「全ての始まりはセーラームーン」宇宙タレント・黒田有彩が“宇宙への憧れ”を貫いて進むわが道
生き方も、働き方も、多様な選択肢が広がる時代。何でも自由に選べるってすてきだけど、自分らしい選択はどうすればできるもの? 働く女性たちが「私らしい未来」を見つけるまでのストーリーをお届けします

5歳の時に、アニメ『美少女戦士セーラームーン』を見て、宇宙に興味を持ったという黒田有彩さん。
「宇宙飛行士になりたい」と、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の宇宙飛行士選抜試験に2度挑戦するも合格することはかなわなかった。
それでも宇宙に行く夢を諦めずに、「宇宙タレント」という唯一無二の存在として、日々、宇宙の魅力を発信し続けている。
好きなことにひたすら向き合い続け、自分の未来を切り開いた黒田さん。それができたのは一体なぜなのだろう。

黒田 有彩(くろだ・ありさ)さん
1987年、兵庫県生まれ。中学2年生の時に作文コンクールに入賞し、NASAを訪れたことをきっかけに宇宙のとりこに。2006年、お茶の水女子大学理学部物理学科に入学。大学1年生の時にスカウトされ、タレントとしての活動をスタート。大学3年時に、10年ぶりのJAXA宇宙飛行士候補者募集が行われ、実務経験など募集要項を満たしていなかったが思いを伝えたい一心で応募。15年に事務所を退社。フリーで活動後、16年11月に個人事務所兼宇宙関連のプロジェクトを行う、株式会社アンタレス設立。18年、acaliに所属。21年から始まった13年ぶりのJAXA宇宙飛行士候補者募集では、実務経験を「タレントとして宇宙の魅力を発信すること」と定め、挑戦した。20年、YouTubeチャンネル『宇宙タレント黒田有彩』を開設し、宇宙に関する動画を投稿している■X/Instagram/YouTube
「宇宙に関わる仕事がしたい」NASAで抱いた原点

種子島スペースセンターにて
私が宇宙に興味を持つきっかけとなったアニメ『セーラームーン』のすごいところは、登場人物に惑星の英語名が付いていることなんです。
最初に主人公であるセーラームーンの仲間になるのがセーラーマーキュリーなのですが、「マーキュリー」なんて5歳の語彙(ごい)力にはもちろんなくて。「マーキュリーって何?」と母に聞いたら、「水星」だと教えてくれました。
そこから「水星ってなんだ?」と図鑑で調べてみたら、太陽系にある惑星だということを知って。惑星が並んでいるページはまるで宝石みたいで、とてもキレイだったんです。
もともと小さい頃から「なんでなんでマン」で、身近な疑問に「なんで?なんで?」と興味を持つ子どもでした。
「海の波はどこから来るの?」「なぜ父より母の声の方が高いの?」
そういった疑問を解決してくれるのが科学だったので、自然と科学や理科に興味を持つようになりました。中学2年生の時には科学に関する作文コンクールに応募し、入賞してNASAに行くことができたんです。
本やテレビの中だけで見て憧れていたロケットが目の前にそびえ立ち、「こんなに大きなものが飛んでいくのか……!」と衝撃を受けました。
大気圏に突入して真っ黒に焦げた宇宙船アポロも展示されていて。自分の目で本物を見たことで、「将来は宇宙に関わる仕事に就きたい」と思うようになったんです。

ただ、それがどんな仕事かはよく分からなくて。宇宙飛行士になりたいと思ったけれど、当時、募集は10年に一度くらいで、次はいつかもわからない。簡単になれるものではありませんでした。
それともう一つ、高校時代のダンス部での活動がきっかけで、宇宙の仕事に加えて「タレントになりたい」という気持ちも芽生えていました。
自由に自己表現をして拍手をもらった経験が何にも代えがたく楽しくて。「ダンスのように自己表現できることを一生やっていきたい」と思ったんです。
その時に私が、「大学に行かずに芸能界のオーディションを受ける」と言い出して、担任と両親は青ざめていましたけど(笑)
結果としては、「何か武器を身に付けてからオーディションを受けても遅くない」と周りの人たちがなんとか説得してくれて、「宇宙が好きだから」という理由で物理学科に進みました。未来につながるかは分からない選択でしたが、どうせ学ぶなら好きなことを学びたかったんです。
そして、大学進学とともに神戸から上京して、在学中にタレント活動をスタートするのですが、デビュー当時は食レポをしたり、クイズ番組に出たりと、宇宙とは関係ない活動をしていました。

役者の仕事で殺陣にも挑戦したタレント時代
仕事欲しさに、求められる型に自分を無理やり当てはめて、「あれもできます」「これもできます」とイエスマンをやりすぎた結果、何が何だかわからなくなってしまって……。それが20代半ばの頃。
今思えば、当時の私は「ノー」と言える強さや、それを上回るアイデアを持っていなかったですし、「誰にも負けない、私だからできること」を語れなかったんですよね。自分を見失いかけていたと思います。
そんな中で唯一、自分のこれまでが生かされたと思えた仕事が、NHK『高校講座 物理基礎』のMCだったんです。
「物理の面白さや難しさを理解している方にMCをやってほしい」というオファーをいただいて、うれしかったですし、それをきっかけに、自分が本当にやりたいことをだんだんと考えるようになりました。

NHK「高校講座 物理基礎」のMC時代
その時、「宇宙」と「タレント」という、私の中に常にあった両軸がつながったんです。
そこで一度、自分を取り戻すために、2015年にお世話になった事務所を辞めて独立し、2016年には法人を立ち上げることに。
それからはYouTubeを始めたり、宇宙を盛り上げるための相談に乗ったりと、宇宙特化型でやっております(笑)
宇宙に関する情報をアウトプットする場のYouTubeチャンネル「宇宙タレント黒田有彩 」ショート動画では宇宙に関する豆知識を発信している
他の人にはなれないから「最高の自分」を目指すしかない

「宇宙飛行士になりたい」という夢は今も持ち続けています。ただ、2021年に13年ぶりに募集された宇宙飛行士選抜試験を受けてみて、改めて宇宙飛行士の壁の高さを感じました。
宇宙飛行士になるには、五つの関門を突破しないといけないのですが、今回、私は第2関門で終わってしまいました。コロナ禍だったので初めてオンラインで試験が行われたのですが、なんと受験者の99%が面接官に会う前に終わっているんです。
テストはあらゆるジャンルから出題され、まずは基準の学力を満たす必要がある。さらにJAXAは国の機関なので、国民から応援される生き方をしている人でなければいけません。
つまり宇宙飛行士に選ばれるのは、学力も人間性も高いすごい人たちなんです。
受験したことで受験者仲間ができたのですが、「一度の人生でそれだけの肩書を持てるんだ」と思うような人たちばかり。さらに多趣味で、めちゃくちゃアクティブ。
そんなすごい方々と自分をつい比べてしまうのですが、今回、試験を受けたことで改めて「私は他の人にはなれないから、最高の自分を目指すしかない」のだと学びました。
リンゴはブドウに、ブドウはリンゴにはなれないけれど、それぞれ最高においしいリンゴとブドウになれるはずですから。

2017年8月、アメリカを横断した皆既日食を観測した
また、最近ではJAXAの宇宙飛行士になることだけが選択肢ではないとも思うようになりました。
民間企業の宇宙開発が進む今、民間の宇宙飛行士として宇宙に行く道もあるかもしれない。
いつか民間の宇宙飛行士が求められたとき、宇宙に行きたいと願うたくさんの候補者と、自分はどんな武器で戦えるのか。
宇宙を遠く感じたり、近く感じたりを繰り返しながらも、宇宙に行くことは諦めたくない。ただ、旅行者として宇宙に行くのは少し違う気がする。やっぱり宇宙開発に影響を及ぼしたい。「どうしたら宇宙開発に関わる形で宇宙に行けるのか」は常に考えています。
将来に焦ったらベン図を描いてみよう
最近、「自分らしい働き方」について、あまり考えなくなったことに気付いたんです。
20代中盤ぐらいまでは「自分らしさ」を考えながら、周りの人の状況と自分を比べていたのですが、それすらしなくなっていた。
ということは今、自分らしい働き方ができているんだと思います。
今後は宇宙飛行士の夢を追いながら、宇宙に関する教育分野に関わっていきたいと思っています。宇宙は遠くて自分とは関係ないと思っている人たちに、もっと宇宙を身近に感じてもらいたいんです。
今も学生に向けた講演活動や、部活動の顧問などをやらせてもらっているのですが、「宇宙って面白い」と思ってもらえるきっかけになれたらいいなと。

学生に向けた講演で自身の経験や宇宙の魅力を話す黒田さん
私が宇宙に引かれる理由は、常に新しい視点が手に入るからです。
例えば、太陽と月、地球の大きさ。私が子どもの頃に見た図鑑には、それぞれの大きさを比較するページがありました。太陽がページに収まりきらないほどの大きさで書かれていたのに対して、地球はとても小さな丸で、月はさらに小さな点。
それを見た時、「自分の見ている世界は断片的で偏っていて、本質は違うんだな」と思ったんです。
さらに調べていくと、太陽も宇宙の中ではそこまで大きな星ではなく、さらに大きいラスボスみたいな星が宇宙にはたくさんある。
宇宙の空間も時間軸も、自分の人生とは比べ物にならないくらい果てしない存在だということに衝撃を受けたんです。
当たり前だと思っていることが、ひとたび宇宙に出ると当たり前ではなくなる。全てのことが「奇跡の連続やん」と、宇宙を知れば知るほど、ものの見方がガラリと変わりました。
他に、月にお風呂を作る「ルナバスプロジェクト」にも取り組んでいます。「地球を見ながら入れるお風呂を月面に作りたい」と言い続けていたら、その道の専門家の方々が一緒に考えてくださることになって。
まだまだ夢物語ですが、言い続けてみるものだなぁと(笑)

内閣府「ムーンショットアンバサダー」としてイベントに登壇(写真右)
自分の20代中盤ごろを振り返ると、八方ふさがりのように感じていたなと思います。
「若い女性タレント」としての立ち振る舞いを求められることも多く、年齢を重ねるごとに自分の価値が失われるような風潮がとても悲しかった。
暗い未来しか描けなかった時期もあるので、20代の女性が焦るような気持ちになってしまうのはよく分かります。
そんな時には、昔、家族や先生に褒められたことを思い出してみてください。自分の原点や長所を思い出すことで、自分の良さが生かせる仕事に気付ける可能性は広がると思います。
例えば私は「話の聞き方が良い」と褒められることが多かったのですが、イベントに登壇するときなどに、長所が生かせているなと感じています。
一番良いのは、ベン図を描いて、「やりたいこと」「できること」「求められること」の三つの円が重なるところを職業にすること。うまく重なる部分がきっと、誰にでもあると思います。
そのためには、一つ一つのことに真剣に向き合うこと。それを続けた先に三つの円が重なる何かが見つかって、道が開けて行くのだと私は信じています。
取材・文・編集/石本真樹(編集部) 写真/ご本人ご提供
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