「こうあるべき」を手放したら、新しい自分に出会えた。働く女性の四つの“辞め”ストーリー【特集まとめ】
新しいことを始める以上に、ずっと続けてきたことを辞めることは難しい。仕事、習慣、思考のクセ……何かを辞めて手放すことで「自分らしく働く」を見つけた女性たちの軌跡と変化を紹介します!
継続することも素晴らしいことだけれど、ときには手放す勇気も大切。何かを手放すことで、得られるものがきっとあるはずーー。
7月の特集「働く女の辞めドキ」では、現在の仕事や生活スタイルを自ら意思を持って手放し、その後の人生を大きく変化させた女性たちのインタビュー記事をお届けしてきました。
彼女たちは何を手放し、何を得たのでしょうか。四つのストーリーをまとめてご紹介します。
大手企業会社員の肩書を手放し、英語力・料理経験ゼロからハワイで起業

まず始めに、ハワイで人気のチーズケーキショップ『ALOHA STATE BAKE SHOP』オーナー・万福 佳奈子(Kana)さんの記事をご紹介。
新卒で大手人材系企業に入社して5年間、営業職としてバリバリ働いて誰から見ても順調なキャリアを歩んでいたKanaさん。しかし27歳の時に転機が訪れ、単身でハワイへと移住したそう。
27歳の時に心身の限界を迎えて、会社からみっともなく逃げ出したんですよ。
ハワイに行ったのも完全に何となく。会社を辞めた自分のことを誰も知らない場所に行きたいと思って、「とりあえず温かいところ」くらいの感じで選びました。
はじめは英語力も料理経験も一切なかったと語るKanaさん。一体どのようにして異国の地でお店をオープンするに至ったのでしょうか?
会社と定住を辞めて、車中泊で全国を周るウェディングフォトグラファーへ

活動拠点を構えて、毎日同じ場所で寝食をとる。そんな「普通」の生活を大きく変えたのが、ウェディングフォトグラファーのきゅ~さん。
新卒で入ったデジタルマーケティングの会社を辞め、現在は車中泊で全国を周り、絶景とともに新郎新婦の撮影をする日々を送っています。
入社した会社はフルリモートで、在籍していた2年半のうち、最初の1年半はずっと東京の実家で仕事をしていて。
当時は自分が今みたいな生き方をするなんて全然想像していなかったし、「このままでいいや」って思っていました。
転機は、厳しいプロジェクトからゆるめのプロジェクトに変わったタイミングで、冬の沖縄へ行ったこと。
当時、副業のウェディングフォト撮影は東京でしていたのですが、もっと美しい風景や自然とともに新郎新婦を撮りたい思いがあったんです。
多くの人にとっての「普通」の生活を手放せた、とてもシンプルな理由とは?
一時的に働くことを辞めて、半年間の「キャリアブレイク」へ

会社に入って仕事をしていると、1週間のうち大部分は働くのが当たり前になる。
しかし最近では、そんな「当たり前」とは異なる「キャリアブレイク」という考え方が注目されつつあります。
キャリアブレイクとは、離職・休職などキャリアの一時的な中断を肯定的に捉えること。
新卒入社した会社を2年目で退職し、約半年間のキャリアブレイクを経験した清水さんは「モヤモヤを抱えながら働き続けていた中、転職先も決めずに会社を辞めた」と話します。
仕事はとても濃密で、やりがいもあって充実していました。ただその一方で、2年目になった頃から「この生活がいつまで続くんだろう」と思うようにもなって。
自分が何をしたいかも分からなくて。だから、まずは「仕事を辞める」ことを選びました。
清水さんがキャリアブレイクを経験して得た、大切な気付きとは一体?
「芸人はこうあるべき」の思い込みを辞めて自分らしい価値を発揮

大人気お笑いカルテット「ぼる塾」のメンバー酒寄希望さんは、自身の育休中にメンバーが大ブレーク。
それをテレビで見る度に「私はいらないのでは?」という思いがよぎっていたと打ち明けます。
みんなの期待に応えなきゃ。「3人の時より4人になった後の方が面白いね」と思ってもらうべきだし、私がぼる塾に戻ったらこのグループをさらに面白くする最終兵器になるべきだ……。
そんなふうに自分で勝手に決めた、芸人とはこうあるべきであるという「あるべき論」で自分自身をどんどん縛りつけてしまっていたんですよね。
しかし、現在は自分らしい価値の発揮の仕方を見つけられたという酒寄さん。彼女に訪れた転機とは一体何だったのでしょうか?
『働く女の辞めドキ』の過去記事一覧はこちら
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