日本初の女性プロゲーマー 周囲からの「うまくいかない」を覆した、熱烈な“ゲーム愛”【チョコブランカ】
国際女性デー記念特集「先駆けの女性たち」では、各分野で「初」を成し遂げた女性たちにインタビュー。前例や常識に縛られず、新たな道を開拓してきた先駆者たちのチャレンジマインドを紹介していきます!

「プロゲーマーなんて、絶対にうまくいかない。周りからはそう言われて、親にも怒られました」
そう笑って話すのは、2011年に日本初の女性プロゲーマーとなったチョコブランカさんだ。
新卒で入った会社を半年で辞めて、アルバイト生活に。その後アメリカのプロチームからのスカウトを受け、プロゲーマーの道へと進んだ彼女。
今では海外チームでの活躍、会社を設立して大会運営や後進育成など、活動の場を広げてきた。
「プロゲーマーを辞めようか」と悩んだ時期もあったという彼女は、ロールモデル不在の道をどう歩んできたのだろうか。

チョコブランカさん
本名・百地裕子。1986年生まれ。兵庫県出身。2011年にアメリカのプロチームのスカウトを受け、プロゲーマーに。15年に株式会社忍ismを夫の百地祐輔さんと設立し、取締役に就任、eスポーツの大会運営や後進育成に尽力している。プレイヤー名は飼っていたウサギの名前「チョコ」とストリートファイターのキャラクター「ブランカ」に由来 X Twitch
「私、土日に仕事してる場合じゃない!」
子どもの頃から、ゲームが大好きでした。自宅には当時大ブームだったファミコンがあって、弟と一緒にいつも遊んでいたんです。
そんなゲームと共に育ってきた私の、転機は大学時代。就活が落ち着いた頃、友だちに誘われて行ったゲームセンターで格闘ゲーム『ストリートファイター』に出会いました。
100円を入れたら知らない人と対戦できて、勝ち上がればどんどん強くなっていく。今まで体感したことのない刺激に、あっという間にのめり込んでいきました。
そのうちにゲームセンターで開催されるコミュニティー大会の運営なども手伝うようになって、毎週末ゲーセンに入り浸るようになったんです。

画像はイメージ
大学卒業後はカーディーラーの営業職として就職しました。もともと車が好きだったので、やりたいことではあったのですが、その仕事は土日休みじゃなかったんですよね。
ゲームの大会は主に土日に開催されていたので、就職したら参加できなくなってしまって。
就活の時はゲーセンに通っていなかったので、これは大誤算でしたね……。そうこうしているうちに「私、仕事してる場合じゃない!」と思うようになったんです(笑)
仕事とゲームを天秤にかけた結果、ゲームを選び、入社1年目の秋には会社を辞めました。
そこからはアルバイト生活です。居酒屋や喫茶店、ゲームセンターなど、社会勉強のつもりでいろいろな場所で働きました。
会社を辞めたことで親には怒られましたけど、当時は若かったし、まったく不安はなくて。それよりも、好きなゲームを思いっきりできる環境を謳歌していました。
アメリカから届いた1通のDMから、プロの道へ
だんだんゲームの腕が上がり、海外の大会にゲストとして呼ばれる機会も出てきた頃、梅原大吾さんが日本初のプロゲーマーとして活動し始めました。
その時は「へぇ、プロゲーマーという生き方もあるんだな」と思う程度。
当時は交際中だった今の夫(ももち氏)が「自分もプロゲーマーを目指したい」と言っていたので、それは応援していましたけど、自分がプロになろうとは考えてもいませんでした。
そんな時、小さな大会で思いがけず当時「最強」と言われていた有名なゲーマーを『ストリートファイターIV』で倒すことができまして。
試合の様子がネット配信で拡散され、アメリカのプロチームのオーナーの目に留まり、スカウトのメッセージがFacebookに届きました。
「ももちと2人一緒に、うちのチームに来ないか」って。
まさか夫と一緒に自分も声を掛けられるとは思っていなかったので驚きました。
だって、私は当時そこまで強くなかったんです。「私がそんなに強くないこと、ちゃんと分かってますか?」と確認したくらいでした。
そうしたらオーナーが「チョコブランカにしかできないことがあると思うから、スカウトしたんだよ」って。
具体的にそれが何かは「活動しながら考えてみて」と教えてくれなかったんですけど。そこまで言ってくれるならとりあえずやってみよう、とプロになることを決意しました。

初めてのアメリカ大会で緊張しているチョコブランカさん
自信が付けば、ネガティブな声は気にならなくなる
当時は、プロゲーマー自体がめずらしい職業な上に女性初ということで、注目されて話題にしてもらえることも多かったです。
でもそれは、良いことだけじゃなくって。誹謗中傷や、好き勝手にあれこれ言われることもありました。
eスポーツは男女差や体格差によるハンディがないし、プレーヤー同士でも女性だからといって特に気を使われなかったので、それまで私も性別を意識したことはなかったんですよね。
でも配信を見ている人の中には、男性プレーヤーにだったら絶対に言わないような容姿批判や差別的なコメントをしてくる人たちもいて。
それ自体は別に気にしてなかったですけど、私の存在まで批判された時は思わず反応してしまいましたし、「下手」とあおられることは結構しんどかったです。
私の存在がチームやゲーム界にとってプラスになれていないなら、引退した方がいいんじゃないかと悩んだ時期もありました。
夫に話を聞いてもらったり、チームで一緒に頑張ってくれている子たちを見て「自分もしっかりしなきゃ」と思ったりして、何とかここまで続けてこれましたけどね。

でも今振り返ると、そんな周囲の声が気になっていたのは、自分でも何をやるのが正解か分からず、行動に自信がなかったからだと思います。
私は仕事として対価をもらっているからには、何らかの成果を出してチームに貢献したい、自分にできることは何だろう? というのを、ずっと考えていて。
ゲームのコミュニティーを広げるために、後進の育成や大会の開催などに力を入れたり、女性ゲーマーを増やせるような取り組みをしたり、自分のできることを模索していきました。
いろいろやってみて、「これが自分の役割なんだ」と確信が持てるようになった頃ですね、周りのネガティブな声が気にならなくなってきたのは。
そこで自分はプロゲーマーとしてやっていくという覚悟も決まったように思います。
20代でセカンドキャリアを見据えて会社を設立
プロゲーマーって基本的に1年契約で、更新がなければ無職なんですよ。毎年「更新してもらえるかな」とドキドキしていました。
そこでセカンドキャリアを考えて、2015年に夫と「忍ism」という会社を立ち上げました。
忍ismは大会運営と後進育成を事業の軸にしていて、今ではメンバーが成長してプロリーグで活躍する選手になり、日本国内のeスポーツ業界の盛り上がりに貢献できるような会社になりつつあるかなと思います。
ちょうど先日、後進育成を事業継承したタイミングなので、今後はまた役割を変えて新しい取り組みをスタートさせようとしているところですね。

仕事をスタッフに任せられる環境も整ってきたので、私も一度初心に立ち返り、プレーヤーとしての活動にも改めて力を入れていきたいと思っています。
配信などの個人での発信活動にも時間を使って、自分自身のプレーヤーとしての新たな可能性に挑戦していきたいですね。
「好き」を信じ続けたから今がある
プロゲーマーになる時は、周囲や親から「絶対うまくいかないから、やめときなよ」なんて声もありました。
でも自分が好きで、ワクワク楽しめることなら、やった方がいいに決まってます。
もちろん仕事なので、しんどいこともあって、私ですらゲームをやめたくなるときもありますよ。
でも不思議なことに、数日経つとまたやりたくなってるんですよね。やっぱり私、ゲームが好きだなぁって。
好きだからこそ、何があっても頑張れるし、続けられるんだと思います。

実は会社経営でも本当にヤバい時が何度かありましたが、ゲームも、守るべきスタッフのことも「好き」だから何とかして来られました。
好きな気持ちはつらい時に一歩を踏み出す勇気にもなるし、乗り越えた先にはまた新しい景色が見える。もう、ワクワクしかないですよ。
「好き」を信じて、諦めずに続けること。そうすれば「前例がない」とか「周りの声が気になる」ことも無くなるんじゃないかなって思います。
取材・文/古屋江美子 編集/大室倫子(編集部)
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