迷ったときはどっちの道を選べばいい? 二者択一を迫られたとき後悔しない選び方
働く女性は時にわがまま。毎日、会社と部屋の往復だけでは決して満足できない。会社が終われば、また違う私でいたい――。今、仕事だけではなく幅広い趣味や教養を身につけた、オトナの遊びができる女性が最高にカッコいい。仕事にも遊びにもとことん向き合ってきたエディターの池田美樹さんが、デキる「大人のたしなみ」をレクチャー!
会社の同期の彼女は、自身の問いが常に二者択一であることに気がついていないようだ。つきあうのか、つきあわないのか。結婚するのか、しないのか。その仕事を引き受けるのか、引き受けないのか。会社にとどまるのか、やめるのか。
決まって、心が揺れている時に呼び出しがかかる。呼び出しの中身がしゃれているので、わたしもだまされてのこのこと出かけてゆく。
いわく、あなたの好きそうなビストロができたから一緒に行かない? 予約がとれたのよ。あなたの好きなシャンパーニュが手に入ったから、土曜の午後にうちに来ない? センスのいいこと、このうえない。
しかし、もてなされるままていねいに話を聞いて行くと、いつの間にか、彼女の迷宮に、ともに立っていることに気がつくのだ。
するか、しないか。行くか、行かないか。この問いを目の前にしたとき、答えは2つに1つしかない。実は私たちはこの問題を常に解決しながら進んでいる。普段はあまりにも自然に片方の道を選ぶことができるから、選択していることすら気がついていないだけだ。
そういうわけなので、人生は時にやっかいな問いを押しつけてくることがある。私たちの選択眼が曇らないように? そうかもしれない。
選択肢が現れたとき、気持ちが半々だから、迷い、悩む。どちらを選べばいいのかと。つまりそれは、裏を返せば、どちらに行っても満足感は同じということだ。しようがするまいが、行こうが行くまいが、結局は同じくらいに満足するんだったら、迷う必要がどこにある?
これが、私の今までの回答だった。「どっち選んでもいいじゃん。おんなじだよ」と。私もこれまでに、そうしてきたから。
「でもね」と彼女は小さく笑う。「どちらかの道を選んだとするでしょ、そうしたら、急に『もう1つの道を選んでおけば良かったのかな』と思い始めて、くよくよ考えちゃうのよね。これでよかったのかなあ、って」。彼女の頬に落ちるまつ毛の長い影が美しい。冬だ。
なるほど、ないものねだりか。ぜいたくだなあ、最近の“大人女子”ってやつは。でも、選ばなかったもう1つの選択肢は、もう永久に、その時、その場所のあなたの前には現れない。考えたって、戻ってこない。でしょ?
「でもね」と、また彼女はいう。ああ、往生際が悪いな。「でもね」が口癖だなんて、モテない女の典型だぞ。
私は考えた。「どっちを選んでも一緒じゃん」という私のこれまでのアドバイスでは、足りなかったのだ。「どっちを選んでも一緒だけど、選んだら、もう片方の選択肢についてはきっぱり忘れなよ」と言うべきだったのだ。
つまり。行くと決めたら行け、ひたすらに行け。そういうこと。寺山修司は詩の中で「ふりむくな ふりむくな うしろには夢がない」と言った。その通りだと私も思う。私があまりくよくよせずに生きてこられたのは、常に「今から先」のことしか考えてこなかったからだと思うよ。
「なるほど。じゃあ、行かないと決めたら?」と彼女は聞く。「行かないんだったら、誠心誠意、目の前のことをやり続ける。行くかも、と考えていた道のことはとりあえずきっぱり忘れる。留まると決めた場所で精一杯やる。そういうことなんじゃないの」と私は答える。
「そうか…」と彼女はしばし考えている様子だ。でも、よく考えたら、当たり前のことだった。どちらかを選ばなくてはならないのだったら、選んだ時点でそれが自分の世界になる。精一杯やらなきゃ、楽しくない。
「それって、自分を信じる、ってことのような気がするな。だよね?」と彼女が珍しく自分の意見をいう。「その選択をした自分を信じて、大切にして、進んでいくってことかな」
うん、そんな気がする。私も同感だよ。
折しも世の中は1年の終わりの祝祭ムード。今年起こった新しい出来事を思い、来年起こるであろう出来事について考える時期でもある。過去と未来が交差する時間。自分のたたずまいについてえるのにふさわしい。
「どんな選択肢が訪れようとも、選んだら信じてその場所で精一杯やっていく、ってことを意識しながら過ごすと、来年は今年よりもっといい1年になるかもね」
そうだね、と言って私たちはグラスを合わせる。遠慮なく言える、今なら。「自分に乾杯!」と。