「女は男に劣るから東京大学に入れない」バイアスだらけの東大で中野円佳がジェンダー改革に取り組む理由
人生100年時代。年齢や常識に縛られず、チャレンジを続ける先輩女性たちの姿から、自分らしく働き続ける秘訣を学ぼう
その後はシンガポールへ生活の拠点を移し、二児の子育てとフリージャーナリスト、博士課程の学生としての活動を両立していたが、22年春に日本へ帰国した。
その理由は、東京大学でジェンダー改革に取り組むためだという。大手新聞社を辞めてフリーランスとして働いてきた彼女は、なぜ今、あえて大学組織の一員になることを選んだのか。決断の理由を聞いた。
「大学の変革」と「ジェンダー」。二つの軸がつながった
昨年3月、5年間を過ごしたシンガポールから帰国して、再び東京に生活拠点を移しました。東京大学の男女共同参画室で職を得たからです。
東大では、22年6月に多様性と包摂性の実現に取り組む方針を示した「東京大学ダイバーシティ&インクルージョン(D&I)宣言」を公表し、同年11月から女性リーダー育成に向けた施策「UTokyo 男女+協働改革#We Change」を始動するなど、大学組織の多様性改革を推進しています。
この取り組みで中心的な役割を担う男女共同参画室の一員となり、シンポジウムの企画やニュースレター作成など内外に向けた情報発信に力を入れてきました。
東大の男女共同参画室が教員を公募していると知ったのは、ちょうど日本へ戻ることを検討していたタイミング。
シンガポールに引っ越したのは夫の転勤が理由でしたが、そろそろ帰国の辞令が出るかもしれないと思っていたことに加え、下の子が小学校入学を控えていたこともあり、私自身も「日本に戻るなら今かな」と考え始めたのです。
そんな時に目にしたのが男女共同参画室の教員募集要項で、そこには「東大のジェンダー改革に取り組むメンバー」を募集する旨が記載されていました。
それを読んで、「自分にぴったりだ」と直感したんです。このポジションなら自分がこれまで経験してきたことを生かせるはずだ、と。
私は東大の学部生だった頃から、「大学を変えたい」という思いをもって活動していました。なぜなら入学直後から、周囲の学生たちの振る舞いに違和感を抱いたからです。
まるで東大合格がゴールであるかのように、学業そっちのけでサークル活動や飲み会にいそしむ学生もいれば、大学の授業は無意味だと言わんばかりに司法試験など次の目標に向かってまい進する学生もいる。
それを見て、「大学生活の過ごし方はこれしかないんだろうか」「大学に入った意味ってなんだろう」と疑問を持つようになりました。
とはいえ、私自身も入学したばかりで大学生活にどんな選択肢があるのかよく分からない。そこで、さまざまな活動に取り組む学生たちに話を聞き、時にはその活動に参加をさせてもらいながら、取材をすることにしたんです。
NPOやボランティア活動をしたり、学生団体でビジネスコンテストを実施したりと、目的を持ってやりたいことに取り組む学生たちの活動を本や冊子にまとめて全国を旅しながら売り歩いて情報発信しました。
その後、大学の授業の価値にも気が付き、「面白い授業」の紹介冊子を大学側の後援のもとで発行したり、高校生向けのガイダンスや新入生向けイベントを企画・運営したりもしました。
そうやって「学生生活のあり方は多様だ」と伝えることで、皆に大学を価値ある場として再認識してもらい、大学をより良い場所へ変えていきたいと思ったんです。
また卒業間際には、130周年に合わせて学生の意見やアイデアを大学本部に届けるための学生企画コンテストを発案しました。私にとって大学の変革は、当時から関心のあるテーマだったのです。
大学卒業後に新聞記者になったのも、情報発信によって社会のゆがみを明らかにするような仕事がしたいと考えたからでした。
その後、出産と育休取得を機に、組織におけるジェンダーの問題に関心を持ち、立命館大学大学院に入学してこのテーマを研究することに。
そこでまとめた修士論文では企業における女性活用の実態と課題を論じ、『「育休世代」のジレンマ』として出版しました。
この本を出したことをきっかけに、もっと個人として発信したいと考え、フリージャーナリストとして取材や執筆活動を続けてきました。
つまり私の問題意識を振り返ると、「大学の変革」と「ジェンダー」という二つの軸があった。
教育社会学の博士課程にも通っていて、関連もある。だから、東大の男女共同参画室の募集要項を見た時に、「これは応募するしかない」と思ったわけです。
ただ、私が見つけた男女共同参画室の公募は「教員」を募集するものだったので、基本的には博士号を持っているか、「それに準ずる業績を有する」ことが条件になっていました。
当時は博士課程の単位取得は終えていましたが博士号を取得しておらず、自分が「それに準ずる業績を有する」かどうかを考えたときに、ちょっと厳しいかもしれないとは思いました。
一般的に、女性は自分を過小評価する傾向が強いとされています。就職や転職に際してもクライテリア(採用基準)を男性は80%しか満たしていなくても自信満々で応募する人が多い一方、女性は120%満たしていないと応募しないなんてことが言われたりしますよね。
だから私のように基準を満たさない場合、応募をためらったり、見送ったりする女性が大半なのかもしれません。それでも私は「このポストには、自分が適任だ」と思ったので、応募することに決めました。
過去の経験のすべてが新しい仕事に生きている
結果はどうだったか。残念ながら、面接までは行ったけどそのときは不採用だったんですよ。でも、その後、研究員ポストの公募が始まったことを教えてもらい、これに再挑戦したら、採⽤してもらえました。
私が面接で「東大はせっかく良い施策を行っていても、うまく情報発信できていない」と熱意を伝えたからだと思います。こうして研究員として採用が決まり、男女共同参画室で働くことになりました。
1年たった今年初めには、教員職が再び公募され、そこに応募して4月から特任助教として採用されました。
まだ博士号は取得できておらず数年以内に取得を目指したいのですが、博士号取得に準ずる業績があるというふうに評価してもらえたのでしょうか。
働き方についても研究員時代はパートタイムでしたが、現在はフルタイムで東大の職務に従事しています。
男女共同参画室は各部局の教授が室員となり運営がされていますが、研究者としての専門分野は農学だったり工学だったりと、ジェンダーとは別分野の先生が大半です。
一方、公募された枠で採用された准教授の先生や私はジェンダー研究が専門なので、アカデミックな視点から「このテーマにふさわしいシンポジウムの登壇者は誰か」「ニュースレターではどのような表現を使うのが適切か」などを判断したり提案したりしています。
東大の男女共同参画の取り組みについて大学関係者がマスメディアの取材を受けるときは、新聞記者時代の経験を生かして、取材者への対応や現場の仕切りもこなすことも。
加えて、新聞社を退職後、企業のダイバーシティ&インクルージョン推進を支援する仕事に携わっていた時期があり、事業会社の現場や実務に触れる機会があったことも私の強みになっています。
例えば、「UTokyo 男女+協働改革#We Change」のロゴ制作やWEB作成もかかわっていますが、業者の選定や発注から納品までの段取りなどは、新聞記者やフリージャーナリストの経験しかしていなかったら分からなかったと思います。
東大には研究一筋のキャリアを歩んできた教員の方も多いため、大学の外の世界で会社員やフリーランスとして実務を経験してきた私のような存在は少数派。
マイノリティーだからこそ、自分のキャリアを生かして大学の変革に貢献できることはたくさんあると感じています。
東大が変われば、日本社会も変わる。その思いが原動力に
私は社会に出てから、ジェンダー不平等や女性であることによる働きにくさをたびたび感じてきました。では、この状況を生み出している原因はどこにあるのか。
それは日本人の多くが、社会に出る前の教育課程でジェンダーバイアスを刷り込まれているからではないかと考えています。
それは日本のトップ大学とされる東大においても変わりません。むしろ女性に対し、より強いバイアスがかかりやすい環境にあるのが現状です。
現在の東大は学生の男女比率が8:2で、女性教員の比率も16%に留まるなど、男性が圧倒的多数を占めています。
そして、男性中心の環境で大学時代を過ごした学生たちは、男性目線の性的ジョークに対する寛容度が高かったり、女性に対する偏見や間違った思い込みを持ったりしやすい。
学生や教員の女性比率が低いことについても、「学力試験は平等な勝負。女性は男性よりもともと能力が劣るから東大に入れない」と本気で思い込んでいる人も少なくありません。
しかし現実には、幼少期から学校や家庭で「女の子に学歴はいらない」といったバイアスを女性自身が刷り込まれているケースや、学力があっても周囲に東京の大学を受けることを反対される、応援してもらえないなどもあり、とりわけ女性は経済的に恵まれている環境でないと東大まで来づらいといった傾向も指摘されています。
教員採用や就職の場面で、同じ能力の男女がいたときに採用する側のバイアスで男性が優先的に選ばれている可能性もあるし、家庭における家事や育児の負担が女性に偏っているために優秀な女性が手を挙げにくい状況があるのかもしれません。
場合によっては恵まれている側にいた女子も含めて、多くの学生たちは、そんなジェンダー不平等が存在することに気付かず、自分が子どもの頃からゲタをはかせてもらっている自覚もないまま社会に出ていく。
企業経営者や政治家、官僚などで意思決定を担うポジションに東大出身者が一定割合いる現実がある以上、こうした偏見を持つ人材を再生産し続ければ、社会に与えるネガティブな影響が大きすぎます。
他の大学にも同様の問題はあると思いますが、特に男女比率がいびつであるうえに、中高生の目標となりがちな東大が変わることは、社会に大きなインパクトをもたらすことにつながるはずです。
東大では多様性と包摂性の実現に向けて、教職員や学生を含めたすべての大学構成員の意識改革に取り組むとともに、27年度までに女性教員の比率を現在の16%から25%へ引き上げる目標を掲げています。
やるべきことは山積みですが、目の前の現状をどうにかしたいという思いが、大学変革に取り組むモチベーションになっています。
人生は計画通りにはいかない。今いる場所でできることをやれば、必ず将来につながる
これまでのキャリアを振り返ると、大手新聞社を辞めたり、シンガポールへ移住したりと大きな方向転換を何度か経験しているためか、「よくそんな決断ができましたね」と言われることがあります。
でも正直に言うと、そこまで計画的に考えて行動してきたわけじゃないんです。
特にシンガポールへ行く直前の2年間は、新聞社を退職して事業会社で働き始め、大学院の博士課程に入学し、第二子が生まれて……と環境変化が重なり、思い出すのもつらいほどハードな日々でした。
もちろん仕事も大学院も自分がやりたくて始めたことでしたが、子ども二人が別々の保育園になったことなどで、予想以上にいっぱいいっぱいになってしまって。
このままでは自分がつぶれてしまうと思って環境を変えなくてはと思っていた矢先に夫の海外赴任が決まり、海外生活をしてみたかったこともあって流れに乗ってみることにしました。
でも、結果的には、この選択をして良かったと思っています。海外での5年間は、それまでとは異なる環境に身を置き、自分に何ができるのかを改めて考える貴重な機会になりました。
シンガポールという多民族国家で生活したことで、「多様性とはこういうものか」と肌で感じることもできたし、日本とは異なる教育事情に興味を持ち、現地の子育て世代にインタビューして一冊の本にまとめることもできましたしね。
また、現地では私と同じように夫の転勤についてきた日本人の女性たちとの交流も生まれました。
その多くは自分のキャリアを中断して日本を離れる決断をした人たちでしたが、そんな状況の中でも「将来のキャリアのために今何ができるか」を情報交換してきました。
先に帰国した仲間から再就職の報告を聞くことも多く、「ブランクがあっても、その時々で自分に何ができるかを考え続けていれば、キャリアはいずれつながっていくものだ」と励まし合ってきました。
20代の頃は、右肩上がりに昇り続けるキャリアしかイメージしにくいのではないかと思います。でも実際の人生は、デコボコ続きで計画通りにはいかない。
だけど焦る必要はなくて、今いる場所でできることを経験として蓄積し、将来に向けて温めておけばいいのだと思います。
そして、私が東大の男女共同参画室の求人を見つけたように、自分のやりたいこととこれまでの経験がマッチする仕事に就けるチャンスが来たら、迷わずチャレンジすることが大切ですね。
日本では「35歳転職限界説」とか「子どもがいる女性は採用されにくい」といった思い込みがまん延していますが、必ずしもそうとは限りません。
たとえ採用や評価の基準を満たしていなくても、自分が提供できる価値をアピールすれば、採用する側も意外と交渉に応じてくれることがありますし、今やブランクがある女性や子育て中の女性が採用される事例も珍しくないと感じています。
今の私自身のポジションは有期雇用なので不安定ですし、先々への不安もあります。周囲を見渡せば、働く人のためにいろいろと配慮してくれる会社ばかりではないし、夫や家族の反対にあう人も多く、女性がチャレンジできること自体が「恵まれた環境」とも言えるでしょう。
自信を持てない人やチャレンジできる環境にない女性にも門戸が開けるようにするのが、私の大学での一つの仕事だと思いますし、大学の変革とそれを発信することが、世の中の固定観念を解除していくとか、そういう社会構造のほうを変える一助になったらいいと思って活動をしています。
ジェンダーバイアスと同じように、キャリアについても社会の「こうあるべき」という固定観念を解除していくことが大事なのかなと思いますね。
自分自身は、「取りあえずやってみたらいけた」という成功体験を積み重ねる中で自信も湧いてきたし、今ではより広い視野でこれからのキャリアのことを考えられるようになりました。
現在の私は、本部組織である男女共同参画室のメンバーであり、ダイバーシティー担当の林香里理事・副学長を始めとする先生方と日々接しています。
指導的立場を担う人たちの行動や考え方を間近で見るうちに、将来的には自分も何らかの形でリーダー的ポジションを担う候補者の一人になれるのではないかという感覚を持てるようにもなりました。
大学などアカデミアの領域のみならず、企業の取締役会、あるいは市長や区長なども最近女性が増えていますが、政治の世界のようにまだまだ多様性が必要な領域は多々あります。
私はいま38歳。同世代の人たちは既に組織の中で重要な役職に就いていたり、意思決定を担っていたりする人たちもいますが、私の場合はまだ現場のプロジェクトをいくつかまわす程度の役回り。
でも、15年後には50代になり、子どもたちも手を離れているはず。そうなってから、担えるようなポジションや変えられそうなことがでてきたときに、「自分にはできない」とは思いたくない。
そのために、これからも今いる場所でできることに打ち込み、経験と実績を一つ一つ積み上げていきたい。今はそんなふうに思っています。
取材・文/塚田有香 撮影/赤松洋太 編集/栗原千明(編集部)
『教えて、先輩!』の過去記事一覧はこちら
>> http://woman-type.jp/wt/feature/category/work/senpai/をクリック