28歳、東京を出て小さな島へ単身移住し見つけた「私のしごと」【連載:地域のライフワークに出会う旅】
渋谷の会社勤めから一転、瀬戸内海の小さな島に移住して「自分のしごと」づくりに励む著者が、年齢もさまざまな地域暮らしの先輩たちに、ライフワークを訪ねてまわります。当たり前の日常を飛び出し、外の世界に目を向けてみると、本当に自分を豊かにする「暮らし」と「しごと」のヒントが見つかるかも

島在住ディレクター/弁当配達準備中 石部香織
1988年生まれ、東京都出身。早稲田大学卒。2013年からディレクターとして、Webサイトなどの制作、イベントやワークショップの企画を行う。16年、香川県高松市の男木島へ単身移住。料理開発会や、地域新聞制作などを通した島内外コミュニケーションの促進をはかりつつ、島内へのお弁当配達を企画中。 海山の食材採集と、料理を教わることが趣味。Blog:男木と献立 Instagram:@ogi_kndt Facebook:@ogitokondatte
はじめまして、こんにちは。石部香織と申します。
東京都の八王子辺りにある実家を一度も出ることなく28歳を迎えた私ですが、2016年12月から、初めての一人暮らしを始めました。周囲から驚かれたその引っ越し先は、瀬戸内海に浮かぶ男木島(おぎじま)の古民家です。
香川県高松市に位置する男木島は、人口約170人(※ 2017年6月時点)、外周5kmほどの小さな島。高松港からフェリーで約40分の距離です。『瀬戸内国際芸術祭』の舞台としても知られ、斜面に所狭しと立ち並ぶノスタルジックな家々が、アート作品と融合して独特の景観を織りなしています。
「近くに親戚がいるわけでもないのに、どうしてまた。ここは東京みたいに、楽しいこともないでしょう」。
島の人たちは口々に言います。いえいえ、そんなことはありません。島にいると、楽しいこともやりたいことも次々に湧いてきて、これまで以上に盛りだくさんな毎日です。

渋谷から男木島へ。暮らし方の大転換
今の仕事はというと、高松市の非常勤職員である「地域おこし協力隊(※)」として、島内、島外の人が共に参加する料理開発会を企画したり、島での出来事や旬の食材を使った献立を紹介する地域新聞などの制作を行いつつ、個人の仕事として、地域のお店のWebサイトや商品パッケージなどの制作ディレクションをしています。
※総務省の取り組みの1つである「地域おこし協力隊」は、人口減少や高齢化等の進行が著しい地方において、地域外の人材を積極的に誘致し、その定住・定着を図ることで、意欲ある都市住民のニーズに応えながら、地域力の維持・強化を図っていくことを目的とした制度(引用元:一般財団法人 移住交流推進機構「地域おこし協力隊 まるわかりQ&A」)



各家庭からおかずを持ち寄って開催した「男木の弁当開発会」は、島内外から幅広い年代の参加者が参加し賑やかな夜に

企画や制作を行うため、デスクワークの時間も多めです(島の人たちが集う「男木島図書館」にて)
男木島では、お餅つきやお花見、運動会などの季節行事や、地域全体で取り組む清掃活動など、子どもからお年寄りまでが一堂に集まることが多々あり、移住者が地域に馴染むチャンスが多いと感じます。
島民の方はフレンドリーな方が多く、「玄関にキャベツ置いといたよ」とか「ところてん作ったんや」と差し入れをしてくれたり、「うちに遊びに来まい」と、突然お家に呼んでくれることも。
若い人同士も家での食事に誘い合ったり、改修工事をしている家があれば手伝いに行ったりと、気軽に行き来しています。島がコンパクトで、誰の家にも歩いていけるのが良いところ。ずっと島にいても、退屈になることはほとんどありません。
浜で獲れる海藻や貝、いただきものの野菜や魚を使って料理したり、夕暮れ時に窓の外が美しいグラデーションに染まるのを眺めるのは、男木島に住めたことを感謝したくなる幸せな時間です。

遊びに来てくれた友人と、漁師さんにもらったタコを茹でたところ

自宅の西の窓から見える、日没の風景
1つだけ難点を言えば、隙間の多い古民家住まいゆえ、虫やらいろいろなものたちが侵入してくることでしょうか。とはいえ、慣れとともに徐々に動じなくなってきて、予想以上に早く島生活がしっくり馴染んできた気がします。
もともとは、渋谷の会社でWebサイトなどの制作ディレクターとして働いていた私。信頼できる仲間に恵まれ、仕事も楽しかったのですが、なぜ会社を辞めてまで男木島へ移住しようと思ったかというと、社会人になった頃から抱えていた「つくること」と「はたらくこと」を巡る考えごとが発端でした。
つくる仕事を通して実現したい「豊かさ」とは?
悩む中で出会った創造的な暮らし
渋谷で働いていた頃の仕事は、Webサイトなどの制作において、クライアントやクリエイターと連携を取りながら、企画をし、プロジェクトの進行管理やクリエイティブディレクションをすることでした。成果物の質を上げるべく、チームで試行錯誤しながら信頼関係を築いていく過程はやりがいがあり、この仕事が好きだ、と感じていました。
一方で、「つくる仕事」は、こだわればこだわるほどエネルギーが必要な作業。これからも仕事に多くの熱量と時間を掛けるのであれば、私が人生で本当に情熱を注ぎたいことは何だろう? つくる仕事を通して手に入れたい「豊かさ」とは何だろう? と考え始めたのです。
常に頭の片隅から離れないその疑問に、何かアクションを起こさなくてはと思いました。まずは、以前から関心の高かった「食」の業界を見てみようと、休日を使って食の仕事に関わる講座に出たり、知り合いづてでフード分野のイベントを手伝ったりしました。食の生産者に会いたい気持ちも芽生え、15年の秋には、青森県弘前市の有機農場に短期滞在しながらお手伝いさせてもらうことに。

お世話になった、岩木山麓しらとり農場
夫婦で原野を開墾したというその農場では、家を半セルフビルドで建てたり、手作りの太陽光湯沸かし器でお風呂を炊いたりと、暮らしのあらゆるものを自分たちで作っていました。常に国内外から何人ものボランティアスタッフが集まり、皆で畑作業をして、家族と一緒に食卓を囲んで語らい、夜は音楽を演奏するという日々。仕事も、生活に必要なものも、楽しみも、自分たちの手でつくりあげるそのライフスタイルは、素朴ながら、なんて創造的でかっこいいのだろうと感じました。
私も「つくる」ことを仕事としているのに、暮らしの中で「つくる」ものなどほとんどなく、お金もいつの間にやら使ってしまっている。農場での5日間を終え、私がこれから目指すべき「豊かな状態」を問い直した結果、それは次の3つが揃った状態だと考えました。
1つ目は、誰かの暮らしを少し楽しくする、自分主体の仕事があるということ。
2つ目は、暮らしの中に「手作り」できる時間があること。
3つ目は、その暮らしを続けるのに必要なだけの収入が得られること。
その3つの両立ができる、自分の「ライフワーク」をつくろうと思いました。
背中を押してくれた、男木島ショートトリップ
それから数カ月後に訪れたのは、大好きな瀬戸内地域。友人と小豆島などをまわったあと、最後にふと気になった男木島に一人、立ち寄ることに。
島へと向かうフェリーの中、知らない男性からFacebookの友達申請が来ていることに気づきます。よく見てみると、今日泊まる予約をしている民宿のご主人のよう。この瞬間から、男木島に「ただならぬ予感」を感じていました。

フェリーから臨む、男木島の趣ある集落
島へ到着し船を降りると、当の民宿のご主人・哲夫さんが港で待ってくれています。民宿へ向かう道、夕食、そして翌日の島内散策まで、ずっと付き添ってくれた哲夫さんからたくさんの話を聞きました。
男木の漁師さんは80、90歳でも元気に船を出していること。哲夫さんは今、漁師の仕事をしながら、元海苔の加工場だった建物を改修し新しいゲストハウスを作っていること。芸術祭の期間は何人ものアーティストが島に集まり、島民との交流を楽しむこと。移住者と島民が一緒になって、図書館やお店などを作っていること、等々。
また、私が「食」の仕事に関心があると言うと、男木島にはさまざまな野草が生えていることや、哲夫さんとしては島の特産品のようなものがほしいと考えていること、今後「地域おこし協力隊」の募集があるかもしれないという話をしてくれました。
古い町並みの中にいながら、見るもの、聞くことすべてが新鮮で、帰る頃には「この島で、自分のライフワークをつくる」ことが私の次のステップだと心に決めると、それじゃあ何に取り組もうかと、あれこれ妄想しながら東京へ帰りました。
男木島に住んで見つけた「私のしごと」
16年冬、念願かなって、私は男木島に地域おこし協力隊として引っ越して来ました。
「地域おこし」というと、島に住む前は「いかにたくさんの人に来てもらうか」ということに頭が行きがちでしたが、実際は住める家も、仕事も、動ける人材も限られている男木島。島外の人と交流する、その先にある「活性化」とは何だろうと考え始めました。
現在、男木島で活動している移住者たちは、WEBの仕事や飲食店、図書館運営、パン作り、美容師、漁、畑、古民家改修など、自分の仕事を複数持ちながら、祭や草取りなどの地域活動にも主体的に参加し、島に新たな楽しみをもたらすとともに、地域コミュニティー存続への力となっています。

昔は各家庭でお餅をついていたそうですが、16年は若い人が戦力となり、男木島図書館でお餅つきをしました

お花見では、島独自の「ストトン節」を島のお姉さんたちから教わり、手拍子に合わせて皆で唄います

毎年恒例「男木島大運動会」では、島民の生歌に合わせ、事前に練習した「男木島盆踊り」を全員で踊りました
自分のライフワークを実践しつつ、一住民として、気張らず地域の環境や文化を支えていく。そんな生き方に共感する人がさらに増えていくことが、1つの活性化の道筋だと考えるようになりました。
まずは自分自身が、この島でライフワークを見つけよう。その活動が、この島で、あるいは他の地域で、新たに自分のライフワークをつくろうとする人が現れる1つのきっかけになれば、尚良い。
ある日、お世話になっている島民の方が、畑のそら豆を収穫しながらふと私に言いました。
「石部さん、お弁当作って、島民に配達したらいいわ」
高齢になり日々の食事を作るのが大変だったり、外に出るのが億劫になってしまっている人が多いから、簡単なものでも料理して持って行ったら皆喜ぶと思うよ。その方が投げかけたアイデアが、私がこれまでぼんやり考えていたことと頭の中で結びつき「やります」と即答しました。
そんな経緯から、島内外の人たちと「男木のお弁当」を作り、島民に配達するプロジェクトを企画中です。キッチンの整備、メニューづくり、予約ルールの設定など、今までに取り組んだことのないことばかりですが、島の中から、外から、一緒に楽しんでくれる人を見つけて実践あるのみ。
プロジェクトの経過やその他の活動は、ブログ『男木と献立』で報告していきますので、気が向いたら覗きに来てくださいね。
さて、今回は自己紹介とさせていただきましたが、地域暮らしの先輩たちの”しごと”を訪ねる本連載『地域のライフワークに出会う旅』を、いよいよ始めます。
第2回目となる次回は、ここ男木島でお土産や食事を提供する仕事を続けている女性のお話です。定年まであと1年をきった今、職場の中で最も長く働いてきた彼女が考える「しごと」の意味に迫ります。どうぞお楽しみに!

ブログ「男木と献立」
男木島の食卓とライフワークを、写真と共に日々綴っています。
http://kondatte.com/
Instagram:@ogi_kndt
Facebook:@ogitokondatte
『地域のライフワークに出会う旅』の過去記事一覧はこちら
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