【江口拓也】順風満帆ではなかった20代、今でも「常に逆境の中にいる」人気声優のストイックさの源泉
この連載では、各界のプロとして活躍する著名人にフォーカス。 多くの人の心をつかみ、時代を動かす“一流の仕事”は、どんなこだわりによって生まれているのかに迫ります
「僕は、自分を“凡人”だと思ってるんです」
謙遜とも本気ともつかない表情でそう話すのは、2024年10月25日全国公開の劇場アニメーション『がんばっていきまっしょい』に出演する声優・江口拓也さんだ。
江口さんは、『機動戦士ガンダムAGE』主演、『SPY×FAMILY』ロイド・フォージャー役など数々の人気作品に出演し、確かな演技力、表現の多彩さを武器に声優界の第一線で活躍、飾らないキャラクターでも人気を博している。
しかし輝かしいキャリアの背景には、20代の下積み経験も。
「僕は常に逆境の中にいる」と語る江口さんが見出した“凡人”流のキャリアの築き方、そして長くいい仕事をするためのプロフェッショナリズムに迫る。

江口拓也さん
茨城県出身。2007年に第1回81オーディションに合格、TVアニメ『機動戦士ガンダムAGE』(2012年)にて主役を務めるなど、数々の人気作に出演。2023年第17回声優アワードで主演賞とMVS賞(Most Valuable Seiyu)をW受賞した X Instagram
青春物語の中で「自然な存在」を意識した
映画『がんばっていきまっしょい』は、自然豊かな愛媛・松山を舞台にボート部に青春を懸けた女子高校生たちの成長を描いた青春物語だ。小説を原作に、映画やドラマとして次々と実写化され、今回ついに初の劇場版アニメーションとなった。

江口さんが演じたのは、唯一の男子ボート部員でいつもボートのことばかり考えている「ボート馬鹿」こと二宮隼人。意識したのは、二宮のフラットで自然体な姿だったという。
この作品のコアな部分は「ボート部の女子高生たちの成長物語」。
二宮は同じ目標に向かう仲間でありつつも、唯一の男子部員かつボート経験者で、彼女たちにボートの基礎を教える立場でもある。
少し俯瞰した存在として、彼女たちがゴールを目指す姿を楽しく見させてもらったような感覚でした。

青春時代に異性に囲まれて部活をするなんて、変に意識したり圧倒されたりしちゃいそうじゃないですか。
でも、二宮にはそういう空気が一切ないんですよ。彼が自然体でそこに存在するからこそ、主人公たちはボートに夢中になれているのかもしれないなと。
そういう空気感を意識して演じました。

「圧倒的な努力と苦労」が今の自分をつくっている

今回は映画の「成長の物語」に関連して、江口さん自身の成長についても聞いてみた。
すると、「決して順風満帆ではなかったけれど」と前置きしながら、20代の下積み時代をこう振り返った。
声優として食えるようになるまで、新聞奨学生として専門学校に通いながらアルバイトを掛け持ちした時期もあります。
大変だったけれど、声優の仕事が本当に自分に向いているのか、成功できるかなんて、誰にも分からない。
だからまずは全力でやってみて、自分の目で見てできるかを判断したかったんです。
人からどう言われようと、苦しいことがあろうと、自分が納得するまでやってみて判断する。それが僕の気質でもあるし、生き方でもあります。

当時を振り返って、自分でも「よく頑張ったな」って思いますよ。圧倒的に努力や苦労をしたから、今の自分があるという自負はあります。
「もともと目立つのが苦手で、自分は“凡人”だと思っていた」という江口さん。キャリアが開けたのは、自分の強みやポジションを見つけられたからだと続ける。
ゲームの世界では、主人公の周りに戦士や魔法使いがいて、それぞれの役まわりがあって物語が進行していきますよね。
それと同じで、人間にも割り当てられた役割や、その人に向いているポジションが存在すると思うんです。
その中で僕はきっと、勇者にはなれないけれど、自分にしかできない役まわりはあるはずだと思って。
それを探しながら、周りに求めてもらえることを見つけていく。そんな自分を俯瞰した考え方は、比較的得意だったと思います。
自分のこだわりがなければ誰にも響かない
自分の強みを発揮できる場所を見つけた江口さん。彼が考えるプロフェッショナルとは、自分なりの「こだわり」を持つことだという。
一流のレストランに例えるなら、そのお店だけの味やスタイル、雰囲気など、何か一つでも個性やこだわりを感じると、人はまた足を運びたくなるじゃないですか。
それはどの仕事でも同じことが言えると思います。
その人なりのこだわりや信念を持って、自分にしかできないアプローチを追求していく。それができるのがプロであり、一流と呼ばれる人なんじゃないかな。

江口さん自身も、プロとして一貫して大切にする軸は「自分が本当に良いと信じられるもの」にあるという。
チームで一つの作品を作る現場であれば、いろいろな人の価値観やこだわりを擦り合わせたり、歩み寄ったりするのが大事ですよね。ゴールは良いものづくりをすることですから。
ファンに喜んでもらえるような作品をつくるのも、もちろん大切だ。しかし、世間の評価や反響は必ずしも期待した結果にならない場面もある。そんな時に立ち返るのが、自分自身の信念だ。
自分が本当に良い、価値があると信じるものは何か。世の中に届けたいものは何か。
信念を持たずに世間の評価や期待に寄り添い続けてしまったら、誰のために仕事をしているか分かりません。
それに、自分が本当に良いと思ったものじゃなければ、誰の心にも響かないと思っています。
好きで難しいからこそ、仕事を続けられる

さらに「声優」という職業の難しさについて、江口さんはこう分析する。
目に見えない、数値で表せない評価みたいな部分が圧倒的に多いと感じていて。役に対するアプローチの仕方も十人十色だし、正解が存在しないからこそ難しい。
そして当たり前ですが、世間に求めてもらえなければ自分の仕事はない。そういう意味では、僕は常に逆境の最中にいる。そう思っています。
世間から脚光を浴びる今もなお、決して自身に満足せず、さらなる高みを目指し続ける。過酷な世界に、ここまでストイックに向き合い続けられたのはなぜなのか。
そう尋ねると、「この仕事が好きだから」と至ってシンプルで真っ直ぐな答えが返ってきた。
子供の頃から大好きだった漫画やアニメという世界に関われる、この仕事が好きなんです。
仕事である以前に、自分が情熱を傾けられる対象だから、たとえ思い通りの成果が出なくても腐らずに続けられるのだと思っています。
もう一つ、江口さんが挙げてくれた「長く仕事を続けられる理由」。それもシンプルに「飽きなかったから」だと話す。
自分が生きていく上での楽しみは、明確な目標に向かって自分なりにアプローチしていくプロセスにあると思います。
仕事をしていれば当然つらいこともたくさんあるけど、そんなしんどさすらもやりがいに感じているというか。
難しすぎる仕事だからこそ、飽きずにここまで続けられたのかもしれません。
仕事との距離感を保つことも必要

とはいえ、どんなに好きな仕事であっても、本気で仕事に向き合うほど、自分の不甲斐なさや理不尽な現実に苦しくなったり、逃げ出したくなったりする人もいるだろう。
そんな読者に向けて、江口さんは「仕事との距離感を保つ」大切さを説く。
一生懸命仕事に取り組むことはすばらしいと思うし、僕もそうあるべきだとは思うんです。でも、そうしているうちに「仕事=人生」になってしまう人も多いんじゃないかなって。
僕たちは幸せになるために生きていて、働くわけですよね。なのに、仕事に命を燃やすあまり、本質的な意味や目的を見失ってしまったら本末転倒です。
だから趣味や生活を充実させて、仕事との健全な距離感を保つこと。どうしてもつらければ、仕事から離れる時間を持つこと。
そうやって自分をケアすることが、長く働き続けるために僕が大切にしていることです。
逆境を乗り越え、声優界の第一線で活躍する彼の言葉は、自身に向けてきた眼差しと同じように、厳しくシビアだ。しかし同時に、仕事に悩むすべての人への優しいエールにも聞こえた。
取材・文/安心院 彩 撮影/吉永 和久
作品情報:「がんばっていきまっしょい」2024年10月25日(金)全国公開!

1995年に「坊っちゃん文学賞」大賞を受賞。映画、ドラマなど次々に実写化され、いずれも大ヒットし話題を呼んだ青春小説の傑作、「がんばっていきまっしょい」。
自然豊かな愛媛・松山を舞台に、ボート部に青春をかけた女子高校生たちの成長を瑞々しく描いた物語が、ついに初の劇場アニメーションとなって全国公開!
原作:敷村良子 「がんばっていきまっしょい」(幻冬舎文庫)(松山市主催第4回坊っちゃん文学賞大賞受賞作品)
監督:櫻木優平
脚本:櫻木優平 大知慶一郎
主題歌:僕が見たかった青空「空色の水しぶき」(avex trax)
製作:がんばっていきまっしょい製作委員会 (松竹/バップ/テレビ東京/WOWOW/愛媛新聞/南海放送/テレビ愛媛/あいテレビ/愛媛朝日テレビ/エフエム愛媛)
配給:松竹©がんばっていきまっしょい製作委員会
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