「私は松本梨香になるために生まれてきた」エンタメ界のレジェンドが常に“ご機嫌でポジティブな自分”を貫けるワケ
アニメ『ポケットモンスター』のサトシ役を代表に、エンターテインメントの第一線で走り続けている松本梨香さん。いつもニコニコ明るいパブリックイメージそのままに、彼女が貫いてきたのは「常に“ご機嫌な自分”でいる」ことだといいます。
長いキャリアの中では立ち直れないほどつらいことも、傷つくこともあったはず。それでも「ご機嫌な自分」で仕事に向き合い続けられるのはなぜなのでしょうか? 松本さんに語ってもらいました。

松本 梨香さん
横浜市出身。大衆演劇の座長である父を持ち、幼少より芝居の世界へ。舞台俳優、声優、歌手などマルチにエンターテイナーとして活躍。1988年、テレビアニメ『おそ松くん』の松野チョロ松役で声優デビュー、アニメ『ポケットモンスター』では主役のサトシ役を演じ、自身が歌う主題歌『めざせポケモンマスター』はダブルミリオンを記録。「ウルトラマンネオス」「仮面ライダー龍騎」、そして、現在放送中の「爆上戦隊ブンブンジャー」とスーパー戦隊シリーズで3作品のテーマ曲を歌った唯一の女性シンガー。持ち前の明るさと軽快なトークでラジオのパーソナリティーやバラエティー情報番組のコメンテーターなども務める。
2024年には初めてのエッセイ『ラフ&ピース』(宝島社)を発売。7月19日にはヴァレンティーノ役を演じた『怪盗グルーのミニオン超変身』の公開を控えている。X:@rica_matsumoto3、Instagram:rica.matsumoto、TikTok:matsumotorica3、YouTube:まつりかチャンネル
「どっちの自分が好き?」自問自答する、ぶれない私
いつも大らかに家族を包んでくれた母と、しっかりものの姉、天真爛漫な兄、そして大衆演劇の座長を務めていた父。私の生き方や仕事への向き合い方には、大好きな家族の影響が色濃く出ています。
特に父からは、エンターテインメントの師匠として多くのことを教わりました。「芸は身を助ける」と、子どもの頃から日本舞踊、ピアノ、三味線などいろいろな習い事をさせてもらってきたし、多くの役者を率いる座長とはかくあるべしという姿勢を背中で見せてもらいました。
今回、はじめてのエッセイ『ラフ&ピース』(宝島社)を執筆したのも、父から教わったエンターテインメントの根幹を本という形で残したいと思ったからです。

仕事でもプライベートでも「梨香はいつもポジティブだね!」と言われますが、そう見えるのは、どんな瞬間でも自分の好きな自分でいようと決めているからです。
例えば道で困っている人がいたら、どんなに余裕がなくても、絶対に声を掛ける。「声を掛ける自分とスルーしてしまう自分、どっちの自分が好き?」と自問自答してみると、「困っている人を見過ごす自分なんて嫌だ!」という気持ちが自然と湧き上がってくるんです。
だから、どんなときも「自分のありたい自分でいよう」「ご機嫌な自分でいよう」という選択を心掛けて生きています。
こういう考え方をするようになったのは、一つ上の兄のおかげかもしれません。兄にはハンディキャップがあって、身体が不自由でした。当時はそういった人への差別意識が強く、いわれのないことで兄をいじめたり言いがかりをつけたりする人がたくさんいたんです。
私はいつも「兄を守らなくちゃ!」と思っていたし、兄をいじめる人がいたら黙っちゃいなかった。内心怖気づいていても、「あんちゃんをいじめるな!」と強い相手に食ってかかったこともありました。
子どもの頃から人前に立ち、理不尽なことがあれば主張していたからこそ、「周りがどう思おうとも、自分の好きな自分でいる」という、「ぶれない私」がつくられていったのだと思います。
舞台俳優の道を断念、同期の言葉が立ち上がるきっかけに
そんな私にも、20代の頃とてもつらかったことがありました。それは大好きな兄を失ったこと、そして身体を壊して舞台俳優の道を諦めなければならなくなったことです。
もともと舞台俳優を目指していたのですが、初めて大役をいただいた舞台の本番中に兄が突然亡くなり、次いで私自身も重い結核にかかってしまったのです。
結局何カ月も入院することになり、「早く舞台に復帰したい」と今にも病院を飛び出しそうなほどあせってしまいました。
その私を「舞台だけじゃない、表現するところは他にもいっぱいある」と励ましてくれたのが、俳優の大先輩・名古屋章さんや、当時すでに声優として活躍していた俳優養成所の同期・山さん(山寺宏一さん)です。
お見舞いに来てくれたときに、「梨香なら声の仕事もできるよ!」と言ってくれたことが、声優の仕事へ背中を押してもらえたのだと思います。

退院して本格的に声優の仕事を始めたものの、しばらくは大きな葛藤がありました。自分1人の身体で演じる舞台俳優と、画面の向こう側で動く映像に気持ちを乗せ、絵と二人三脚でやる声の仕事では、表現方法が違ったからです。
振り返ってみると、この難しさと奥の深さこそが、長く仕事を続けてこられた理由だと思います。すぐできる簡単なことなら、できた気になって向上しようとしなかったかもしれません。
今日より明日、少しでも良い仕事ができるように、期待をかけてくれた人の思いを上回る仕事ができるように。そう心に誓って難しい仕事にチャレンジしてきたから、今があるのだと思います。
今でも難しい仕事を前に、心臓が痛くなったりお腹を下したりすることがあるんですよ。でもそのプレッシャーを乗り越え、這いつくばってでもその仕事をやり遂げれば自分を信じられるようになります。
そして次の難しい仕事にも、また立ち向かう勇気が生まれる。こうした経験から、とてつもなく難しい仕事をやり遂げ、思い切り自分を褒めながら進めば未来が開けるんじゃないかと思うようになりました。

昨年は「THE FIRST TAKE」で『めざせポケモンマスター -with my friends- 』を披露し、2023年最速で1,000万再生を突破し話題に。2024年7月現在は2700万回以上再生されている
気持ちを切り替えるのは得意じゃない。でも、自分の機嫌は自分で取る
ここまで「いつもご機嫌でいたい」とお話してきましたが、実は気持ちの切り替えが得意なタイプではありません。
1日3本の収録があったらヘトヘトになるし、役がなかなか抜けなくてずっと落ち込んでいることもあります。舞台の稽古中に演出家と思いっきりぶつかったこともありました。たくさん失敗してきたし、「自分ってダメだな」と思うことばかりです。
でも、そんな時でもできるだけ早く「ご機嫌な自分」に戻りたい。どんなにしんどいことや、悲しいことがあっても「自分のご機嫌は自分で取る」と決めているんですよ。
嫌なことがあったら、まずその場を離れて「無駄なことをする時間」をつくるようにしています。コメディ映画を見たりお風呂に入ったり、大好きな飼い犬と思いっきり遊んだり。自分が吹き替えを担当したアニメや映画を見て、元気を出すこともあります。
過去の仕事には元気で頑張っている自分がいるし、画面越しに自分の好きな自分と会える。それを見ているうちに、子どもたちからもらった応援の言葉を思い出し「よし、また頑張ろう!」と思えるようになるんです。そうやって時が経つと、抱えていたモヤモヤも晴れていきます。
そして次にスタジオの重いドアを開けるときには、心に抱えていた重たい気持ちを下ろして「よっしゃあ!」と自分に声を掛けて、笑顔になって大きな声で「おっはようございます!」(笑)

アンバサダーを務める商店街で撮影
私がなぜそうやって、長い間いろいろなことをがんばってこられたのか。それは「私は、松本梨香になるために生まれてきた」と思って生きていることが根幹にあるからです。
自分の好きな表現者「松本梨香」が、エンターテインメントを通じてみんなを元気にして、世界を平和にする。それは私がどれだけキャリアを積んでも責任が変わっても、ずっと変わらない目標です。
自分の成し遂げたい目標のため、そしてもっと好きな自分でいるために。これからもご機嫌にポジティブに、自分を信じて突き進んでいきたいですね。
書籍情報:松本梨香『ラフ&ピース』(宝島社)

歌手、女優、声優とマルチに活躍を続ける松本梨香さんの初エッセイ。
・歌とスポーツが大好きだった少女時代
・芸能活動での挫折
・作品との出会いと別れ
・これからの活動について
など、松本さんの想いをまとめた一冊が完成しました!
取材・文/石川香苗子