46歳未経験でラーメン店『祇園麵処むらじ』をオープン。「できないことなんてない」を実現する“聞く力”
人生100年時代。年齢や常識に縛られず、チャレンジを続ける先輩女性たちの姿から、自分らしく働き続ける秘訣を学ぼう
京都祇園の表通りから一本入った小道に、ひっそりとのれんが出ている。小料理屋のようなたたずまいのお店の正体は、なんとラーメン屋。

店主の連(むらじ)恭子さんは「女性が喜ぶラーメン店をやりたい」と、46歳の時に『祇園麵処むらじ』を立ち上げた。
ラーメン業界では、多数の店舗がしのぎを削る。働く人も顧客も、その多くは男性だ。
一方、連さんのラーメン店での経験はゼロ。それでも人気のラーメン店として、むらじは女性客の心をがっしりとつかんでいる。
「できないことなんてないんですよ」と朗らかに笑う連さん。その言葉の背景を聞いた。

祇園麵処むらじ店主
連(むらじ)恭子さん
京都府出身。1970年に寿司屋の娘として生まれ、京都文教短期大学卒業後、ウエディング会社に1年半勤める。22歳で結婚して専業主婦に。2人の子育てを経て、31歳でママ友の紹介で飲食店の立ち上げに携わる。十数店の立ち上げを経験した後、2015年ラーメン店『麺処むらじ』を京都の祇園にオープン
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ずっと変わらない京都で、長く続くお店がやりたかった
『むらじ』のコンセプトは「女性が喜ぶラーメン店」です。
体に優しくて、女性がスープを飲み干せるラーメンを作りたい。そんな思いでお店を始めて、濃厚だけどあっさりした、ポタージュのような口当たりの良いスープにこだわっています。
お店の空間づくりにも女性の観点を取り入れていますし、女性が一人でも入りやすいように、スタッフの7〜8割も女性です。女性店主だからできるおもてなしをして、心と体を休めてほしいと思っています。
お店を祇園に構えたのも、女性が大いに活躍できる場所でやりたかったから。祇園は舞妓さんや芸子さんがたくさんいる、女性が中心になって働いている場所ですからね。
そうやって女性に向けたラーメン店をオープンして、もう7年目になります。

もともと私は主婦でした。食べることは好きでしたけど、料理人でも何でもありません。
小さい頃から人と話すのが好きで、人と関わる仕事がしたいと思って飲食店でパートはしていたけれど、本格的に飲食の世界に入ったのは31歳の時。
きっかけはママ友です。「うちの会社で飲食店を立ち上げるんだけど、やらない?」と声を掛けてもらって。子どもも手が離れつつあったので、やってみようかなと思いました。
それから約15年間、飲食店の立ち上げや店舗運営に携わりました。カフェやバー、イタリアン、居酒屋、しゃぶしゃぶなど、さまざまなお店に関わり、立ち上げた店舗は10店以上。
当時はとにかく必死でやっていたけれど、40代に入った頃から「長いスパンで一つのお店を続けたい」と思うようになりました。
お客さんに喜んでもらうのが好きだから、飲食の仕事を続けることに迷いはなかったけれど、トレンドを追いかけるようなお店をやっていたから、はやりすたりの波がしんどくなってしまったんです。
京都は100年後も、おそらく大きくは変わらない場所です。祇園の風景は私が生まれた頃からほとんど変わっていません。そういうところで、私もずっと続く飲食店をやってみたい。
そう考える中で、子どもからお年寄りまでなじみがあって、気楽に食べられるものとしてラーメンが頭に浮かびました。そういえば子どもの頃から『餃子の王将』に行っていたし、結構食べるもんやなって。
そしてラーメンもまた、これからも変わらずあり続けるものだと思います。それはちょっと京都に似ているというかね。

ラーメン屋さんの経験は全くありませんでしたが、31歳で飲食業界で仕事を始めて以来、初めてのことばかりをやり続けていました。
最初はパート感覚だったけど、人材募集やアルバイト教育、チラシ配り、メニュー作りなど、店長のような立ち位置で全部を任されて。
必死で調べたり周りの人に聞いたりして、どうにか乗り越えてきた。だから、よく分からない中でやっていくことへの慣れはあったのだと思います。
女性向けのラーメン店なら、自分がやる意味がある
2年ほどの準備期間中、いろいろなラーメン屋さんを回りましたが、まず入りにくいんですよ。「一人では行けへんな」と思ったし、お店に入っても落ち着かない。お店の人にちょっとしたことも聞けませんでした。
なんでやろ? と考えたら、お店には男の人ばかり。アルバイトさんに女性はいるけど、作っているのは男の人だけだったんです。
「ラーメン屋さんは男の人の職業なんかな」って思いましたけど、それなら女の人でも入れるお店をやろうって。
それまで私がやっていた飲食店では、居心地の良さとお客さんとのコミュニケーションを大切にしていました。そういうお店で、かつ女性が気軽に入れることを目指すのであれば、私がやる意味があるなと思ったんです。

『むらじ』店内の様子
実際にやってみたら「女の人の力ではできへんな」が最初の感想でした。スープを作る寸胴(ずんどう)は大きいし、出汁を取る骨を潰すのにも力がいる。
でも、それならスープは私が持てるサイズの寸胴で作ればいいし、骨を潰すのも機械を使えばいい。
チャーハンは中華鍋を振る力がないから、味付けをして炊飯器で炊いちゃう。熱々の鉄板にチャーハンと卵を乗せて、炒める作業はお客さんにやってもらっています。
その辺は主婦の知恵ですね。他のラーメン屋さんから見て正しいやり方なのかは分からないけど、みんなの知恵を集めながら、長く続けるための工夫をしています。
コンセプト以外は「その時に考えればいい」
お店をオープンして半年たった頃から、海外のお客さんが増え始めました。「何を見て来てはるんですか?」と聞く中で、SNSの存在を知って。お客さんや若いスタッフに「どんな写真上げるん?」といろいろ教えてもらいました。
そうやって生まれたのが『檸檬ラーメン』です。「お客さんが撮りたいと思うような商品を作ればいいやん」と思ってね。
檸檬ラーメンができてからは、お客さんの6〜7割は女の人になりました。舞子さんが来てくれることもあるんですよ。

檸檬ラーメン
私はおしゃべりが好きなので、お客さんといろいろな話をするんです。そこから新しいアイデアが生まれることはたくさんあります。
というか、私の場合は全部やりながら。最初から準備を整えているわけじゃないんです。
最初に決めた「女性が喜ぶラーメン」というコンセプトだけはブラさず、枝葉をどう伸ばすかは「その時に考えればええわ」と思っています。
考えながらやるから多少時間はかかりますけど、やる前に頭で考えていても絶対うまくいきません。もし私がきちょうめんで、事前にめっちゃ考える人だったら、この仕事はできていないと思う。
情報が多く頭に入りすぎちゃうと、理想が固まっちゃうじゃないですか。想定と違うことが起きた時にどうしていいか分からなくなっちゃう気がするんですよ。
そもそも最初に万全な計画を立ててお店をやってる人って、そんなにいないと思います。周りを見ていても、適当な人間の方が残っているというか。アルバイトさんも何も知らん子の方が頑張ってくれることが多いように思いますね。
初めての挑戦は「聞く」で乗り越えてきた
20代で経験した子育ても、30代から始めた飲食の仕事も、40代で始めたむらじも、全て未知の世界でした。
分からないことは周りの人に聞きながら、「これができたから次に進もう」を繰り返してきたように思います。
特に30代は、仕事でノーとは言いませんでした。一度やってみて、駄目だったらその時に考える。そうやって初めての挑戦を繰り返してきましたね。
私は挑戦心が強い人間ではないですけど、好奇心はあるんだと思います。

あとは、周りの人を頼るのが上手なのかもしれませんね。頼りっぱなしにはしないけど、一人でできないことは人から教えてもらう。
鶏ガラのスープの取り方も、当時働いていたイタリアンのお店のシェフから教わったんですよ。ラーメン屋さんで働いたことがある子でね。そうやって全部周りの人に教えてもらってきました。
聞くことを恥ずかしいと感じる人もいるけれど、未経験だと恥ずかしいかどうかも分からないんですよ。だからこそ、よく分からないうちに聞いちゃおうという精神でやってきました。
実は、私は売上とかの数字が本当に苦手で。「ようそんなんでお店やってんな」って言われるぐらい。でも、それも困ったら人に聞いて教わったらいいやと思っています。
ね、適当でしょう?(笑)
「今より1日多く休みを取る」も立派な挑戦
お店の「むらじ」は、自分の名字です。子どもたちや親、その上の祖先と、大きな背景がある名前を看板にするからには、変なことはできない。そのプレッシャーはすごくあります。
でも、真面目にコツコツと「むらじ」の背景にあるものを思いながら仕事をしていけば、不安に思ったり迷ったりすることもないんじゃないかと思っています。
よく「未経験でラーメン店をやる不安はありませんでしたか?」と聞かれますけど、そう感じるのは「失敗したらどうしよう」と思っているからですよね。
私はこれまでスープをダメにしてしまって徹夜で作り直したり、逆に作り過ぎてしまっておいしくできたものを廃棄せざるを得なかったりと、数々の失敗をしてきました。
でも、失敗も経験です。同じ失敗を次にしなければいい。そんな風に気楽に考えてやってきました。
ある意味で怖いもの知らずというか、失敗を恐れる気持ちがあまりないんです。最初から完璧なんて無理だし、そもそも完璧なものなんてないですから。
だから、「ラーメン屋さんの経験がない素人ができるん?」って思っている人には「できる」と言いたいです。できないことなんてないんですよ。

私はこれまでのお店でいろいろな若い子たちと過ごしてきましたが、20代後半から30代にかけて、ものすごく年を取った気になっちゃっている子が多いように感じています。
「もう私にはチャンスがない」と言う子もいるけれど、全然そんなことないですよ。
私は50歳を過ぎて、人生100年だとしたらやっと折り返し地点だけど、それでも挑戦することはまだまだある。
でもね、人生100年と考えると気が重くなってしまう人もいると思うんです。だったら遠い先のことは考えなくていい。
私も先々を考えているかと言ったら、全く考えていないんです。
それは昔からで、先のことなんて考えられないし、考えたとしてもつらくなっちゃう気がして。達成できなかったら落ち込んじゃうと思うんですよ。
だから私が考えるのは、せいぜい来年のことくらい。
来年はね、今より休みを1日多く取ってみようと思っています。仕事は好きだけど、子育ても終わって子どもも独立したから、そろそろ自分の楽しみも見つけたいなと思って。
「1日でもいいから自分のために時間を使う」「自分の楽しみを見つける」。これが今の私の挑戦です。物事の大小に関係なく、新しく何かを始めるのは挑戦ですからね。

そのためにも、毎日の楽しみをつくりたいと思っています。
お客さんやお店の若い子に「最近何がはやってるん?」と聞いたり、お客さんのきれいなネイルを見たり。そうやって新しいことを知るのが私はすごく好きなんです。
今の若い世代は自分の好きなことを探求するのが上手ですよね。調べるのも上手だし、SNSを通じていろいろなことを知っている。私なんて自分の行動範囲のことしか知らないから、うらやましいなと思います。
だからこそ、もったいないと思うこともあるんです。たくさんのことを知っているんだから挑戦したらいいのにって。ネイルが好きなら自分でもやってみたらええやんって思うけど、それはまた違うみたい。
でも、好きなことの延長線上に何か素敵なものがある気がするんです。ちょっとしたことでも挑戦すれば「自分ってこういうのが好きだったんだ」って発見もある。
毎日楽しいものを見つけて、たまに新しいことをやってみる。そういう毎日のちょっとした積み重ねができるといいんじゃないかな。
「元気でいなさい。いつも笑っていなさい」
京都は昔からあるものを引き継いで、大切にする場所です。人生もまた、継続しないと何も見えてこないように思います。
私が子どもの頃から大事にしているのは、「元気でいなさい。いつも笑っていなさい」という親の言葉。

だから疲れたときは一旦諦めて、ちょっと休む。自分の心を強くするために、弱っている部分を吐き出して、元気を取り戻したらまた頑張る。その繰り返しでやってきました。
無理して頑張っちゃうこともありますけど、「なんか笑えないな」と思ったら一度離れてリセットすることを心掛けています。
そうやって50年生きて学んだのは、周りにいる人たちは自分の鏡だということ。元気な人の周りにいると元気になるじゃないですか。自分が笑顔でいれば、周りも笑顔になるんですよ。
一方で、物静かな人のそばにいると落ち着く人もいますよね。心地良さは人それぞれ違うから、最後はやっぱり「自分らしく生きる」ことが大切なんだと思います。
私は仕事が好きだけど、誰もが絶対に仕事をしなければいけないとは思わない。それは結婚や出産もそう。
型にはまることはしなくていいから、周りからどう言われたとしても、自分らしく生きて、自分がやりたいことを貫く。とにかく若い人には自分らしく生きる方法を見つけてほしいです。

私がこれからやりたいのは、むらじを長く続けること。
京都は時代に合わせてちょっとした変化があっても、根本は同じ。大きく変わらない環境で仕事ができるのは、恵まれているなと思います。
うちのラーメンもその都度変化はするでしょうけど、コンセプトそのものは変えません。
長く続く京都という土地で、むらじも一緒にできるだけ長く続けたい。それがこれからの私の大きな挑戦です。
取材・文・編集・撮影/天野夏海(写真は一部先方より提供)
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