不妊治療中に起業、事業急成長の裏で33歳で出産したmederi代表に聞く「不確かな未来と仕事」の両立論【坂梨亜里咲】
年収を上げたい。異業種への転職に挑戦したい。女性活躍を推進する時代背景も相まって、キャリアアップを望む女性は少なくない。
一方で、近い将来に直面するかもしれない「結婚」や「出産」といったライフイベントを見据え、一歩を踏み出すことに消極的になることも。
そんな不安を抱える人に、この人のキャリアを紹介したい。
オンラインピル診療『mederi Pill(メデリピル)』を運営するmederi代表の坂梨 亜里咲さんだ。

mederi株式会社 代表取締役 坂梨亜里咲さん
1990年生まれ、明治大学卒業後、ECコンサルティング会社にてマーケティング及びECオペレーションを担当。2014年より女性向けwebメディアのディレクター、COOを経て、同社代表取締役に就任(19年退任)。自らの長年にわたる不妊治療経験から「1人でも多くの女性が望むタイミングで妊娠・出産・キャリア形成が実現できる社会にしたい」と、19年よりmederi株式会社を創業。7年の不妊治療を経て、23年に第一子を出産■X
26歳で結婚し、不妊治療を継続しながら29歳でmederiを創業した彼女は、トータル7年間の不妊治療を経て、事業拡大のタイミングで妊娠、33歳で念願の第一子を出産した。
予測できない未来と向き合いながら起業という大きな挑戦に踏み出した坂梨さんは、どのようなマインドと行動で「不確かな未来」と「キャリア」を両立してきたのか。
一児の母となった35歳の坂梨さんが、“かつての自分”に伝えたいメッセージとはーー。
結婚後に不妊が発覚「これじゃあ子どもは生まれません」
「人」と「やりたいこと」を軸に会社を選んできた私は、大学卒業後にECコンサルティング会社を経て、24歳で女性向けWebメディアを運営している企業に転職しました。
プライベートでは26歳で結婚し、その直前に受けたブライダルチェックで私の不妊が判明。
「これじゃあ子どもは生まれませんよ」という医師の言葉を聞いて頭が真っ白になり、一時は絶望的な気持ちに襲われました。
でも、悲劇のヒロインモードに浸っていても現実は変わりません。「まずは、やれることをやろう」と不妊治療を開始しました。
幸運にも当時の仕事はWebメディアのディレクター職で、世間的にはリモートワークが浸透していなかった時期でしたが、柔軟な働き方がかなう職場だったんです。
仕事を退職して不妊治療に打ち込む方もいる中で、とても恵まれている環境だったと思います。

しかし、3年の不妊治療を経ても一向にうまくいきませんでした。
忙しい中で定期的に通院して、注射や採卵の痛みにも耐えたのに、なかなか妊娠に結びつかない。
その時、私は29歳。このままで良いのか、子どもがいない未来も想像しながら、自分は30代をどう生きていきたいのかを改めて考えなければいけないと思っていました。
30歳を前に起業を決意。事業は右肩上がり
理想の30代を考えた時に思い浮かんだのは、まず仕事のこと。
当時は子会社の代表取締役を務めていて、仕事は充実していたけれど、年収やできることの上限も見えていました。
この先もっと自分の価値を高めていくためには、より幅広い経験をして人間力を養う必要があります。
それならば子会社の社長ではなく、創業社長になって自分がやりたいことをやろうと決意したんです。私の30代の過ごし方が明確になった瞬間でした。
では何で起業するかと考えたとき、自分の唯一無二な部分を仕事にできたらいいのではないかと思い、妊娠・出産に関するヘルスケア領域に行き着きました。
この領域は、私が20代で最もお金を使い、絶望してきたこと。だからこそ誰よりもユーザーの気持ちに寄り添えるし、困難があっても折れずに頑張り続けられると思ったんです。
そうして、2019年、29歳のときにmederiを創業しました。それまで子会社の代表をしていたこともあり、経営に関しては大きな不安はなかったですね。
創業当初は自身の原体験を活かして、妊娠を強く希望する女性に向けたサプリメントと検査キットを販売していましたが、思うような結果に結びつかず、2022年から「オンラインピル診療」に事業転換をしました。
そこからは前澤友作さんが設立した“前澤ファンド”に出資していただいて、ユーザーも右肩上がりに伸びていって。私自身とにかく働きましたし、事業の手応えも感じていました。

いつでもスマホから簡単に受診できる、オンラインピル診療サービス『mederi Pill(メデリピル)』
事業拡大のフェーズで33歳に。体外受精で第一子を授かった
会社員時代にずっと続けていた不妊治療は、パートナーと相談した上で、創業と同時に一旦通院をお休みすることにしていました。
それまで全力で治療を続けてきたこともあり、このまま子どもを持てなくても後悔しないと自然と思えるようになっていたんですよね。
事業が軌道に乗るまでの3年間は、自身のホルモンバランスを整えるための「妊活」に切り替えて、仕事に振り切る覚悟を持っていました。
やれることはやってきたからこそ、数年は仕事に生きがいを感じて生きていこうと決意した感じですね。
一方で、子どもを持つことを完全にあきらめたわけではなく、妊孕力が顕著に下がる35歳を見据えて、33歳頃から再び不妊治療に向き合おうとは思っていました。
パートナーは子どもを望んでいたし、私もかなうなら子どもを授かりたかったからです。

そんな事業拡大のフェーズで33歳になり、再び不妊の現実と向き合うことに。
不妊治療を続けるか、他の方法を検討するか決めるにあたり、医師から着床可能性が低いと告げられた受精卵が一つだけ残っていたので、踏ん切りをつけるために体外受精をすることを決めました。
これまでのように「残念でした」と言われるだろうと覚悟して病院を訪れたところ、「着床しています」とまさかの結果に。
全く気が抜けないまま妊娠期間を過ごし、2023年12月、33歳で念願の第一子を出産することができたのです。
産後に学んだ「完璧」を求めない大切さ
会社は事業拡大のフェーズにあり、妊娠したからといって私が長期間休むわけにはいきません。
幸いにも妊娠中に体調を崩すこともなく、私自身が仕事をしたかったこともあり、出産の数日前まで働いて、産後も1週間で仕事復帰することができました。
でもやっぱり、産後は思うようにはいかないことも多かったですね。
出産のダメージから体力は衰えているし、宮崎から近所に越してきてくれた母に頼ろうにも、親だって年を取っていて体力が無限にあるわけでもありません。

事前に仕事と育児を両立しやすい環境を整えていたつもりでしたが、想定以上のことはいくらでも起こります。
仕事と育児の完璧な両立を求めると自分に失望してしまうので、社員に権限を譲渡することも増えました。
でもそのおかげで、完璧を求めずに周りに頼ることや、自分に合ったマネジメントの仕方も学べたように思います。
将来の不安は「困難があっても解決できる自分」が払拭する
不妊治療がうまくいかない、子育てとの両立がうまくできない。
これまで落ち込むことも失敗もたくさんありましたが、その度に乗り越えてこられたのは、私は願いをかなえるための「行動」をひたすら続けていたからかなと思います。
特に結婚や出産は、相手がいることであり、かなうかどうかは不確定な願いですよね。
仕事ならある程度自分でどうにかできるけれど、こればかりは「自分だけじゃどうにもならない」と思う人も多いのではないでしょうか。
私はそういった不確定要素がストレスになるタイプなので、とにかく行動することでストレスを感じにくい状況をつくっていました。
例えば結婚は、まずは出会わないと何も始まらないと、20代前半は毎日のように合コンに行っていて(笑)
気になった相手から思ったような反応が返ってこなくても、翌日には別の合コンが繰り広げられるので、悩んでいるヒマもなく婚活を続けることができました。
不妊治療もそう。もしだめでも後悔しないくらい、とにかくできることをやってきました。
それは仕事でも同じです。「私は誰よりも仕事をしている」と思えるぐらい熱量高く取り組んで、「これだけがんばっているのだから」と思えるまで行動量を増やしていくと、自然と自信が湧くんですよね。
悩む前に、行動に行動を重ねて、希望を見出す。全てその繰り返しで今の私があります。

過去3決算期の収益(売上高)に基づく成長率10596.7%を記録したmederi。2025年1月にはテクノロジー企業成長率ランキング「Technology Fast 50 2024 Japan」で1位を受賞した
不確かな未来に対して、不安を持つのは当然のこと。今この記事を読んでいる20代~30代の方も、これからどうなっていくか分からない将来に立ち止まってしまうこともあるかもしれません。
でも働く女性が、結婚や出産を見据えてキャリアアップをあきらめてしまうのは、とてももったいないと思います。
そんな人に私の経験から言えることは二つ。
まず、将来的に結婚や出産を望むなら、妊孕力が顕著に下がる35歳を起点に逆算して、そのステップを考えてほしいと思います。
まずは自身の子宮や卵巣の状態を知るためのブライダルチェックから始めると良いかもしれません。健全な状態であると知るだけでも、安心材料や自信につながると思うので。
そしてもう一つは、仕事で「自分を正しく評価してくれる人がいるかどうか」を意識して、働く環境を選ぶこと。
自分の能力や頑張りをしっかり評価してくれる環境なら、自分の努力を正しく自信につなげることができますから。その自信は、結婚や出産で働き方が変わっても変わらない自分だけの財産になるはずです。
「子どもを望んでもできなかったら……?」「できたらできたで、仕事はどうすれば……?」と今から不安に思うかもしれませんが、人生は意外となんとかなるものですよ。実際、皆これまでなんとかしてきているじゃないですか。
だからとにかく今できる行動を続けて、「いつか困難があっても解決できる自分」に成長すること。それが「不確定な未来」とキャリアを両立するための鍵だと、私は思います。
取材・文/小林香織 編集/大室倫子(編集部)