女性に効かない薬が世に出るリスクも? なぜ基礎研究の実験で「オスのマウスしか使われない」のか
日本の大きな課題である男女不平等。それによって、私たちの生活にはどのような影響が生じているのだろう。意外な分野で生じている課題について探ってみよう

医療の発展において重要な役割を担う基礎研究の現場では、実験の際「オスのマウスしか使われていない」事実を知っているだろうか。
「実験にメスを使わないのは研究開発の分野では常識とされています」と話すのは、九州大学大学院准教授の溝上顕子さんだ。
オスのみで実験をするのが当たり前とされる中で、溝上さんはオスとメスの両方のマウスを使って実験することで、肥満を抑えると期待される物質「オステオカルシン」の効果に性差があることを発見した。
「自分も女性なので、メスならどうだろうと試したくなったんです」(溝上さん)
そもそも生物学的に体のつくりが異なるオスとメスで実験結果に差異が出そうなことは、研究開発の現場からは縁遠いわれわれでも想像がつく。
それなのになぜ、研究開発の分野ではこのようなことが起きているのだろうか。

九州大学大学院 歯学研究院 歯学部門 准教授 溝上顕子さん
2006年、九州大学大学院歯学研究院博士課程修了後、博士研究員に。07年、出産を機に退職。10年、日本学術振興会特別研究員RPD(出産・育児による研究中断後に復帰するための制度)を利用し研究員の道に復帰。12年、第二子を出産。13年に九州大学大学院歯学研究院助教に就任。17年、九州大学大学院歯学研究院 OBT研究センター 准教授に就任し、現在に至る
オスとメスのマウスで真逆の実験結果が出た
——溝上さんは、「オステオカルシン」という物質の効果に性差があることを発表しました。どのようにしてこの発見に至ったのでしょうか。
オステオカルシンは肥満抑制効果があるとされる物質です。当初、オスのマウスを使って実験データを取っていたのですが、期待した結果が全然出てこなかった。
そこで、メスのマウスも使ってみたらどうかと考えました。
研究室では実験のために自分たちでマウスを飼育するのですが、以前、別の研究用にマウスの世話をしていたとき、オスとメスで太り方が違うことに気付いていました。
今回は肥満に関わる研究なので、もしかしたら何か違いが出るかもしれないなと。
特に確信があったわけでもないのですが、飼育している中にはメスのマウスもいるし、オステオカルシンを飲ませる手間は同じなので、とりあえずやってみようかという感じでした。

——そもそもなぜオスのマウスしか使わないのでしょうか。
メスは出産するので性周期があるんですね。人間は28日周期ですが、マウスは3〜4日と周期が短いこともあって、ホルモンバランスが安定せず、データが取りにくいと言われています。
だから実験にはオスのマウスを使うものなのだと、私たちは最初に教わるんです。
——ところが実験の結果、オスとメスでは大きな違いがあったわけですね。
メスでは脂肪細胞が小さくなったのに、逆にオスは大きくなり、糖尿病のような症状が出てしまいました。
これは男性ホルモンであるテストステロンが原因の一つであるだろうと考えています。
——同じように、性別によって効果や症状が異なる事例は他にもあるのでしょうか?
例えば、アルツハイマー型認知症は女性の患者数が多いことが知られています。
女性のほうが長生きだからというだけではなく、同じ年齢で比べても女性の発症率のほうが明らかに高い。
閉経による女性ホルモンの減少が影響しているのではないかなどとも言われていますが、そもそも生物として染色体レベルから違いますし、体の機能も異なります。
現在、私はこの原因を研究中です。なぜ性差が生じるかを明らかにできれば、社会的にも大きな意義があるのではないかと思っています。

世間を驚かせた性差の発見も、研究開発分野ではノーリアクション
——オステオカルシンの効果における性差の発見は新聞に取り上げられるなど、注目を集めました。研究開発の現場ではどのように受け止められたのでしょうか?
実は、研究者の世界では当たり前の話として受け止められていて、特に話題になるようなものではなかったんです。世間から広く注目していただいたことに、逆に驚いたくらいです。
——性差の発見は当たり前のこと……? それなら、なぜオスのマウスしか使わないのでしょう?
確かにメスでは違う結果が出るかもしれないけれど、オスとメスの両方を使うとコストが倍かかる。
それならば、オスだけで安定したデータが取れればいいじゃないか。
基礎研究の段階では、このような考えからオスのマウスを使うのが半ば常識になっています。
——ということは、人間においても「同じ薬が男性には効くけれど女性には効かない」なんてことがあるかもしれない……?
そうですね。
薬の開発など実用化の段階では、人への影響を考えて治験も行っていると思いますが、治験も男性をメインに行っているため、女性に対してあまり良い影響を及ぼさない薬が販売取りやめになった……なんていう話も聞いたことがあります。
本当は基礎研究の段階からオス、メスの両方で実験を行うべきなのですが、研究者の世界では、「メスのマウスも使いましょう」とは言い出しにくい雰囲気があるような気がします。オステオカルシンの実験を行った当時の私の上司は「やってみれば」と後押しをしてくれたのですが。

——日本のSTEM(科学・技術・工学・数学)分野は女性が少ないことを問題視されていますが、こういった雰囲気が醸成されているのは、やはり女性が少ないことも影響しているでしょうか。
意思決定層は、圧倒的に男性が多いです。私が所属している歯学部は比較的女性が多く、学生は男女半々います。ところが教員になると、ポジションが上がるほど女性がどんどん少なくなっているのが現実です。
私がメスのマウスを使ったのも、自分が女性だから「メスならどうなんだろう」と自然に思い浮かんだのかなと思います。
そういう発想が受け入れられやすくなるためにも、もっと意思決定の場に女性が増えるといいですよね。
これはサイエンスとしての公正性を保つ上でも、必要なことだと思っています。
性別学的性差があるのは事実ですから、基礎研究の段階から性差を考慮した研究を進めていくほうが、より良い成果を得られるはずです。
素人目線も「多様性」の一つ
——いまは世界的にも、STEM分野での女性の活躍が期待されていますが、環境の変化を感じることはありますか。
変わってきていますね。私は周囲に恵まれて、育児と研究を両立することができましたが、昔は自分の都合で先に帰りにくい空気があったと思います。
でも今では、大学としても社会の変化を踏まえて、積極的に女性を登用しようとしています。
留学生も増えているので、異なる文化や宗教、価値観を尊重し、折り合いをつけながらやっていくことが日常になりました。
ライフスタイルに合わせて勤務時間を調整している人もよく見かけます。
——あらゆる意味で、多様性は増しているということですね。
はい、これはとても良いことですね。
研究の現場では、多角的な視点があることがプラスに働くことが往々にあります。
性別に限らず、さまざまなバックグラウンドを持つ人がいればいるほど、新たな発見が生まれる可能性が高まるんです。

まだ私が大学院生の頃、それを実感した出来事があります。
当時、オステオカルシンが消化管からあるホルモンを出すのではないかという仮説のもと実験を行っていたのですが、マウスにオステオカルシンを注射しても、なかなか結果が出ないことがありました。
そこで、「注射ではなく、口から飲ませてみてはどうか」と提案したんです。当時の私は「消化管から出るホルモンなんだから飲ませた方がうまくいくはず」と思ったんですよね。
そんな学生の思いつきに対して、最初に教授が発した言葉は「うまくいくわけない」でした。
飲ませたら消化されてしまって、腸までいくわけがない、というのが教授の考え。今振り返ると、専門家であればそう思って当然です。
ところが、やってみたら私の予想が見事的中したんです。
後で教授に「これは素人でないと思いつかない発想だなあ」と言われたのですが、これも“素人”という異分子の視点が、新たな気付きを与えた例ですよね。
——研究開発分野でもいろいろな視点があることがプラスに働くんですね。
だからこそ、これからは研究開発に携わる人により多様性が生まれるといいなと思います。
まずは女性の教授など、トップに立つ女性が増えることが研究開発分野を多様化していくための第一歩と言えるかもしれません。
そうなれば、私が「自分も女性だからメスでも実験してみよう」と思い付いたように、「実験はオスでやるのが当たり前ではなく、オスもメスも両方考慮するものである」と考える研究室が増えるかもしれない。
こんな風に研究開発の分野に携わる人が多様化すれば、「性差などの属性によって違いがあって当たり前」という視点に立った研究が増え、より個別性の高い医薬品を生み出すことにつながるはずです。

そうやって、いずれは「女性である」なんて意識することもないくらい、多様な人たちが当たり前に活躍する環境をつくれたら理想ですね。
私もまた、自分の常識にとらわれて、良い意味での素人発想を排除するなど、多様な視点を軽視することがないように気を付けたいです。
——最後に、研究開発分野のジェンダーギャップに関する問題を前進させるために、私たちにできることはありますか?
今回のオステオカルシンの効果における性差の発見では、研究開発分野の中と外の反応に大きなギャップがありました。
外の世界との温度差を知ることは、現状を良くしていくことにつながります。
ですから、まずは研究開発の場で起きていることに関心を持っていただけるとうれしいですね。
外の世界の人たちが関心を持ってくれることが研究開発分野の意識を変え、問題解決への大きな一歩になるように思います。
取材・文/瀬戸友子 編集/光谷麻里
『意外な分野のジェンダーギャップ』の過去記事一覧はこちら
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