マッドハウス渡邉こと乃「育児中に長編アニメ映画監督は無理」な現状を変えたい。“初めてづくし”の監督業をやり遂げた今思うこと

アニメ制作会社マッドハウスの次世代エースとして注目されるクリエーター、渡邉こと乃さん。

渡邉こと乃

TVアニメの監督や演出として『BTOOOM!』(監督作品)『ちはやふる』『ノーゲーム・ノーライフ』(演出作品)を送り出してきた彼女が、2023年1月27日公開の映画『金の国 水の国』にて長編劇場アニメ監督を務める。

原作の大ファンであることを口にしたところ、会社から「監督をやりませんか?」と打診があったという。うれしさと同時に抱いたのは、「子育てと両立しながら、長編映画監督なんてできるんだろうか」という不安。

さらに、映画の制作が始まったのは、コロナショック到来のタイミング。制作スタッフが物理的にスタジオに集まって作業ができなくなるなど、現場は混乱を極めた。

さまざまな困難が折り重なる中、どのように初めてづくしの大仕事をやり遂げたのかーー。

「作品愛は私が一番強い」“多幸感”あふれる最高のエンディングを目指した

渡邉こと乃

『金の国 水の国』は、2017年に「このマンガがすごい!」オンナ編1位を受賞した作品だ。

渡邉さんは原作者・岩本ナオ先生の前作『町でうわさの天狗の子』を愛読しており、本作について「本当に完璧な作品で、賞を取るのも納得でした」と読後の感動を振り返る。

当然、監督に抜擢された時は、大きな喜びを感じた。しかし、渡邉さんがアニメ監督を務めるのはTVアニメ『BTOOOM!』から約10年ぶり。TVアニメ以上に長編映画の監督は労力がかかる。

子育て中の自分にその大役が務まるのか、一気に不安も込み上げた。

渡邉さん

長編映画の監督となると、どうしても労働時間が不規則になりますから、業界的にも子育てと両立している女性監督はまだレアなんです。

私の身近にもそういう人はいなかったので、監督のポジションの打診があった時は、「本当に私でいいんですか……?」とつい口にしてしまいました。

渡邉こと乃

一方、「社内で作品を1番愛しているのは私だという自信はあった」と笑顔を見せる渡邉さん。会社からも「渡邉さんの作風と、『金の国 水の国』の世界観は合うと思う」と後押しがあり、監督を引き受けることを決意した。

本作の制作を進めていく上で、渡邉さんが特に重要視したのは「原作の良さをいかに伝えていくか」だ。中でも、原作を読んだ後に感じたエンディングの“多幸感”をアニメーションで表現することに注力したという。

渡邉こと乃
渡邉さん

クリエーターとしての我を出すよりも、原作を知らない人に原作の良さを映像でどう伝えるか、原作を読んだことがある人には原作の魅力を映像でどう感じてもらえるかをすごく考えました。

『金の国 水の国』は、キャラクターがとても魅力的ですし、巧妙な伏線が張りめぐらされているため、マンガだと何度も読み返して楽しむタイプの作品です。

渡邉さん

それを映像として1回見ただけで理解してもらうためには、ある程度は原作よりも分かりやすい構成や演出が必要になってきます。

そんな中、原作の伝えたいことと齟齬が生まれないようにバランスを取るのは非常に難しかったのですが、“多幸感”に包まれる最高のエンディングを迎えられるように、チームメンバーと試行錯誤を重ねながら作品をつくっていきました。

渡邉こと乃

育児との両立、コロナショック…未曾有の事態は「チームを頼って」乗り越えた

本作の制作を進めていく中で、不測の事態が生じた。それは世界中が混乱に陥った、コロナショックだ。

アニメ制作では、脚本と絵コンテ完成後に作画の制作へ取り掛かるのが主な流れだが、この作画の制作へ入るタイミングで、コロナ禍が到来。「本当にこの混乱の中で作品を作り切ることができるのか、不安を感じました」と渡邉さんは明かす。

渡邉こと乃
渡邉さん

ここからどんどん制作を進めていくぞ! というタイミングで非常事態宣言が出され、どうやってアニメ制作を進めていくのか考え直さなければいけなくなりました。

しかも、私も含めて制作スタッフの人たちの中には子育て中の人が複数いたので、学校がお休みになったり、自宅学習に切り替えたりして、子どものいる家で仕事をするのも難しくて……。

仕事がしたいのに思うようにできない状況に、フラストレーションがたまることもありました。

ただ、コロナ禍で直面した壁はチーム全体の課題。スタッフみんなが同じ状況だったからこそ、「この困難を一緒に乗り越えていくしかない」とチームの結束力は強まったという。

また、監督を引き受けることを決めた当初に心配していた育児と仕事の両立は、チーム体制を工夫することで乗り越えた。

渡邉さん

過去に長編映画の監督経験のある方に制作チームに入っていただいたり、関わってきた監督たちにコンテや演出に入ってもらったり、『もしも』のときに頼れる皆さんががっちり脇を固めてくれました。

最初から最後まで一人でやり切ろうとしたら絶対に乗り越えられなかったと思うのですが、経験のある人をうまく頼ったり、自分がどうしてもできない部分はスタッフに任せたり、周囲と協力することを心掛けたからこそこの作品を完成までもっていけたのかなと思います。

これまでは、「監督なんだから、人一倍働かなければ」「スタッフの誰より仕事をしなければ」という気負いもあった。ただ、本作を作り終えた今、渡邉さんが感じているのは「一人でやろうとしない」ことの大切さだ。

渡邉さん

子どもを育てながらだと、物理的に「仕事100%」の状態ではいられないし、出産前と同じような働き方はしたくてもできない。

そんな中で、「自分が監督をやるならどうすればいいか」から考えてチームを組んだり、うまく周囲を頼る働き方で制作を進めていくような前例がつくれたのは良かったなと思うんですよ。

もちろん、それでチームに負担をかけた部分もあると思うんですけど、「そうしていい」「そうやってやる人もいる」という前例ができないと、後身の女性クリエーターたちが出産後も活躍していくのは難しくなってしまいますから。

そのためにも、「誰かが道を切り開いて、ロールモデルになっていく必要がある」と渡邉さんは続ける。

渡邉さん

世の中の働き方改革の流れを受けてアニメ業界も変わりつつありますが、出産を機にやりたい仕事をあきらめたり、仕事を優先して結婚・出産をあきらめたりする女性がいるのも事実です。

だから、「そうしないでいいんだよ」って、私の働き方を通して言えたらうれしいですね。

本来、会社としても貴重な人材を失うようなことはしたくないはずですから、両立に不安があるならまずは相談してみるといいと思います。

渡邉さん

そして、「こんなことをやってみたい」「こういう働き方でそれをかなえたい」という意志を発信して、女性たちから働き掛けていくことも必要なのかなと思いますね。

そうすれば、会社も必要なアクションが何かということに気付き、結果的に女性だけでなくいろいろな事情を抱えた人たちが働きやすい環境に変わっていくはずですから

アニメ業界は今まさに転換期。多様な人材が活躍できる場に

働き方改革が進んでいく中で、渡邉さんが所属する制作会社マッドハウスでも、育休を取得する男性メンバーも増えてきたという。これまで長時間労働が当たり前だった業界だが、「今まさに転換期を迎えていると思う」と渡邉さんは実感を語る。

渡邉こと乃
渡邉さん

日本のアニメ業界はいま、昔ながらの働き方を見直して、多様な人材が活躍できる業界にようやく生まれ変わろうとしているところです。

そうすることで、私自身もそうですが、子育てをしながら監督をする人や、職場の外であらゆる経験を積んだ人たちが、アニメ制作に関われるようになっています。

すると、作品の表現もより多彩なものになっていく。日本のアニメがさらに洗練されていくのではないかと期待しています。

さまざまな壁を乗り越えて完成させた、映画『金の国 水の国』。「この作品が多くの人に夢を与える作品であると同時に、私の今回の挑戦が働く女性を勇気づけることができれば」と笑顔で語った。

取材・文/阿部裕華 撮影/赤松洋太 編集/栗原千明(編集部)

作品情報

映画『金の国 水の国』 公開日:2023年1月27日(金)

あらすじ
100年断絶している2つの国。<金の国>の誰からも相手にされないおっとり王女サーラと、<水の国>の貧しい家族思いの建築士ナランバヤルは、敵国同士の身でありながら、国の思惑に巻き込まれ“偽りの夫婦”を演じることに。お互いの想いを胸に秘めながら、真実を言い出せない不器用な2人の<やさしい嘘>は、国の未来を変えるのかー。観る者をやさしさで包み込む感動の物語

原作:岩本ナオ「金の国 水の国」(小学館フラワーコミックスαスペシャル刊)
声の出演:賀来賢人、浜辺美波、戸田恵子、神谷浩史、茶風林、てらそままさき、銀河万丈、木村昴、丸山壮史、沢城みゆき
監督:渡邉こと乃
脚本:坪田文
音楽:Evan Call テーマ曲(劇中歌):「優しい予感」「Brand New World」「Love Birds」 Vocal:琴音(ビクターエンタテインメント)
アニメーションプロデューサー:服部優太
キャラクターデザイン:高橋瑞香
美術設定:矢内京子
美術監督:清水友幸
色彩設計:田中花奈実
撮影監督:尾形拓哉
3DCG監督:田中康隆、板井義隆
特殊効果ディレクター:谷口久美子
編集:木村佳史子
音楽プロデューサー:千陽崇之、鈴木優花
音響監督:清水洋史
アニメーションスーパーバイザー:増原光幸
プロデューサー:谷生俊美
アソシエイトプロデューサー:小布施顕介
アニメーション制作:マッドハウス
配給:ワーナー・ブラザース映画
©岩本ナオ/小学館 ©2023「金の国 水の国」製作委員会