育休後、自ら手を挙げ管理職に。40代「攻めの昇進」で気付いたキャリアを短距離走にしないための心得

人生100年時代はチャレンジの連続!
『教えて、先輩。』

人生100年時代。年齢や常識に縛られず、チャレンジを続ける先輩女性たちの姿から、自分らしく働き続ける秘訣を学ぼう

製品製造の際の品質管理や情報セキュリティー管理など、さまざまな国際基準を定めた『ISO規格』の審査・認証を手掛けるBSIグループジャパンで働く髙木真樹さん(42歳)。

BSIグループジャパン

BSIグループジャパン株式会社
認証事業本部 カスタマーサービス部 マネジャー
高木真樹さん

一橋大学社会学部卒業。ロンドン大学(LSE)大学院修士号。新卒でITコンサルティング会社に就職。イギリス留学やISOコンサルティング会社勤務を経て、2010年にBSIグループジャパン入社。教育事業本部のマーケティングマネジャー、医療機器認証サービス部門のマーケティングマネジャーを経て、21年11月より現職

彼女は昨年、同社のメインビジネスである認証事業本部カスタマーサービス部のマネジャーに就任。

当時は育休前と同じ職場に復職して約1年経った頃。社内公募に自ら手を挙げて部署異動し、初めて大きなチームの管理職の仕事に挑戦することに。

育休後は“守りのキャリア”に転じてしまう人も多いが、髙木さんはなぜこの時、初めてだらけの環境に自ら飛び込むことにしたのだろうか。

昇進を打診されたのに…夫の海外転勤で移住が決定。退職を覚悟した

私がBSIグループジャパンに入社したのは、30代になったばかりの頃でした。

新卒でベンチャー系のITコンサルティング会社に入り、その後語学を習得するためにイギリスへ留学。帰国後は留学先で知ったコンサルティング会社が立ち上げたばかりの日本法人で働いていたのですが、その頃に取引先として出会ったのがBSIグループジャパンです。

転職のきっかけは、「マーケティング担当を探している」と声を掛けられたことでした。

プライベートでは1年前に結婚し、当時の仕事にも慣れてきた頃。前職は立ち上げ間もないスタートアップ企業だったので、活力のある環境で思い切り仕事をさせていただきましたが、もう少し大きな規模の会社でも自分を試してみたいと思い転職を決めたんです。

BSIグループジャパン

入社後は、情報セキュリティーや個人情報保護対策などさまざまなコースを展開する研修事業部門のマーケティングマネジャーに。そこで2年ほどたった頃、担当部門の本部長としてビジネス全体を見る立場にならないかと打診されました。

でも、その直後に転機が訪れます。夫がニューヨークへ転勤することになったのです。

帯同するとなると、仕事を続けるのは難しい。「辞めるしかないかな」と覚悟しました。

長引くリモートワークに感じた孤独と、キャリアの停滞

すると当時の社長から「ここでやり残したことはないか?」と聞かれたのです。

当社には、医療機器の製造販売で満たすべきさまざまな法規制の認証を行う部門があります。「あの部門に専任のマーケターを置いたら、もっと事業が拡大できると思っていた」と答えると、「だったらやってみない?」という言葉が返ってきました。

ニューヨークに移住するまで3カ月あったので、それまでの期間限定ということで市場分析や経営指標の可視化をして社長に報告したところ、会社としてもこのポジションに専任者を配置すべきとの判断に。

そして、「渡米後も、リモートワークでマーケティング担当を続けてほしい」と言われたのです。

私もここで仕事を続けられることがうれしく、新たな働き方をスタートさせることに迷いはありませんでした。

BSIグループジャパン

とはいえ、ニューヨークと日本とでは、物理的な距離も、もちろん時差もあります。日本の社内の状況をタイムリーに把握できないことも多く、最初のうちはもどかしさを感じていました。

でも日本の同僚たちの理解と協力のおかげで徐々にペースができてきて、さらには海外にいるメリットを生かしてBSIのイギリス本社や他国の拠点へ出張する機会も増えました。日本にいる頃より仕事の幅が広がったようで、面白かったですね。

ですが、夫がニューヨークへ転勤して6年が過ぎ、そろそろ日本に戻れるのではと期待していた頃。夫に出た辞令は、アイルランドのダブリンへの転勤だったのです。

私も夫と共にダブリンへ移り、リモートワークを継続したものの、この頃からキャリアに停滞感を覚えるようになりました。

当時は今ほどリモートワークも普及しておらず、私の働き方はあくまでイレギュラーなもの。日本から遠く離れた土地で一人、自分がどこまで仕事ができるのか、やってもいいものか判断が難しい場面も増えてきて。

次第に、「この状況が続くなら、やっぱり会社を辞めた方がいいのだろうか」と悩むようになったのです。

妊娠、帰国、育休からの復職。停滞から脱すべく手を挙げ管理職に

しかし、またもや思いがけない転機がやってきます。私の妊娠が発覚し、時を同じくして夫の日本への帰任が決まったのです。

約7年ぶりに日本へ戻り、2019年に出産。産休・育休を経て、20年7月に復職しました。

しばらくは、海外にいた頃と同じ医療機器認証ビジネスのマーケティングを続けていました。初めての育児と仕事の両立に不安があったので、慣れた仕事をマイペースで続けるのがいいだろうと考えたのですが、1年ほど経つと、かつての停滞感がよみがえってきたのです。

BSIグループジャパン

コロナ禍の中でスタートした育児と仕事の両立は、夫と協力し合ったことで思った以上に順調な滑り出しを切ることができました。だからこそ、何年も続けてきた変わらない仕事に、キャリアステップの途中で、ずっと足踏みしているような感覚を持つように。

しかも、周囲の子育て経験者たちに話を聞くと、「子どもが保育園に通っている間よりも、小学校に上がってからの方が仕事との両立は大変」と口をそろえて言うのです。

つまり、数年後にはもっとペースダウンした働き方になるということ? そう思うと、「動くなら今かもしれない」という気持ちが自然と湧いてきて。今のうちに仕事に全力投球して、できるだけキャリアアップを目指してみようと奮起しました。

ちょうどその時、認証事業本部カスタマーサービス部でマネジャーの社内公募が行われることに。

認証事業本部は、ISO規格の認証取得を希望する顧客の審査を行っている部門です。その中で、既存顧客の対応を専門とするチームとして新設されたのがカスタマーサービス部でした。

当時、私はBSIグループジャパンでのキャリアが10年以上ありましたが、会社のメインビジネスである認証事業に携わった経験はなし。過去に大勢の部下を持つような管理職として働いた経験もありませんでした。

それで、「これは私の意思表示のチャンスだ」と思ったんです。

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たとえ今回の社内公募には通らなかったとしても、手を挙げることで「私は仕事でチャレンジを続けていきたいんだ」という意思表示になるはず。

自分から動くことで会社に私の意思が伝われば、次の挑戦の機会は向こうからやってくることもあるだろう。そう考えて、社内公募に応募しました。

結果、私の希望が通り、2021年11月にカスタマーサービス部へ異動。ISO規格の認証プロセスについては知らないことも多く、勉強漬けの日々でした。

そこかしこに学びや発見があり、ずっとアドレナリンが出っ放し(笑)。新しいことを知るのはこんなに面白かったのかと、毎日ワクワクしています。

部下のマネジメントや育成も初めてですが、何よりチームで仕事するのはすごく楽しい。カスタマーサービス部には現在17名のメンバーがいて、16人が女性。個性豊かな人材がそろっています。

もともとBSIグループジャパンでは、女性であることを理由に道が閉ざされることはありません。さまざまな国際基準に触れる事業を行っているので、ダイバーシティー&インクルージョンについても、経営陣自らグローバルな考え方を積極的に取り入れ、社内カルチャーのアップデートを図っているのです。

私もチームメンバーの多様性を尊重し、一人一人が自分らしい働き方で活躍できるチームをつくっていきたいと考えています。

ダッシュできるときも、ペースダウンすることもある。キャリアは一定で進まない

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今のポジションに就いたことで、キャリアビジョンも大きく変わりました。

社内公募に手を挙げる前に感じていた閉塞感は、理想のキャリアビジョンにつながる道筋がなかなか見えてこないことへの焦りが大きかったと思います。

当時の私の目標は、ゆくゆくは活動範囲をグローバルに拡大していくことでした。まずはBSIのアジアパシフィックでキャリアを築いて、その次はより広いグローバルへ……と将来を思い描いていたんです。

ところが、異動先のカスタマーサービス部は国内の顧客に対応するドメスティックなチームなんです。でも、逆に「別にグローバルにこだわる必要はなかったんだ」と気付くきっかけになりました。

海外でリモートワークをしている間は比較的一人で完結する仕事が多くて、人と直接話す機会も限られていたので、今は顔が見えるメンバーと一緒にチームをつくり上げていくのが面白くて仕方ない。

再び海外に活動の場を移してキャリアを築いていくよりも、「メンバーがもっと働きやすい環境をつくるために、マネジャーとして何ができるか」を考える方が、今の私には情熱を注げる対象だと胸を張って言えます。

BSIグループジャパン

ステップアップできていない焦りから上に向かう出口ばかりを探していましたが、ふいに現れた横の扉を開けてみたら、その先にはこんなに面白い世界が広がっていた。キャリアというのは、どこで方向が変わるか分からないものですね。

こうして振り返ると、ぶれない目標を持ってやってきたわけでもありませんし、必ずしも自ら進んで選んだわけではない転機に振り回されたりもしました。思うに任せない状況に悶々として苦しい時期も長かった。でも今やっと、キャリアってそういうものだと思えるようになりました。

全力でダッシュできる時期もあれば、走るペースを落とす必要があることも。それを数年単位で繰り返していくものだから、ペースダウンせざるを得ない時も、いつか全力疾走するためのインターバルだと思えばいい。足を止めずに歩いていれば、また機会は訪れます。

私は母が専業主婦だったこともあり、20代の頃は「結婚・出産後は私も仕事を辞めるのかも」と、どこか自然と思っていました。なので「今のうちにがむしゃらに働こう」と考えて、“太く短く”をキャリアのキーワードにしていたんです。

その時は、“太く短く”働いた後でも、“細く長く”のキャリアを選び直せるというところまで想像が及んでいなかったんですね。

私も子どもが小学生になったらまたペースダウンするかもしれないし、夫の海外転勤がもうないとも言い切れない。でも今度は、きっと以前のように停滞感に悩むことはないでしょう。

キャリアとは一直線に右肩上がりに進むものではなく、アップダウンがあったり、思い掛けない方向に扉を開けたりしながら進んでいくもの。今はそう思えるので気が楽ですし、自分のチームメンバーがその時々のペースで自分らしく前へ進んでいけるような環境作りに少しでも貢献したい。それが未来の自分自身の働きやすさにもつながったらいいなと考えています。

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取材・文/塚田有香 撮影/野村雄治 編集/秋元祐香里(編集部)