コロナ禍で雇い止め→建設業界に転職。48歳で壁造り職人・左官になった女性の原動力とは
この連載では、圧倒的に男性が多い職場で活躍する女性たちにフォーカス。ジェンダーによる「らしさ」の壁を乗り越えて、自分らしく働くヒントをお伝えします
企業の倒産や不況のニュースが相次ぎ、多くの女性がキャリア不安を感じているコロナ禍。長く働き続けるために、「手に職を付けたい」「新しいスキルを習得したい」……そう考えた人も多いのではないだろうか。
コロナ禍をきっかけにオフィスワークを離れ、建設業界で新たな挑戦を始めた女性がいる。9月に井上工業に入社した古田明子さんは、現在48歳。コロナ禍による雇い止めをきっかけに、壁を塗り、造り上げていく「左官」という職人の道を歩み始めた。
取材場所に現れた古田さんは、小柄で細身。作業服を着ていなければ、まさか建設現場で働いているとは思えない。
働き始めてまだ3カ月半足らず。紅一点の現場で大変なことも多いかと思いきや、取材に応じてくれた古田さんの底抜けの明るさに驚いた。
未経験で飛び込んだ建設業界だが、「左官の仕事はすごく自分に合っていると感じる」と語る古田さん。彼女に、左官の仕事のやりがいを聞いた。
一生続けられる仕事がしたい。父親と同じ「職人」の世界へ
左官になる前の古田さんは、建設業界とは無縁な生活を送っていた。
大学卒業後は営業や総務・人事としてキャリアを重ねてきた古田さん。年齢を重ねるにつれて「定年関係なく、一生続けられる仕事がしたい」との思いが芽生え、30代後半でセラピストに転身した。
「サロンを訪れるお客さまのうち、3分の1は外国の方でした。仲良くなるとまた来てくださるのがうれしくて、YouTubeで英語の勉強を始めたりして。英語力を高めるために自分でも教えてみたらどうだろうかと思い、レッスンを受け持つようになりました。するといつの間にか上達して、英語を話せるようになっちゃったんです(笑)」
身に付けた英会話力をフルに生かせる仕事がしたい。そう思った古田さんは再び転職。医療系ソフトウェア会社に派遣社員として入社し、外資系企業からの問い合わせに対応する仕事をしていた。
ところがこの8月、コロナ禍の影響で古田さんは雇い止めに遭ってしまった。
新たな仕事を見つけようと登録した転職サイトで、最初に受け取ったメールが井上工業からのものだったという。「もし嫌なら入らなければいい」と、軽い気持ちで面接に足を運んだ。
「正直に言うと、建設業界に対するイメージは『おじさんがいっぱいいて、事務所は雑然としていて……』というものでした。でも、それがガラッと覆されたんです。
オフィスはきれいなマンションの中にあって、びっくりするほど整理整頓されていて。面接してくれた人事の方は若く、女性もいました。
面接で話すうちに、この仕事なら一生働ける『手に職』を付けられると思い、すぐに入社を決めたんです」
職人の世界に入る選択ができたのは、家族の影響もあった。古田さんの父親は婦人服の仕立屋を営んでおり、幼い頃から「職人」が身近な存在だったのだ。
「父親の影響なのか、昔からものづくりが好きなんです」と話す古田さんの手は、指がすらっと長くて大きい。なんでも掴めそうな手の平を、誇らしげに見せてくれた。
人生に無駄はない。オフィスワークで得たスキルが、建設業界でも生かされた
建設現場の壁や天井、床に、セメントなどを塗って平らにするのが、左官の仕事だ。
単純作業にも聞こえるが、現場の状態を見てからどう塗るかを決めるため、それを判断できるだけの知識や経験が求められる。また、時間をかけすぎると塗料が固まってしまうため、無駄のない動きが必要だ。
初めてのことだらけの環境で、戸惑いや苦労はないのだろうか? 仕事の感想を聞くと、古田さんは実に生き生きと回答してくれた。
「すごく楽しいんです! 仕事とは思えないくらい。学生時代から技術や美術が好きだったので、相性が良かったのかもしれません。その上、自分のやった仕事が今後何十年も残っていく。これは今までの仕事にはない喜びでした」
さらに、意外にも「他の業界で得たスキルや経験が生きるシーンが多い」と古田さんは続ける。
「一番役立っているのは、オフィスワークで身に付けた『段取り力』です。工期が決まっているので、作業を効率良く進めるための手順を考える時に生かされています。
それから、コミュニケーション力も大切なスキルの一つ。建設現場の職人さんには口数の少ない方もいますが、自分から積極的に挨拶することで関係性を築いていければと思っています」
建設現場には、左官以外にもさまざまな職人が集まる。そのため、社内だけでなく社外の人とも円滑なやりとりができる力は重宝されるのだ。
彼女の話からは、今の仕事がかなりフィットしている様子が伺える。実際、古田さんも「すごく合っていると思います!」と穏やかな表情で答えてくれた。
「でも、そう感じられるのは、これまでの業務経験があったからです。過去には『自分には向いていないな』と感じる仕事をしていた時期もありますが、そこで学んだことの全てが今に生きています。もし新卒で左官になっていたら、今のように楽しいとは感じられなかったはず。人生って本当に無駄がないですね」
小柄な自分に運べないものは、「運べない」と言っていい
建設業界の仕事と聞くと、第一に「力仕事」というイメージを持つ人も多いだろう。小柄な古田さんにとっては、かなりの重労働なのではないだろうか?
「最初の一週間は、現場の階段の上り下りで足が筋肉痛になりましたね(笑)。もともと、駅では必ずエレベーターに乗るようなタイプなので。でも、塗る作業自体はコツさえつかめれば力のない方でも大丈夫ですよ。
ただ、塗料は確かに重いです!私は決して体が大きい方ではないので、重たいコンクリートの袋はとてもじゃないけど運べません。
でも、面接の時に『重いものは、力のある職人さんに任せていい』と言ってもらっていたんです。実際、現場の皆さんはとっても優しくて、嫌な顔一つせず運んでくださるので助かっています」
助けてもらうだけにはしたくないという古田さん。手が空いたときには足場に落ちた小さな釘を拾うなど、現場を安全な状態にすることを心掛けている。
古田さんの働く井上工業では、チーム全体でお互いの苦手を補うことを大切にしているという。職人によってできること、できないことがあるのは当たり前。だからこそ、力がなくても負い目を感じる必要はない。
吉田さんのように、自分にできることで貢献すれば良いのだ。
「最初は職人の世界に入るのは不安だったんですよ。怒鳴られたりするんじゃないかって心配で。でも実際は、全然そんなことはありませんでした。親方は職人一人一人をよく褒めてくれますしね」
古田さんのまとう雰囲気には、自然と周りを明るくする何かがある。きっと本人の意図せぬところで、現場にも良い影響を及ぼしているに違いない。
師匠は親方とYouTube。学ぶ方法はたくさんある
左官になって3カ月程が経った今、「この仕事の奥深さを感じている」と古田さんは噛みしめるように話す。
現場によって塗る場所、塗る道具、塗る材料は毎回異なるので、学ぶことはたくさんあるのだという。一体、どのように学習しているのだろうか。
「やっぱり一番は現場で学ぶこと。それ以外で参考にしているのはYouTubeですね。初心者用からプロ用まで、参考になるコンテンツがたくさんあるんです。
動画を見る以外では、自分が塗っている姿を撮影しておいて、おかしなところがないか親方にチェックしてもらうようにしています。常に隣に親方がいるわけではないので、この方法は役立っていますね」
向上心の強さに驚かされるが、その原動力は「楽しさ」だと古田さんは語る。
「楽しいから、できるんだと思います。独学で英会話を学んだ時と同じです。現場では『え、もう3時の休憩!?』と毎日驚いてしまうくらい夢中になっています」
今、目標としているのは、国家資格である左官技能士三級の取得だ。まずは6月に行われる試験での合格を目指しているが、古田さんは“さらに先の未来”も見据えていた。
「面接の時、『6年くらいで一人前に』って社長に言われたんです。でも勉強する環境は身の回りにありますから、もっと早く一人前になりたいですね。それが今の私の目標です」
コロナ禍によって、想定外の方向へとキャリアの舵を切った古田さん。仕事を続けられなくなり、自らの境遇を嘆く人も多い中、古田さんはどこまでもポジティブだ。
「大変なことがあっても、楽しめるかどうかは自分次第」。古田さんの笑顔はそう、私たちに教えてくれている気がする。
取材・文/一本麻衣 撮影/赤松洋太
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