
アパレルPR→インフルエンサーマーケの仕掛け人へ。トレンドの渦中で「とりあえずやってみる」大切さ【タグピク安岡あゆみ】
生き方も、働き方も、多様な選択肢が広がる時代。何でも自由に選べるってすてきだけど、自分らしい選択はどうすればできるもの? 働く女性たちが「私らしい未来」を見つけるまでのストーリーをお届けします
SNSが人々の価値観や消費行動を動かす時代。その変化の最前線で、インフルエンサーを起用したマーケティング支援を行うタグピク株式会社のCEOを務めるのが、安岡あゆみさんだ。
現在SNSで数万人のフォロワーを持つ彼女だが、タグピクの主役はあくまでインフルエンサーたち。
今から約10年前、「インスタ売れ」や「インフルエンサーマーケティング」という言葉がまだ世に定着していなかった時代に「個人の発信力が、社会を動かす」と確信。安岡さんはどこよりも早く事業を立ち上げ、仲間を集め、業界をけん引する存在へと成長させた。
彼女はなぜ、まだ誰も注目していなかったフィールドに飛び込み、自分らしい未来を切りひらけたのだろうか。

タグピク株式会社 CEO 安岡あゆみさん
2010年に新卒で株式会社ピアラに入社。約3年間、同社のブランド事業部が運営するアパレルブランドの立ち上げからプレスとして携わる。15年に「インフルエンサーのべーシック・インカムを創る。」をビジョンに、国内最大規模の約5000名のインスタグラマーを束ねるタグピクを創業。タグピク子会社のマルシェ株式会社においてはD2C支援ソリューションの開発責任者として兼任 X Instagram
アパレルPRから見えた「個人」の新しい可能性
もともとファッションが大好きで、大学時代は服飾を学びながら読者モデルとして活動していました。
将来は「洋服をつくる人になりたい」という思いもあり、新卒でECマーケティングを扱う企業に入社。代表から「ブランド事業部を立ち上げるから、一緒にやってほしい」と声を掛けてもらい、立ち上げメンバーとしてブランドづくりに関わることになりました。
商品企画からPR、さらにはイベントで店頭に立つことまで──とにかく毎日がむしゃらで、目の前のことに全力で向き合っていたのを覚えています。
当時はまだ「インフルエンサー」や「インスタ売れ」という言葉もなかった時代。PRといえば雑誌広告が王道で、認知拡大の手段も限られていました。
しかも私たちは新規事業ということもあり、広告にかけられる予算はわずか。
どうすれば、少ない予算でも商品を知ってもらえるのか。日々模索する中で思い出したのが、読者モデル時代の仲間や、当時勢いのあった人気ブロガーたちの存在でした。
彼女たちに商品を提供し、ブログやSNSで紹介してもらうという方法。今では一般的なインフルエンサーマーケティングですが、当時はまだ確立していなかったやり方で、完全に手探りでした。だからこそ、おもしろかったんですけどね。

読者モデルで結成された『マーブリー』。安岡さん本人もメンバーとして出演。写真は『マーブリーTV』(青山TVライブオンライン)HPより引用
大きな転機となったのは、ある人気女優の方が、個人ブログでうちのブランドの服を紹介してくれたことです。
たった一言「今日の衣装」と添えられたブログが公開されるやいなや、ECサイトはアクセス集中でサーバーダウン。実店舗にもお客さまが殺到し、商品は即完売。あの瞬間の衝撃は、今でも鮮明に覚えています。
テレビCMを打つよりも、一人の「個人の声」が何倍もの影響力を持つ──そんな現実を目の当たりにして、「これからはメディアの力関係が変わる時代がくる」と肌で感じたんです。
「この力を使えば、もっとたくさんの良いモノを世の中に届けられるかもしれない」。そう思うと、ワクワクが止まりませんでした。

やがて、自社ブランドにとどまらず、もっと広くいろいろな企業や商品の魅力を伝える仕事がしたい、という思いが芽生えていきました。
そして25歳の時。SNS、特にInstagramというまだ未開拓のフィールドで、PRとして独立することを決意しました。
会社員という安定した立場を手放すことに不安がなかったわけではありません。
でも当時の私は、「30歳までにやりたいことは全部やる! 失敗しても、死ぬわけじゃないし!」と、本気で思っていたんです。未来を信じる力だけが、自分の中にしっかりありました。
泥臭く、誠実に。SNS時代のPRを切り拓いた軌跡
PRとして独立したものの、すぐに現実の壁にぶつかりました。特に大手企業からは「フリーランスとは契約できません」と、門前払いされてしまうことが多かったんです。
だったら、会社にしてしまえばいい。そう思い立ち、まずは個人事業主として活動を始め、そこから法人化へと踏み出しました。
事業の規模や体制を整えるというより、「仕事を前に進めるために必要だったから」それだけの理由でした。
その後の大きな転機になったのが、タグピクの共同創業者となる泉健太(現・CSO)との出会いです。
共通の知人を介して知り合い、「個人の影響力が世の中を変える」という未来像を語り合った時に、熱量もスピード感もぴったり合って、出会ってすぐに意気投合しました。

写真はタグピクの子会社が展開するブランド『BRANCHÉ CHOCOLAT』誕生秘話を語ったインタビューより引用。写真左が泉 健太さん、中央はシェフの薬師神陸さん。
そして2015年9月、Instagramに特化したPR会社として、タグピクを設立。ボードメンバーを集めて、登記をして、事業計画を練って──これらすべてを、わずか1カ月でやり切りました。
今振り返ってもかなり無茶だったと思いますが、「今動かなきゃ、きっと誰かに先を越される」という焦りと勢いが、私たちを突き動かしていたのです。
当時はまだ、企業がお金を払ってインスタグラマーにPRを依頼することに対して、懐疑的な空気が強くて。「本当に効果あるの?」といった声もたくさん耳にしました。
でも私は、確信していたんです。「Instagramは、雑誌とテレビの役割を併せ持つ、次世代のメディアになる」と。
だからこそ、創業当初から「インフルエンサーのベーシック・インカムを創る。」というビジョンを掲げて、インフルエンサーという存在を一過性のブームではなく、一つの“職業”として社会に定着させたいと本気で思っていました。
今では、年収数千万円を稼ぐインフルエンサーも現れ、その価値がようやく社会に認められつつあると感じています。
一方、過去にはうまくいかなかったことも数々ありました。例えば、YouTube領域でマネジメント事務所を立ち上げたことがあったのですが、Instagramとは文化も価値観も違っていて、ブランドイメージとのズレも大きく、最終的には事業をクローズする判断をしました。
でも、この経験があったからこそ、今のタグピクのスタイルが出来上がったとも思っています。
現在は、インフルエンサーを専属で抱えるのではなく、ブランドや商品の特性に合わせて最適な人を起用する“キャスティング型”のPRに力を入れています。
トレンドは常に移り変わるし、「万能なインフルエンサー」は存在しない。だからこそ、私たちは常に新しい才能を発掘し続ける必要があるのです。

タグピクの子会社マルシェでは、スイーツブランド『BRANCHÉ CHOCOLAT(ブランシェ・ショコラ)』を展開。「自分たちでもブランドを運営することで、クライアント企業のリアルな課題や気持ちに、より深く寄り添えるようになった」と安岡さん
また今では、PRという枠にとらわれず、さまざまなかたちで「伝える仕事」に取り組んでいます。どんな案件でも根っこにあるのは、「実際にやってみることの大切さ」。
机の上で完結するようなことよりも、実際に汗をかいて、現場に立って、人の声を聞いて、手を動かしてみないと、見えてこないことがたくさんあると思うんです。
だから経営についても、本やアプリで知識を得るだけじゃなくて、実際に経験者の話を聞いたり、自分たちで事業を回してみたりして学ぶようにしています。
遠回りに見えるかもしれないけれど、そうやって得た感覚や実感が、自分の中で一番信頼できるものになるんですよね。
未来は自分で決めて、自分でつくるもの
タグピク創業からもうすぐ10年が経ち、市場の盛り上がりと共に会社は順調に成長してきました。
そこで改めて今、自分のキャリアを振り返って良かったなと思うのは、20代のうちに「キャリアの土台」をつくったことです。
失敗したことも多いけれど、それも全部、自分の糧になっているんですよね。
よく「若いうちの失敗は財産になる」って言いますが、本当にその通り。
体力も気力もある20代のうちに、自分の「好き・嫌い」や「得意・不得意」を試しておくことは、後の人生の選択肢を増やしてくれると思います。
私はもともとファッションが大好きで、洋服のデザインをしたくてアパレル業界に入りました。でも実際に働く中で、気付けばPRやマーケティングにどんどん惹かれていって。
そうするうちにPRがキャリアの「土台」になっていったのは、過去の自分がやってきたことに固執せずに新しいこと・興味のあることを「とりあえずやってみよう」と自分で決めて、やってきたからだと思います。
人との関わり方も同じで、自分で決めて自分で動かすことを大切にしてきました。
私はあえて特定のメンターを作らないようにしているのですが、それは「一人の声だけを信じてしまうと、バランスを崩したときに一緒に倒れてしまう」と思うから。
いろいろな人の意見に耳を傾けて、最後は自分で決める。そんなスタンスで、ここまでやってきました。
そしてもう一つ、私がずっと大事にしていることがあります。それは「未来を描くこと」。
私は長年、手帳やスマホのメモに自分だけの「年表」を書いていて、キャリアだけでなく、ライフイベントも含めて「自分が何歳までにどうなっていたいか」を可視化しています。
年表に書いたことを必ずしも実現できなかったとしてもいいんです。理想を書き出して定期的に見直すことで、目指す方向や優先順位が自然と整理されていくことに意味があります。

プライベートでは、昨年に子どもを出産して、また新しい人生のステージに入りました。
仕事と子育ての両立は、正直なところ想像以上に大変。でも、それ以上に楽しいこと、幸せなことがたくさんあって、毎日が新鮮な発見の連続です。
幸せに働くママのロールモデルって、まだまだ少ないなと感じています。
SNSを見ても、「子育ての大変さ」はよく語られているけど、「子育てってこんなに良いものだよ」っていう前向きな言葉は、あまり見かけない気がしていて。
だから私は、「ママになっても、キャリアは続けられるよ」「大変なこともあるけど、それ以上にすばらしいことが待っているよ」って、発信していきたいんです。
少しでも、誰かの選択を後押しするきっかけになれたら、すごくうれしいですね。
人生って、何歳からでも、どんな状況からでもアップデートできるもの。必要なのは、ほんの少しの勇気と、「変わっていいんだ」っていう気持ちです。
それは私自身の経験からも言えますし、たくさんのインフルエンサーたちの姿が証明してくれています。
私もまた、これから新しい未来を、自分の手で描いていきたいと思っています。
文/大室倫子(編集部)
『「私の未来」の見つけ方』の過去記事一覧はこちら
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