいいんじゃん」って肩の荷が降りることもありますから。
また、男子の試合に女性審判がついていけるのか? という疑問を持つ人もいるかもしれない。しかし、山下さんによれば「やることは一緒で、大きな差はない」という。
いざW杯カタール大会へ「サッカーの魅力を最大限に引き出したい」
22年11月開幕のW杯カタール大会には、日本人唯一、そして大会初の女性主審の一人として参加する。その一報が届いた時は、「正直に言うと驚いた」と本音をこぼす。

撮影: Thananuwat Srirasant
今はもう、しっかり覚悟も決まっています。
本番ではサッカーの魅力を最大限に引き出せるようなレフェリングをして、皆さんに楽しんでいただけたらと思っています。
そのための体力づくり、語学学習も日々欠かさない。
フィジカルを鍛えることも、プロとして必要な語学力を磨くことも、どちらも毎日の積み重ね。
「今週はこんなメニューでやってみよう」「今日はこんなふうにやってみよう」とプランを立てて、筋トレも勉強もやるようにしていますね。

「以前は、ヨーロッパ最高峰のUEFAチャンピオンズリーグで活躍する女性審判員の姿を、どこか他人事のように『すごいな~』なんて思いながら見ていた」と山下さん。
しかし、目の前の仕事に夢中で取り組んでいるうちに、いつの間にか彼女たちが活躍する場所に近づいていた。
かつては全く想像もしなかったことですが、今年4月にAFCチャンピオンズリーグを担当し、私ももっと頑張らなければと思うようになりました。
プレッシャーは少しはありますが、日本でも海外でも、審判としてやるべきことは変わらないので大丈夫。
引き続き、後輩たちの「新しい道」を切り開く人になれたらうれしいです。
そのためにも、とにかく一試合一試合、全力を尽くすこと。
私にできるのは、目の前の仕事にコツコツと夢中で向き合っていくことですね。
1986年東京都生まれ。2012年に女子1級審判員の資格取得。2015年、FIFAの国際審判員に登録。全国高等学校サッカー選手権大会、AFCカップ、2019年には女性ワールドカップ、2021年には東京オリンピックの審判を経験。そして同じ年に、Jリーグ史上初の女性主審をつとめ、2022年7月に女性審判としては初のプロフェッショナル契約を結んだ
取材・文/モリエミサキ 撮影/柴田捺美(編集部) 編集/栗原千明(編集部)