「27歳、私は会社から逃げ出した」英語力も料理経験もなかった彼女がハワイで話題のチーズケーキショップをゼロから起業できたワケ
新しいことを始める以上に、ずっと続けてきたことを辞めることは難しい。仕事、習慣、思考のクセ……何かを辞めて手放すことで「自分らしく働く」を見つけた女性たちの軌跡と変化を紹介します!
新卒で大手人材系企業に入社し、広告営業職として働いていた万福 佳奈子(Kana)さん。
現在は、ハワイで人気のチーズケーキショップ『ALOHA STATE BAKE SHOP』を経営し、夫と1歳になる娘さんと3人、穏やかに暮らしている。

会社員時代は、自他共に認める仕事人間。頭の中は常に仕事のことでいっぱいで、「生きるために仕事をしているのか、仕事をするために生きているのか、正直よく分からなくなっていた」と当時の心境を明かす。
「27歳の時に心身の限界を迎えて、会社からみっともなく逃げ出したんですよ。ハワイに行ったのも完全に何となく。会社を辞めた自分のことを誰も知らない場所に行きたいと思って、『とりあえず温かいところ』くらいの感じで選びました」
計画なんて一つもないまま、なりふりかまわずハワイにやってきたKanaさん。
料理経験も飲食店経営の経験も一切なかった彼女は、一体どのようにして『ALOHA STATE BAKE SHOP』をオープンするに至ったのだろうか。


『ALOHA STATE BAKE SHOP』Classic Vanilla Cheesecake
自分が心血を注いで取り組んできた仕事と大手企業会社員の肩書を手放すことで、異国の地でKanaさんが得たものについて聞いた。
目標や夢はなし。ただ、現状から逃げ出した
「もう無理や……」
そう気付いた瞬間を、今でも覚えています。
夜中に営業先のお客さまから呼び出された時でした。深夜に連絡が来ることなんて今までに何度もあったことなのに、その時、プツンって張り詰めていた糸が切れたんです。
新卒で大手人材系企業に入社して以来、5年間営業職として必死に働いてきました。営業の仕事が大好きで、だからこそ夢中だったんです。
営業は「人に物を売りつける仕事」だと思っている人もいるかもしれないけれど、私にとってはすごくクリエーティブな仕事。
目の前のお客さまをどうしたら助けてあげられるのか、どうやったら一緒に課題解決ができるのか、提案内容を考えて実行していくのがすごく楽しかった。
だから、当時は営業職として働くことに誇りを持っていましたし、ここで成績を上げて部下を育てて組織をもっと成長させたい一心でした。
一方で、お客さまと一緒に深夜まで飲むことも多く、起きている時はずっと仕事のことばかり考えていて。体力的にはきつい日々が続いていました。
「5年後もこのまま働き続けられるか」そう自分に問い掛けたときの答えは、明らかにノー。大好きな仕事だったけれど、思い切って辞める決断をしました。
それからハワイに行くことにしたのは、本当にただの思いつき。
誰も私を知らない場所に行きたい。できれば温かい場所がいいな……。「そうだ、ハワイ行こう!」もう、そんなノリでした。
でも、ハワイで何もしないのも退屈だから語学学校に行ってみようと思い、一番最初にヒットした学校に連絡して学生ビザを取得。日本を離れることになりました。
当時の私は27歳。営業リーダーでバリバリ稼いで昇進もして、キャリアは順調。
他人から見れば「なんで今辞めるの?」という感じだったと思います。
ですが、「今辞めなければヤバいぞ」という自分の心の声に従うことにしました。理由なんてなんだっていい。
場所なんてどこでもいい。貯金がなくなるとか、今まで積み重ねてきたものを手放すのが怖いとか、将来が不安だとか……。
そんなことを考えている余裕なんてなくて、夢も目標もないまま、みっともなく逃げ出したんです。
会社員時代に培った営業力で切り開いたハワイで生きる道
いざハワイに来てみると、語学学校の授業にはすぐに飽きてしまいました。
中学英語をネーティブの先生が教えてくれるような内容だったのですが、ちょっと物足りなさを感じてしまったんです。
そこで、語学学校に通う日数は卒業できる最低限にして、もっと現地の人と交流する機会を持つことにしました。
そのきっかけとして始めたのが、出張お料理教室です。

出張料理教室、地元の子供たちと
もともと料理は好きだったので、日本人が日本の料理をレクチャーする内容なら、意外と需要があるんじゃないかと思って始めてみました。
実は、日本でビザが取れるまでに時間があったので、『東京すしアカデミー』に通ってお寿司の握り方を学んでいたんです。「海外に行って寿司でも握ればちょっと目立てるだろう」という魂胆も少しありました(笑)
学生ビザなので料理教室をやっても生徒さんからお金はいただけないので、出張お料理教室は完全にボランティア。
お小遣い稼ぎにすらならなかったけれど、SNSや口コミで「日本人が日本料理を教えてくれてなかなかいいぞ」という話が現地で広がっていき、引き合いをいただけるようになりました。

「出張料理教室では、巻き寿司や日本のパンなどいろいろな料理を教えていました」(Kanaさん)

今振り返ると、英語が流暢に話せるわけでもないし、料理のプロでもないのに「とりあえずやってみよう」と思えたのは、営業時代に磨いた「物怖じせずに飛び込んでいく力」があったから。
アメリカ人にニーズがあるものは何か、それに対して自分にできることは何か……そうやって考えられたのも、まさに営業時代に培ったスキルあってこそだなと思います。
今のお店のことにも言えますが、私が見知らぬ国で道を切り開いていけたのは、全て会社員時代に得たスキルやマインドがベースになっていますね。
収入なし、貯金を切り崩す生活でも「不安はなかった」
私の人生って、いつも人との出会いで前進しているような気がします。
ハワイ大学の調理学部への進学を勧めてくれたのも、出張お料理教室で出会ったお客さまでした。
「お菓子作りが好きなら、ハワイ大学の調理学部へ行ってみたら? あそこのプログラムはレベルが高くて、全米のコンクールで金賞を取ったこともあるのよ」
そう紹介してもらって、語学学校も飽きていたし、大学行くのもいいなあって思って願書を出してみたんです。
私が通っていた語学学校がハワイ大学と提携していて、成績が中級以上だったら試験なしで大学に入学できたので、進学自体は簡単でした。
でも、入ってからが大変。ハワイに来て半年くらいたっていたけれど、英語の授業なんてまだまだ全然理解できなかったし、入学初期の頃は先生が何を言ってるのかさっぱり分からなくて(笑)
クラスメイトに助けられながら勉強して、時には遊んで、目の前のことに精一杯で……すごく楽しかったですね。

ハワイ大学時代、クラスメートと
考えてみれば、大学の学費もそれなりにかかるし、ハワイは生活費も高い。
学生ビザでは働くこともできないので、貯金と退職金はみるみる減っていくばかり……。
普通、危機感や不安感を抱くのかもしれませんが、当時の私にそういう気持ちは一切ありませんでした。
ただ、日本に居ながら学生をしていたら、そうはいかなかったかもしれません。
日本にいると「もう30歳手前なのに遊び暮らして……」なんていう声が聞こえてきそうですが、ハワイにいると一切そういう言われ方をすることがないんです。
ハワイに来てからは、人から年齢を聞かれたことがありません。
ここでは何歳でも、何をしていても、誰にも何も言われない。大学にも、さまざまな年代の人が学びにきていました。
何か大きな出来事があったわけではないけれど、人それぞれの多様な生き方を認めるハワイのカルチャーに自然と染まっていく中で、焦りや不安のようなものが消えたのだと思います。
就職直後にコロナ禍が到来! 起業は「これしかない」選択だった
1年間、ハワイ大学の調理学部で学び、何とかすべての課程を修了。
せっかくここまで来たのだから、もうしばらくハワイで頑張りたいと思って、現地で働いてみることにしました。
アメリカには「OPT(Optional Practical Training)」という制度があり、留学生は卒業後に最長一年間、専攻と関係のある分野で働くことができます。
私もその制度を使い、2020年1月にワイキキに拠点を構えるパティスリーに就職しました。
しかし、2カ月後の2020年3月、新型コロナウイルスの直撃によって、状況が一変。観光客が激減し、ワイキキにあったお店の売上はほぼゼロに。
私のシフトも週5勤務だったはずが、たったの「週1時間」になってしまいました。
OPTの規定では、週20時間以上の労働が条件になっているので、このままだと日本に帰らなければいけなくなってしまいます。
「何とかしてここで働かなきゃ」と考えた末、たどり着いた答えが、起業でした。
自分で事業を始めてしまえば労働時間も自分で決められるし、ハワイに居るにはこれしかない! そう思い立って、チーズケーキを焼いて車で配達するビジネスを始めたんです。
チーズケーキを選んだのは、うまく作れるものがチーズケーキぐらいだったから。
それに、チーズケーキなら冷凍しても味が落ちないので、たくさん作ってもフードロスにつながりにくい。
特別チーズケーキに思い入れがあったわけではないんですが、自分にできることを考えたら、ベストな選択だとおもいました。
そしてここでも、私の背中を後押ししてくれる出会いがありました。
ロックダウン中に足を運んだファーマーズマーケットで、ハワイで唯一のバニラ農家の方と出会ったんです。
すてきな家族経営の農園で、その日のうちにこの方が育てたバニラビーンズを使おうと決めました。

『ALOHA STATE BAKE SHOP』では、オアフ島で作られたバニラビーンズを使用。「ハワイで生まれたバニラビーンズを使ったチーズケーキって、ストーリー的にも魅力的でしょう?」(Kanaさん)
私のチーズケーキは、最初は現地在住の日本人に広まり、次第に現地のアメリカ人にも広がっていきました。
自分自身が心からおいしいと思える味を追求したので味はどちらかというとさっぱりしているのですが、こってり系のチーズケーキが多いアメリカではそれが逆に新鮮だったようで、「新しい味」として評価していただいたようです。
そして、OPTのビザが切れる頃には本格的に店を構え、ビジネスビザに切り替えました。
ここまで、私の人生に「計画」の二文字は一切なし。その場その場で「いいな」と思ったことに、とことん取り組んできた感じです。
傍から見たらちょっと危なっかしい生き方かもしれませんが、自分の狭い世界にとどまらず、人と積極的に交流して小さなトライ・アンド・エラーを繰り返していくことで、私の世界はどんどん広がっていきました。
“Fake it until make it!” 成し遂げるまでは、フェイクだってかまわない
店を構えてから1年半、その間に大学在学中に知り合ったハワイ在住の男性と結婚し、2022年5月には娘も生まれました。
出産と開業が重なったのは大変でしたが、それでも起業してよかったと思います。仕事のペース配分を自分で全部決められるので、子育てとの両立で都合がつけやすかったからです。
今ではお店を支えてくれる従業員もいますし、夫、義母、ベビーシッターなど、頼れるものは全部頼って、子育てと店の経営を両立させています。
ゆくゆくはケーキをレストランに卸すなどしてビジネスを広げ、店を従業員に任せて自分は経営に専念したいです。
会社員時代には、こんな未来がやってくるなんて夢にも思っていなかったし、「人に任せる・頼る」なんて発想もなかったので、一人でいろいろ抱え込んでしまっていました。
昔は仕事が人生のすべてだったけど、今はいい意味で「仕事は人生の一部に過ぎない」と思えます。
私にとっても『ALOHA STATE BAKE SHOP』で働いてくれている従業員にとっても、この仕事は生きていくための手段の一つでしかなく、万が一これがだめでも、また何かしらの仕事をして生きていくだけ。
かつて私は大手企業を辞めることを「逃げ」だと思っていましたけど、一生懸命やってみて、それでも「辞める」ことを選択したなら、それは「逃げ」ではなく「前進」なのだと、今では思います。
あの頃持っていたステータスや価値観を手放すという決断をしたからこそ、今がある。
そして、「今」を支えてくれているのは、間違いなく会社員時代の経験でもあります。辛い経験も、決して無駄にはなりません。
“Fake it until make it!”
これは、ハワイで私が尊敬している女性経営者の言葉で、「成し遂げるまでは、フェイクでもかまわない」という意味です。
やりたいことなんて、走りながら見つけたらいい。もう25歳なんだから、30歳なんだからなんて考えず、自分の好きなことを一度実践してみる。それでダメならまた別のことにトライすればいい。
今の時代、きっかけなんてどこにでも落ちているし、ビジネスチャンスも無限に広がっていると思いますね。
取材・文/宮崎まきこ
『働く女の辞めドキ』の過去記事一覧はこちら
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