「育休取得者の同僚に最大10万円」三井住友海上の人事に聞く、育休取る人・送り出す人“全方位ハッピー”な職場のつくり方
コロナ禍以降に浸透した時間・場所にとらわれない働き方や、国が力を入れて取り組んでいる男性育休の取得促進によって、育休復帰後の女性の働き方が多様化している。「女性が時短勤務をする」以外に今はどんな選択肢が生まれているのか、識者・経験者が語る実例を通して紹介しよう
2023年3月、三井住友海上火災保険が「育休職場応援手当(祝い金)」(以下、育休職場応援手当)という新たな制度を7月から導入すると発表した。
これは社員が育児休業を取得した場合に、職場の同僚全員に一時金を支給するというもので、ニュースメディアなどで報じられた直後から大きな話題を呼んだ。
日本企業でも育休を取得する本人への支援は充実しつつあるが、その同僚を対象とする制度は非常にめずらしい。
同制度の企画者の一人で、三井住友海上火災保険で人事部主席スペシャリスト(主席HRストラテジスト)を務める丸山剛弘さんに話を聞くと、「共感の声を中心に、想像以上に大きな反響を社内外からいただいた」と驚きを口にする。
一般的に女性が多い職場では、「育休を取得する人」と「育休取得者を送り出す人」の断絶が問題になりやすいが、同社では今回の制度設計の裏でどんな課題があったのだろうか。
育休を取る人も、育休取得者を送り出す人も、双方が気持ちよく働き続けられる職場づくりを私たち一人一人がどのように実現していくことができるのか、丸山さんにお話を伺った。
制度発表後、大反響の裏で「性別で差をつけない」内容に即修正
ーー23年7月に導入する「育休職場応援手当」の概要を教えてください。
丸山:社員が産休・育休を取得した際に、職場の同僚全員に祝い金として最大で10万円の一時金を支給する制度です。
この制度における「職場」とは、弊社で「課支社」と呼ばれる単位を指し、一般企業で言えば「課」に当たります。支給対象となるのは、パート・有期雇用社員を含む全社員です。
育休取得者が職場を離れる間、代わりに業務を支えてくれるメンバーに会社が手当を出すことで、社員が気兼ねなく休める環境づくりを促すことを目的としています。
ーー支給金額はどのように決まるのですか。
丸山:支給金額は「職場の規模」と「育休の取得予定期間」に応じて決まります。
弊社の課支社は規模に幅があり、半数以上は13人以下の職場ですが、コールセンターなどは30人以上の大きな組織になります。
人数が少ない職場ほど、社員一人が育休を取得した際の同僚の負担は大きくなりますから、職場の規模を考慮した制度設計にしました。
育休の取得予定期間については、「3カ月以上」か、「3カ月未満」かで区切って支給金額に差をつけております。なお、産前産後休暇の期間もこの取得予定期間に含めて判断することとしています。
例えば13人以下の職場の場合、育休取得予定期間が3カ月以上なら同僚に10万円が支給され、3カ月未満なら3万円が支給されます。
これも育休取得者が職場を離れる期間が長いほど、同僚も長くチームを支えることになるので、同僚がより多い金額をもらえるようにした方が、育休取得者の「長く休んで申し訳ない」との気持ちが和らぐとの判断に基づいています。
また育休を支える同僚も、育休取得者が職場を離れる期間が長いほど支給金額が多ければ、長い育休取得を、より快く受け入れやすくなると考えました。
ーー最初にこの制度についてメディアが報じた時点では、育休取得予定期間で区切るのではなく、「育休取得者が男性か、女性かで支給金額に差をつける」という内容でした。その後、制度設計を変更したということですか?
丸山:ええ、そうなんです。
当初の制度案は「例えば13人以下の職場の場合、育休取得者が女性なら同僚に10万円ずつ支給し、育休取得者が男性なら3万円ずつ支給する」という内容で、メディアでもそのように報じられました。
第一報が配信された直後から『Yahoo!ニュース』や『NewsPicks』などに数多くのコメントが書き込まれ、その多くは「よくぞ支える側に目を向けてくれた」という賛同のご意見でしたが、一方で「なぜ男女で差をつけるのか」「これは男性差別ではないか」といった書き込みもありました。
中には弊社の人事部に直接電話をかけてきて、同様の意見を訴える方もいたほどです。それだけ性別で差をつけることに違和感を抱いた方が多かったのでしょう。
私も皆さんからいただいたご意見を率直に受け止め、すぐに制度内容を修正する決断をしました。
そして男女で差をつけるのではなく、育休取得予定期間で区切る修正案を作成し、上層部や労働組合にも修正したい旨を伝えたところ、前向きな反応をもらいました。
出張中だった社長にもメールで報告し、「見直す方向で進めてほしい」と即座に返事があったので、報道から3日後には制度を修正することがほぼ決まった、という流れです。
育休を取得する人・職場を支える人…全員がハッピーになれる仕組みづくりに挑戦
ーー育休職場応援手当の制度そのものも目新しい取り組みですが、世間の反応を受けて即座に改善する柔軟さとスピードにも驚きました。
丸山:もちろん私たちも、男性を差別するつもりは全くありませんでした。ただ制度設計の際に、将来目指すべき理想像ではなく、社内の現在の実態をそのまま反映してしまったのは大きな反省点です。
そもそも、なぜ当初案で男女に支給金額の差をつけたかと言えば、育休取得期間の実績に大きな差があったからです。
弊社の場合、女性社員が職場を離れる期間は産休も含めて平均で約17カ月間ですが、男性社員の育休取得期間(育休と連続して取得する休暇や土日・祝日の日数も含む)は平均で約37日。
以前に比べれば男性の育休取得期間は長くなっているとはいえ、まだまだ両者の差は大きいのが現状です。
先ほどもお話ししたように、育休取得者が職場を離れる期間が長いほど、同僚に支給される金額が多くなれば、「申し訳ない」気持ちが和らぐと考えました。
よって職場を離れる期間が長い女性社員が育休を取ったときに、期間が短い男性社員が育休をとったときよりも支給金額を多くするのは理にかなっているし、社員にも受け入れられるだろうと思ってしまった。
でも報道に対するコメントで「長く育休を取りたい男性への差別ではないか」「男性は育休を短くとるものというステレオタイプを助長する」という意見を目にして、ハッとさせられたんです。
ーーつまり性別で差をつける意図はなく、もともと休む期間で区切ることが本質的な狙いだったわけですね。修正後に育休取得予定期間を「3カ月以上」と「3カ月未満」で区切ったのはなぜですか。
丸山:今回の制度設計で最も難しかったのは、「男性」「女性」「育休を取得する人」「職場を支える人」という4種類のステークホルダーがいて、全員がハッピーになる仕組みを考えなければいけないこと。3カ月で線引きしたのも、全てのステークホルダーに配慮した結果です。
前提として、細かく期間を刻みすぎると制度を運用する際の実務が複雑になるため、シンプルに1カ所だけ線を引くことにし、当初は6カ月で区切る案を検討しました。
男性社員の平均育休取得期間である約37日を超える期間で区切れば、もっと長く育休を取ろうとするインセンティブにもなります。
とはいえ現実的に考えると、いきなり6カ月以上を目指すのはややハードルが高いかなと。
また、女性社員でも「キャリアの断絶を防ぐために、産休が明けたらすぐに職場復帰したい」と希望する人はいるので、育休取得日数がゼロの場合は同僚への手当が減額されるとなると、早期復帰への意欲がそがれてしまう問題もあります。
そこで男性社員と女性社員のどちらもハッピーになる方法を考えた末にたどり着いたのが、「産前産後休暇も含めて3カ月で区切る」という案でした。
弊社の産前産後休暇は計16週、約3.7カ月なので、育休を取得しない女性社員の同僚も3カ月以上の高い方の金額での支給の対象になります。
3カ月なら男性社員も手が届きやすいので、現状より長く育休を取得するケースが増えることも期待できますしね。
男性社員の育休取得を推進すること、育休を長期で取得する女性社員が気兼ねなく休めること、育休を取らずに復帰したい女性にも、その同僚にも不利益がないこと。
これらを両立させて、ステークホルダー全員にメリットがある制度にできたのではないかと思っています。
これまでは「産む人を支える側」に焦点が当たってこなかった
ーー育休職場応援手当のニュースに多数のコメントが寄せられたことでも分かるように、この取り組みは世間から大きな注目を集めています。なぜこれほどの反響があったのだと思いますか。
丸山:今まであまり目を向けられなかった「産む人を支える側」にも焦点を当てた制度だからではないでしょうか。支える側の負担については、おそらく誰もがモヤモヤを感じていたのだろうと思います。
特に独身の方やお子さんがいない方は、報われない気持ちになることが多々あると思います。
「これは順番だから」「いつかはあなたも産む側になるから」とよく言われますが、必ずしも全員にその機会が来るとは限らず、常に支える側に回っている方もいらっしゃる。
そうした立場に置かれた人たちへの共感が、この制度への反響の大きさとなって表れたような気がします。
企業の子育て支援策というと、どうしても育児中の社員への支援を手厚くするという発想になりがちです。
でも産む側への支援だけに偏ると、支える側は「自分たちのことも考えてよ」と思うのが自然ですし、それによって育休取得者への風当たりが強くなったりしたら本末転倒です。
ーーもちろん育児をする当事者への支援は必要ですが、周囲の立場や感情にも目を向けないと、産む側と支える側の間に断絶を生む可能性がありますね。
丸山:コメントでも「産む側と支える側の両方にとってwin-winの制度だ」「双方の心が軽くなり職場の雰囲気が良くなれば、マネジメント層も職場運営がしやすくなる」といった声が多く寄せられています。
仕組みとしては非常にシンプルな制度ですが、どの立場にいる人もモヤモヤが晴れて、子育て中の社員を全員が気持ちよく支える組織風土づくりにつながる点を皆さんが評価してくださったのだと理解しています。
ーー社内からはどのような反応がありましたか。
丸山:こちらも好意的な反応が多いですね。ある子育て中の女性社員は、「周りに祝福してもらえるので、二人目も安心して産めそうです」と話していました。
男性社員からも「安心して育休を取れる」との声を聞いています。職場をまとめる管理職からは、「同僚に手当が支給されることで、『自分も積極的に協力しよう』というモチベーションが生まれ、チームワークも強化されるのでは」との期待の声も聞かれました。
他人の問題は、実は自分ごと。一人一人が声を上げれば職場はもっと良くなる
ーー長く人事として働かれてきたご経験から、「育休を取る人」と「送り出す人」の双方が働きやすい職場をつくるために、現場の一人一人ができることは何だと思いますか?
丸山:大事なのは、社員同士で相互理解を深めていくことだと思いますね。
人事が会社の状況にあった制度を作っていくことも大事なのですが、社員同士の思いやりや助け合いがあるにこしたことはありません。
会社には、男性、女性、子どもがいる人、いない人、育休の取得経験がある人とない人……さまざまな立場の社員がいますよね。
そういう立場の違う人同士が、常日頃からお互いの立場に立って物ごとを考える習慣をつけておくと、「お互いさま」の人間関係ができる。
そして、育児に限らず介護、病気など、それぞれに何かあったときに、みんなが気持ちよく休めるし、気持ちよく送り出せるようになりますから。
また、出産や育児に関していえば、個人だけの問題ではなく、少子化という社会課題の一つでもあります。
これを「個人の問題」と捉えると、「なぜ他人の育児を応援しなければいけないのか」という発想になりますが、実際は、誰かの子育ては将来の自分の暮らしにもつながっているもの。
例えば、「子どもを産む人が減り続ければ、将来は年金や医療制度が立ちいかなくなり社会全体が悪影響を受ける」と考えれば、誰にとっても少子化は人ごとではなくなるかもしれません。
ーー介護や病気だっていつか自分の問題になるかもしれないし、誰かの子育ては自分の将来のためでもある。そうやって、自分事化して考えられると「お互いさま」の気持ちが育ちそうですね。
丸山:そう思います。あとは、実際問題「こんなことに困っている」「モヤモヤしている」「こんな解決策はどうでしょう」ということがあれば、どんどん口に出した方がいいと思います。
不満や不安、大きな違和感を抱いていても、何も行動を起こさなければ、周囲は「大した問題ではない」「このままでも仕方がない」と受け流してしまう。それでは職場の環境や会社の制度をより良い方向へ変えていくことはできません。
弊社の場合は常日頃から人事担当役員が「どんなアイデアでもいいからどんどん持ってこい」と言ってくれていることもあり、メンバーが自由に意見を言い合える組織風土がある。
そんな中で、育休職場応援手当という新しい制度が生まれました。ですから、皆さんも職場環境や働き方で違和感を覚えることがあれば、思い切って声を上げてほしいと思います。
それが自分だけでなく、周囲の人やこれから皆さんの会社で働く人にとっても役立つものになっていくはずですよ。
取材・文/塚田有香 ※画像はすべてイメージです
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