英語スキル・スポーツ知識ほぼ0でスポーツ通訳の道へ。佐々木真理絵の「できるかどうかより、まずやってみる」キャリアの歩み方
生き方も、働き方も、多様な選択肢が広がる時代。何でも自由に選べるってすてきだけど、自分らしい選択はどうすればできるもの? 働く女性たちが「私らしい未来」を見つけるまでのストーリーをお届けします
バスケットボールやサッカーの「スポーツ通訳者」として活躍する佐々木真理絵さんは、26歳の時「スポーツ業界で英語を使う仕事がしたい」と一念発起し、この世界へ飛び込んだ。
しかし当時は、ほとんど英語が話せなかったそう。さらに、ただ「スポーツが好き」なだけで詳しいルールや専門的なことは全く知らなかったと話す。
それでも、未知の世界へと一歩を踏み出せたのはなぜなのだろう。佐々木さんのこれまでの軌跡を聞いた。
変化のない日常に、スポーツへの熱が再燃
私は今スポーツ通訳者として、サッカーやバスケット、バレーボールのチームの練習や試合に帯同し、観客や他の選手に向けて外国人選手の言葉を通訳しています。
今の仕事に就けたのは、本当に偶然の産物でした。
私が大学卒業後に就職したのは、英会話スクール。大学3年生の時アメリカ留学をしたことをきっかけに、「英語に関わる仕事がしたいな」と思って選んだのですが、配属先は営業で。
日本人のお客さんの家にひたすら飛び込む日々で、スクールにネーティブの講師は在籍しておらず、英語を使うシーンなんて一つもありませんでした。
そんな日常に希望が感じられなくなってしまって、2年で退職。今度はネーティブ講師が在籍する、別の英会話スクールに転職しました。
いろいろな国の出身の講師たちと身ぶり手ぶりながらもコミュニケーションを取るのは楽しかったけど、仕事内容は講師のスケジュール管理や事務。次第に「この仕事は私じゃなくてもできるんじゃないか?」と思うようになってしまって。どうしても長く働き続けるイメージが湧かなくて、結局そこも退職してしまいました。
じゃあ何なら自分は熱中できるのだろうと考えた時、大学時代のラクロス部での経験を思い出しました。
ハードな練習をこなすのに毎日大変な思いをしていたけど、一つのことに情熱を燃やしていたあの頃が無性に懐かしくて仕方がない。
それなら、スポーツに携わる仕事はどうだろう? 当時の私を奮い立たせてくれたスポーツを仕事にできれば、私はもっと熱くなれるかもしれない。
そう考える一方で、英語を使う仕事をやってみたい思いもあって。「スポーツ 英語」などのキーワードで求人を探していたら、バスケチームのスポーツ通訳者の求人ページが何件かヒットしたんです。
当時、ほとんど英語を話すことはできず、とても通訳なんてできるレベルじゃなかったのに、気が付くと情熱と勢いだけで履歴書を送っていました。
通訳経験もバスケの知識もゼロなのに、採用された理由
履歴書を送った1週間後くらいに、『大阪エヴェッサ』というバスケチームに面接していただけることになりました。
結果は「残念ながら今の英語力では難しい」と言われてしまいましたが、面接官だったヘッドコーチから「熱意は伝わったから、一度試合に来てみない?」と言っていただいて。
またとない機会だと思って、二つ返事で観戦させてもらうことにしました。
そして試合当日、ヘッドコーチが会場から出てきた時に勇気を出して声を掛けたんです。
「私の今の英語力では、通訳として雇ってもらうのは難しいかもしれない。でも、私にできることなら何でもトライするから、もう一度チャンスを与えてほしい」って。
緊張したけれど、与えられた機会を逃すわけにはいかないと必死でしたね。そうやって熱意を伝えた結果、チームの練習を見学させていただけることになったんです。
とはいえ、当時の私はバスケのルールを詳しくは知りませんでした。もちろんバスケチームの練習を目にするのも初めて。
右も左も分からない状態だったけれど、それでも周りに常に気を配って、選手用のお水を用意したり練習場の掃除をしたり、私にできることなら何でもやりました。
そうしたら、その様子を見ていたヘッドコーチから「まずはマネジャー業務をメインに、通訳の勉強も前向きに頑張れるならぜひ来てほしい」とオファーを頂いたんです。
当時私は26歳。英語を学ぶのは好きだったけど、まともに日常会話すらできないし、バスケの知識も全くない。それでもオファーを受けることを決めました。
この先どうなるんだろう、という不安が全くなかったわけではありません。でももう会社を退職していたし、通訳学校にも通い始めていました。不安を覚えている余裕なんてなかったんですよね。
通訳学校はある程度英語が話せる人が通う場所なので、私にとってはレベルが高く、宿題も大量に出る。周りについていくので精いっぱいだったけれど、「やる」と決めたのだから、とにかく前に進むしかありませんでした。
昔の英語ノートを読み返した時に、今なら分かる単語をメモしていたのを見ると成長を感じる。
英語の勉強って、日々成長を感じるのは難しいけど、数年単位で見ると必ず伸びている。
そしてこの付箋可愛くて、当時お気に入りやった🍔 pic.twitter.com/9t5y0gLn6D— Marie Sasaki✿スポーツの通訳 (@marie_824) December 12, 2023
通訳なのに、一言も発せられずに終わることも
大阪エヴェッサに入って間もない頃に担当したインタビュー通訳は、正直、かなりレベルが低かったと思います。
ただ、私の英語力でもなんとかできるレベルのインタビューから経験させてもらったので、最初は大きな失敗を経験することはなくて。
大きな壁にぶつかったのは、『パナソニック・パンサーズ』というバレーボールチームの通訳を務めた時。
外国人コーチが選手に対して作戦や練習メニューについて説明するのですが、経験が浅くバレーの知識も全くなかった私は、直訳することさえ難しかったんです。
最初の頃は、何も言葉を発せられずに終わることが何度もありました。
バレーボールの通訳者は少数精鋭で、経験豊富な人が担当するのが基本。私のようにルールすら知らない人なんて、ほとんど存在しません。
だから適任者は他にいるだろうと思ったし、できない自分がとにかく情けなくて……。
でも、落ち込んでばかりもいられません。コーチや選手は私がバレーボールに詳しくないと知っていたので、正直に「今の言葉が分からなかったから、もう一度聞いていい?」と教えてもらうことにしました。
恥ずかしいなんて言っている場合ではなかったし、周りも「教えないと」と思っていたのかもしれません。
今でも「あそこでうまく言えなかった」とか「もっと良い伝え方があったな」と反省することは多々あります。
でもやっぱり私、スポーツの現場が何よりも大好きなんです。
知らなかった競技の専門用語を一つ一つ知っていくことも面白いし、海外遠征に行ってはいろいろな国の文化や考え方に触れながら新しい学びを得ていけることも刺激的です。
また、スポーツは筋書きのないドラマだとよく言われますが、常に何が起こるか分からないからこそ、新鮮な気持ちで仕事を楽しめます。
何より、試合に勝つために懸命に頑張っている選手やスタッフたちの力になりたい。そんな思いが私の原動力になっています。だから、どんなに大変なことがあっても前向きに頑張れるんだと思います。
一歩踏み出した先が正しいかは、後から判断すればいい
やりたいことがあっても、挑戦する前から「どうせ私なんて」と尻込みをしてしまう人もいると思います。
私も英会話スクールの仕事を辞めてスポーツ通訳の世界に飛び込んだ時、「自分にできるんだろうか」って不安はあったし、今もその思いがまったくないわけではありません。
でも、実際にやってみて「難しいかも」と気付けたら、それはそれでいいと思うし、そこから軌道修正すればいいだけのこと。
『大阪エヴェッサ』に応募したときも、受からなければ自分の実力不足だから仕方ないし、受かったら一生懸命やろう、くらいの気楽さは持っていました。
『パナソニック・パンサーズ』で通訳した2年間も、「通訳に向いていないのかな」と思ったことはあったけれど、やっぱりスポーツの現場に携わるのは楽しいと実感できたし、改めてこの道で頑張ろうと再確認することができた。
振り返れば、スポーツと英語が好きという理由だけでスポーツ通訳者をやろうだなんて、本当に無謀だったなと思います。
でも、あの時一歩踏み出していなければ、何も変わらなかったのも事実。だから、何もやらないうちからジャッジするのは違うと思うんですよね。
できないことを「できます」と意地を張るのはだめだけど、やりたいことがあれば「やってみたい」と、とにかく熱意をもって声に出すのは大切だと思っています。
スポーツ通訳の仕事を始めて10年。経験を積む中で、だんだんと自分の得意不得意が判断できるようになりました。
仕事で楽しく過ごせる時間、「自分らしく働けている」と思える時間の割合は、年々増えつつあると実感していますね。
もちろん、今も現場はとても好きですが、一方でそこに固執してはいけないという気持ちも強まっていて。
今後はスポーツ以外のジャンルにもアンテナを張っていきたいですし、「スポーツと通訳」を使って、何か社会貢献につながる取り組みにも挑戦したいなと思っています。
取材・文/モリエミサキ 編集/柴田捺美(編集部)
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