「誰かの妻」の肩書きに逃げましたーー松本千秋が38歳で人気漫画家になるまで【大木亜希子の詰みバナ!】

人生、詰んでからがスタートだ
ライター大木亜希子の詰みバナ!

フリーライター・大木亜希子。元アイドルで元会社員。こじらせたり、病んだり、迷って悩んだ20代を経て30代へ。まだまだ拭いきれない将来に対する不安と向き合うために、同じく過去に“詰んだ”経験を持つ女性たちと、人生リスタートの方法を語り合っていきます。「詰む」って案外、悪くないかも……?

こんにちは。フリーライター、小説家の大木亜希子と申します。『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』(祥伝社)の著者です。

私の20代は、まさに人生の詰み期。ハイスペ男子との結婚のことばかり考えて、いわゆる「女の幸せ」みたいなものを必死に追いかけて消耗していました。

詳しくは、ぜひこちらの記事をご覧ください。

大木亜希子

撮影/赤松洋太

>>「職なし・彼なし・貯金なし」28歳で人生詰んだ元アイドルが“赤の他人の会社員おじさん”と同居して気付いた3つの真理

私は今フリーランスライターとして働いていますが、気楽な一方、「自分らしい働き方とは何か」迷いを感じることもあるし、将来に対する不安はまだまだ残っています。

そこでこの連載では、そんな不安を払拭するべく、過去に思いっきり「人生詰んだ」人たちに取材をしていく予定です。

詰んだ経験から学んだことや、這い上がり方についてとことん話し合うことで、キャリアに対するヒントが得られるかもしれない、と考えています。

さて、記念すべき第1回目のゲストは、漫画家・松本千秋さん

昨年、40歳を目前に鮮烈な漫画家デビューを果たすやいなや、デビュー作の『38歳バツイチ独身女がマッチングアプリをやってみた結果日記』が即話題に。連続ドラマ化され、一躍有名になりました。

大木亜希子・松本千秋

今では漫画家としての成功を掴んだ松本さんですが、実は、これまでの人生は“詰みバナ”だらけ。

焦ってキャリアを手放した結果、盛大に詰んだ」という松本さんに、詰んでからの逆転劇がどのようにして生まれたのか、詳しく聞いてみました。

評価も自信もない自分。“誰かの妻”になれば人生ラクになると思った

大木亜希子(以下、大木)

松本さんは、『38歳バツイチ独身女がマッチングアプリをやってみた結果日記』(幻冬舎)でデビューするまで、漫画をほぼ読んでこなかったそうですね。

いつから絵を描き始めたんですか?

松本千秋(以下、松本)

幼い頃から友達に頼まれて校内行事のポスターを描いたり、文集の表紙を描いたりしていたのですが、本格的に始めたのは高校時代に美術系の学校に進学してからですね。

親の勧めもあって、何となく流れで入学しました。

大木

「将来は絵の仕事がしたい!」という気持ちがあったわけではないと?

松本

そうです。

中学まで絵は得意だったので実技で入れそうな学校を選びましたが、私は上手く描くことに対して向上心がないし、画家になりたいわけでもないと入学後に気づいて。

自分より上手な子が周りにたくさんいて、皆が真剣に授業を受ける姿を見ているうちに「絵を書くこと」が特別なものだと思えなくなって。

早々に「この競争から降りよう」と諦めの気持ちが芽生えたんです。

大木

劣等感を持ちながら学校生活、キツそうですね……! 授業にも身が入らなかったのでは?

松本

課題は真面目にやってなかったですね。クラスメイトと落書き程度のものを遊びで描くのは楽しかったけど。

松本千秋
大木

では、高校卒業後はどのような道に進んだのですか?

松本

絵より映像が好きだと思ったので、親に頼んで専門学校に入れてもらいCM制作の授業を受けました。「商品を売るための映像」を学べば、実践的な技術を身につけることが出来そうだ、と思って。

実際、卒業後はフリーランスの「映像なんでも屋さん」になりました。

でも、CM撮影現場でメイキングを回したり、タレントさんの記者会見を撮ってメディアに売ったりしても大した収入にらなかったんです。

大木

食える仕事に就きたくて映像の道に進んだのに、食っていくことは大変だったと。

松本

そうです。

いきなりフリーで仕事を始めてもオファーがたくさんあるわけない。営業力も、強力な人脈も無い。働いていない時間も長くて、自分のキャリアに行き詰まりを感じました。

そこで24歳になった時「いっそのこと結婚してしまおう」と思い至ったんです。

大木

急な方向転換ですね。

松本

「何もない自分」に対する人の目が気になってしまって、誰かの妻というポジションさえ手に入れば、人生がもっと楽になると考えたんです。

「家庭がありつつ、仕事もしている女性」という事実をつくってしまえば、細々とした仕事しかしていなくても、周囲からは“ちゃんとした人”に見られるに違いない、と思っていました。

結婚も仕事も上手くいかない自分に絶望した“詰み期”

大木亜希子
大木

結婚したお相手はどんな人だったんですか?

松本

20歳の頃に知り合った美大の映像学科に通っている人で、初めての彼氏でした。彼は学生時代からバンバン映像の仕事をとってきている人で、その点は尊敬していました。

大木

入籍後の暮らしは、どうでしたか?

松本

男性と暮らすのは初めてでしたが、いざ同居してみると、全くうまくいきませんでした。

そもそも結婚することが目的になっていたから、相手への思いもそこまで大きくなかったのかもしれませんね。でも、籍を入れれば勝手に相手と仲良くなるのかな、なんて考えて。

それも大間違いでした。

松本

結局、27歳の時に離婚を切り出しましたが、元夫に「俺もっと頑張るから。嫌なところは直すから」と言われてうやむやになってしまったんです。

仕事が少ないコンプレックスを隠すために結婚してみたけれど、夫婦生活が苦痛。これが1回目の詰み期ですね。

大木

なるほど。当時はどんな仕事をしていたんですか?

松本

夫の扶養から外れない範囲で、CMの絵コンテを描く仕事は細々続けていました。

でも、結婚するまでにしっかりキャリアを築いてこなかったので、働くために必要な技術をちゃんと持っていなくて。

夫から頼まれた家事をして、たまに少し仕事をしたと思ったら、あとは朝から晩まで自宅でテレビを眺めているだけの退屈な日々でした。

松本千秋
大木

家庭も仕事も、まさに“頭打ち状態”だったと。

松本

そうです。30代に突入してからは年齢も考えて子供を持ちたいと考えましたが、セックスレスだったこともあって困難でした。

大木

当時はどんな気持ちでしたか?

松本

30代に突入したのに、仕事もないし子供もいない。私はこのまま一生暇つぶしをしながら生きていくのか……と絶望的な気持ちでしたね。

正直、本気で「死にたい」とすら思うようになっていました。

家にいるのが居た堪れない時は近所のバーに朝まで避難したり、死に方を調べたりしていて。この頃が、私の最大の詰み期です。

33歳、人生初の水商売の道へ

大木

その人生最大の詰み期をどうやって脱したのでしょうか?

松本

どん底にいた時に、女友達が「代官山でルームシェアをするために3LDKのマンションを借りた」と連絡をくれました。

それで、「一つ部屋を貸してあげるから、一度夫から離れてみれば?」と勧めてくれたんです。

「これしかない」と思って、夫に「私、明日出てくから!」と突然告げました。そのまま彼女達と住み始めて。

大木

大きな一歩ですね。当時の心境は?

松本

家を出て暮らし始めた途端、近くの薬局にトイレットペーパーを買いに行くだけでも周囲の光景が変わって見えたんです。

街並みも綺麗で、あぁ、ようやく解放されたと思いました。

大木

その後はどのように生計を立てていったのですか?

松本

絵コンテの仕事はちょこちょこしていましたが、それだけだけでは足りないと思い、キャバクラでも働き始めました。

実は、20代の頃から仁侠映画が好きで、そこに出てくるホステスさんたちへの憧れがあったんです そんな時期、ちょうど街でスカウトの人に声を掛けられたので、勇気を出して面接に行きました。

大木亜希子
大木

30代半ばで人生初の水商売に挑戦。これも大きな決断ですね。

松本

そうですね。

これまでとは全く違う環境で、驚くばかりでした。年下の同僚たちが職場のロッカールームで高級マンションの鍵をジャラジャラさせながら「今日はどの家に帰っろっかな~」と言っているような世界なんです。

みんな私よりも圧倒的に人生経験が豊富でした。

松本

その子たちを見ていると、「私って本当に時間を無駄にしてきたんだな」とちょっと落ち込みましたね。もっといろんな世界を見てくればよかった、と。

でも、どんなに遅かろうと、今この世界を知ることができて良かった、とも感じたんです。
さぁ、人生ここからやり直そうっていう気持ちが湧いてきました。

35歳、「進むことはない」と思っていた絵の道へ

大木

その後、絵の世界に戻ってこられたわけですよね。

松本

はい。

実際には、キャバクラや銀座のクラブで働きながら同時並行で、「20時から深夜1時までは稼働できない絵コンテライター」として絵コンテ執筆は続けていたんです。

当時のクライアントは主に広告業界。CMの絵コンテのニーズが山程あったので、仕事量はどんどん増えていきました。

大木

忙しくなった分、収入も増えたのでは?

松本

はい。その頃ようやく「自分の稼ぎで食べていく」という悲願を達成しまして。35歳の時には、絵の仕事に専念するようになりました。

大木

高校時代は「絵で生計は立てられない」と思っていたのに、ここにきて絵の仕事を選ぶことになるとは、予想外ですね。

松本

量をこなすうちに画力が伸びていくのを実感できたんですよ。

それに、ようやく人に頼らなくても家が借りられるようになって、それがすごくうれしかった。

でもね、ここに来てもう一回詰むんですよ(笑)

大木

え! せっかく経済的にゆとりが出てきたのに、また詰むんですか(笑)?

松本千秋
松本

絵コンテの仕事が軌道に乗ってきたことを友達に話すと「学生時代のあなたは自分自身で面白いアイデアをたくさん出していたのに、他人から依頼された企画をコンテにするだけでいいの?」って言われたんです。

最初は余計なお世話だと思いました。ようやく自分で食えるようになったのに。

でも、次第にその友達が言ったように、クライアントの求める絵だけを描き続ける作業に飽きてきて。

大木

仕事に物足りなさを感じるようになったんですね。その後、どのようにして今に至ったのでしょうか?

松本

その頃、プライベートではようやく離婚が成立しまして。37歳にして、初めてマッチングアプリに挑戦してみることにしたんです。

最初は「仕事の退屈さも埋められるかな」という軽い気持ちでしたが、そこから1年ほどの間に、アプリを通じて50人弱の男性と出会いました。

大木

結果的に、その経験が漫画家への道を切り開くことになったんですね。

松本

はい。アプリでいろいろな男性と出会った経験を通じて、「この面白い出来事を自分では抱え切れない」と思うようになったんです。

この経験は絶対にコンテンツになるし、映像作品にしたらきっと良いものができるという確信もありました。学生時代から映像作品に携わってきたので、直感でそう思ったんです。

そこで、企画書の代わりになればと思って漫画を描いて、テレビ東京が関連する漫画コンテストに応募しました。

大木

手応えはあったんですか?

松本

ありました。テレビ局の人にどうプレゼンしようかな~って考えながら描いた漫画だったので、映像化されるイメージはすごく湧いていたんですよ。

大木

結果、狙い通りにドラマ化が実現して、漫画家・松本千秋が誕生したわけですね。

“詰み”は人生が好転する前のサイン

大木

こうやって、過去を振り返ってみていかがですか?

松本

当時は無駄だと思ったことや、挫折した経験も、全部がつながって今がありますね。そして、漫画家になれたことは、うれしい誤算。

詰み期は長かったけれど、「詰む」っていうのは人生が好転する前のサインだって思うのがいいのかもしれない。

大木亜希子・松本千秋
大木

分かります。

私もアイドルで売れず、会社員も辞めてしまった時「全て失って詰んだな」と思いましたが、喪失した瞬間から新しい風が吹き始め、良い出会いがたくさんありました

松本

ですよね。これからもまた、詰むことはあると思うんですよ。

でも、「詰んだ後は人生が好転する」って分かっているので、何でもポジティブに捉えられるようになった。

松本

もし、大きな壁にぶつかって苦しんでいる人がいるとするなら、詰むのも悪いことばかりじゃないよ、と伝えたい。

それはきっと、あなたの世界が広がっていくサイン。

状況が変われば、かつての私と同じように「なりたい自分」に近付いていけるはずです。

大木

貴重なお話をありがとうございました!


<プロフィール>

大木亜希子
1989年8月18日生まれ。千葉県出身。2005年、ドラマ『野ブタ。をプロデュース』で女優デビュー。数々のドラマ・映画に出演した後、2010年、アイドルグループ・SDN48のメンバーとして活動開始。12年に卒業。15年から、Webメディア『しらべぇ』編集部に入社。PR記事作成(企画~編集)を担当する。18年、フリーライターとして独立。著書に『アイドル、やめました。AKB48のセカンドキャリア』(宝島社)、『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』(祥伝社)がある。
Twitter:@akiko_twins
インスタグラム:akiko_ohki
note:https://note.com/a_chan

松本千秋
1980年生まれ。東京都出身。専門学校卒業後、映像制作・映像編集など業務に携わる。その後、ホステスを経て、イラスト業へ。幻冬舎×テレビ東京×noteの「#コミックエッセイ大賞」入賞を機に漫画家としてデビュー。著書に『トーキョーカモフラージュアワー』(少年画報社)、『38歳バツイチ独身女がマッチングアプリをやってみた結果日記』(幻冬舎)がある。2021年7月よりヤングキング(少年画報社)にて『トーキョーカモフラージュアワー』の連載が再開予定。
Twitter:@imakarahima
note:https://note.com/hibaransu

取材・文/大木亜希子 撮影/洞澤佐智子(CROSSOVER)