10 MAY/2023

産後ケアを当たり前に。日本最大級の産後ケアホテルを立ち上げた女性が「やるべき仕事」と出会えた必然

連載:「私の未来」の見つけ方

生き方も、働き方も、多様な選択肢が広がる時代。何でも自由に選べるってすてきだけど、自分らしい選択はどうすればできるもの? 働く女性たちが「私らしい未来」を見つけるまでのストーリーをお届けします

日本では、出産後の女性をサポートする体制が整っていない──。

そんな社会課題の解決に取り組んでいるのが、株式会社マムズ取締役社長の斎藤睦美さんだ。

斎藤さん

株式会社マムズ
取締役社長
斎藤睦美さん

産後ケアホテル『マームガーデン葉山』事業責任者(グループ会社:株式会社NSグループ)、幼稚園教諭第一種、保育士。国際女性デー『HAPPY WOMAN AWARD 2023 for SDGs』個人賞を受賞。『カラオケパセラ』、『アンダリゾート』など20業種のサービス業を手掛ける株式会社NSグループにて、2016年に保育園を立ち上げた後、21年12月に日本最大の産後ケアホテル『マームガーデン葉山』を立ち上げる ■Twitter

日本最大級のリゾート型産後ケアホテル『マームガーデン葉山』を立ち上げ、施設運営や産後ケアカルチャー普及のために奔走している。

産後ケア施設とは、出産直後の母親の心と体の回復を促進し、母子とその家族が安心して育児できるようにサポートするための施設だ。

国内ではまだまだ少ない産後ケア施設。

前例がほぼない中で『マームガーデン葉山』の立ち上げに挑んだ斎藤さんのキャリアをたどると、自分らしく働くためのヒントが見えてきた。

偶然見たテレビ番組、姉の出産を機に「産後ケア」の道へ

子どもの頃の夢は、保育関係の仕事に就くことでした。

年下の子たちと何時間遊んでいても苦にならなかったので、将来は保育園か幼稚園の先生になりたいと思っていたんです。

大学では保育士の資格も取りました。ただ、子どもと触れ合うことが好きだからといって、保育士として働く道を選んでいいのだろうか。そんな疑問も持つようになりました。

斎藤さん

私の父は経営者。その背中を見て育ってきたからこそ、自分も何かビジネスをやりたいという気持ちも芽生えていました。

ただ好きなことに関わるだけでなく、自分だからこそやるべき「仕事」を見つけたい──。

それを探したい思いで、大学卒業後は発達支援など療育を手掛ける企業に入社し、そこで3年ほど経験を積んだ後で現在の職場であるNSグループに転職。

グループ初となる保育園事業の立ち上げを行いました。

保育園の立ち上げから運営まで一貫して関わる中で、ある時ふと、俳優の小雪さんが韓国で出産し、産後ケア施設を使ったという話をテレビ番組を通じて目にする機会がありました。

「すごい、海外にはこんなところがあるんだ」と驚いたのと同時に、日本との違いを知って愕然としました。

私は普段、保育園で親御さんとはよく触れ合っていたのですが、園にいらっしゃる皆さんはもう産後のつらい時期を乗り越えた人たちばかり。

もしかすると、産後に体調を崩してしまい、満足に子育てができていないお母さんだっているのかもしれない。

私が目にしているのは、本当に一部のお母さんたちなんだ……。そういう事実に気付かされましたね。

斎藤さん

そんな思いが芽生えた時に、姉が出産を経験。

普段はしっかり者で元気いっぱいな姉が、産後は心身ともに大きなダメージを受けていて、何だかとてもショックでした。

産後ケアホテル『マームガーデン』の医療監修を務めてくださった産婦人科医の宗田聡先生によれば、出産後の女性の体は「車にひかれる」のと同程度のダメージを受けているのだそうです。

それなのに、日本では産後の女性たちが専門家の手を離れて放置されがち。

高齢出産や核家族化の進行などによって頼れる家族が近くにいない状況にある女性たちが増えている中で、ボロボロの体のまま産後いきなり育児を頑張ろうとしてしまう人も多い状況です。

なぜ日本では、産後ケアの体制がこんなに脆弱なんだろう……。

そんな疑問が湧いてくるとともに、これは自分が「仕事」として取り組んで解決していくべき課題なのではないかと、はっきり頭に浮かびました。

また、これまで取り組んできた発達支援・保育の経験も役立つ分野だったので、過去に学んできたことが点と点でつながり、「これをやるためだったのか」とさえ思いましたね。

ここから、私の産後ケアホテル『マームガーデン葉山』立ち上げに向けたチャレンジが本格的に始まります。

台湾視察で痛感した、世界と日本の「産後ケア格差」

まずは、なぜ産後ケア施設が日本で必要なのか、どうしてNSグループでそれをやる必要があるのか、自分なりに考えをまとめて経営陣にプレゼンを実施。

社内の賛同を得ることができ、台湾の産後ケア施設を視察しに行きました。

斎藤さん

小雪さんが出産した韓国や、中国、そして台湾など近隣の国では、出産をした女性たちのほとんどが産科を退院した後で産後ケアを利用します。

視察に行った台湾でも、あらゆる地域に複数の産後ケア施設がありました。

そして、ほとんどのお母さんたちが「当たり前」のように専門家の力を借り、体の回復に努めながら育児の仕方を学ぶそうです。

一方、日本ではまだまだ産後ケア施設が不足しています。東京を含む関東地方においても、自治体の運営を除くと『マームガーデン葉山』を入れて5カ所ほどしかありません(2023年5月時点)。

公的機関が提供する産後ケア施設もありますが、利用できる人数が限られているので、シングルマザーや病気を患っている方など緊急性の高い方が優先されます。

実は、私の2人の姉のうち一人は民間の産後ケア施設を利用しました。そして、もう一人の姉は自治体の産後ケア施設の利用を希望して申し込みをしましたが、落選してしまい自宅で産後を過ごすことになりました。

皆が当たり前に使える産後ケア施設が必要なのに、日本にはそれがあまりにも少なすぎる──。

台湾や韓国、中国の現状との「産後ケア格差」をまざまざと感じて課題意識がクリアになりましたし、この事業を何とかやり遂げたい気持ちがますます強くなっていきました。

「産後がこんなに楽しいなんて」ゲストの変化が原動力に

『マームガーデン葉山』の立ち上げにあたって私が一番こだわりを込めたポイントは、出産後のお母さんたちがリゾートホテルにいるようにくつろげる場所をつくること。

イメージ

都内から車で1時間、日本最大級の産後ケアホテル『マームガーデン葉山』は、2021年12月にオープンした。産後の体を回復するために24時間預けられるベビールームを併設し、産後に必要な栄養を取り入れた食事の提供がある他、授乳指導や沐浴指導なども受けられる産後ケア専門のホテル

産後ケア施設だからといって、医療機関で過ごしているような気持ちではなくて、しっかりリラックスして心と体の回復に務めてほしい。

そういう願いを込めて、施設のコンセプトを決めました。

斎藤さん

『マームガーデン葉山』施設内からは、葉山の海を臨むことができる

また、これまで保育園の立ち上げに携わったことはありますが、産後ケア施設の立ち上げは社内に前例がないばかりか、日本国内にもモデルケースがほぼない状況。

手探りの連続でそれはもう大変でしたね。

特に、ホテルオープン直前の2~3カ月の間は忙しすぎて記憶がほぼありません(笑)。それくらい、怒涛の日々でした。

最も大変だったのは、スタッフ間で施設のコンセプトやミッションを浸透させ、認識をそろえること。

産後のお母さんたちは「お客さま」であり、われわれが最大限のおもてなしをすべきゲスト。

譲れないこだわりを何度も何度もスタッフに伝え、みんなでここをどういうホテルにしたいか話し合い、研修やシミュレーションを重ね、根気強く目線合わせを行っていきました。

それから約1年半。2021年12月の施設オープン以降、約1500組の方にご利用いただき、予想以上の反響に驚いています。

お客さまからは、うれしいお声もたくさんいただいていて、私の原動力にもなっていますね。

中でも印象に残っているコメントがあるので、一つ紹介させてください。

以前、第一子を産んだ際に産後うつになってしまった方が、第二子を産んだ際、マームガーデンを利用してくださったんです。

その方は、第二子の妊娠が分かった時、心からは喜べなかったそうです。

第一子出産の際に、産後うつになったトラウマから、うれしさよりも不安の方が大きかった、と。

斎藤さん

そこで、「もうあんな思いはしたくない」と第二子出産の時には『マームガーデン葉山』で過ごすことにしてくださったそうなのですが、「産後がまるで違った」とおっしゃるのです。

「産後をこんなに楽しく、前向きな気持ちで過ごせるなんて思いもしなかった。こんなふうに過ごせるなら、3人目も欲しいくらいです」と言って帰っていかれました。

その時は、「ああ、価値あるサービスを提供できているんだ」と実感できて、何だかこみ上げてくるものがありましたね。

「やりたいこと」より、「やるべきこと」の方が大事

現在マムズの取締役社長を務めていますが、自分が産後ケアの領域でこんなふうに働いているなんて……5年前には全く想像もしていませんでした。

でも、先にもお話ししたように、過去の経験の一つ一つがつながってここにいる感覚はあります。

斎藤さん

就職したばかりの頃や、働き始めて数年たったくらいの頃は、自分が「仕事」として何をやるべきなのか模索していた時期でした。

そこから、好きなことや自分の成長につながりそうなことがあれば積極的に手をあげてチャレンジさせてもらって、全力で仕事をしてきました。

そうやって自分自身を耕していく中で、「これこそ、自分がやるべきだ」と思う仕事にぴたりとめぐりあえた感覚があります。

事業責任者として働いていると、忙しい時期もあるし、自分の非力さを痛感させられるような大変なことも多々あります。

それに、産後ケアの仕事が「やりたいこと」なのかっていうとちょっとニュアンスが違う。

好きだから、楽しいからやりたいんじゃなくて、「自分が仕事としてやるべきことがこれだ」と思えるからまっすぐに向き合える

だから、つらいことがあっても「自分らしく働けている」と言い切れるんだと思います。

最近は、ワークライフバランス重視の人も多いと思うのですが、個人的には仕事とプライベートがあいまいなくらいがちょうどいい。

「仕事は仕事」と割り切って生きるよりも、プライベートの時間にも仕事のことを自然と考えたくなってしまうような、それくらいの使命感を持って取り組めることがあるときの方が、人生の充実感が大きいんです。

ワークライフバランスより、ワークライフインテグレーションの方が自分らしいと感じますね。

「そういう働き方・生き方がいい」と思えるようになったのも、20代で120%の力を振り絞って仕事をするような経験だったり、挑戦する生き方を体験できたりしたからこそだと思います。

人は自分の過去の経験の中でしか「合う・合わない」「いい・悪い」が判断できませんから、「これは違うな」というものも含めて自分の身をもって知るしかない。

ですから、20代で積んだ経験は一つも無駄にならないし、逆に言えば、「自分らしい未来」を見つけるのに、近道なんてない。

経験の引き出しを増やし続けることでしか、自分が納得できる未来は見つからないと思います。

産後ケアを日本で当たり前の選択肢に──。ようやく見つけた人生を懸けて取り組みたいミッションは、まだまだ始まったばかり。

「産後が楽しかった」と感じられるお母さんをもっと増やしていきたいから、『マームガーデン』の全国展開にも挑戦してみたい。

夢は膨らんでいくばかりなので、一つ一つ、実現していけたらと思います。

斎藤さん

取材/栗原千明(編集部) 文/まゆ 撮影/洞澤 佐智子(CROSSOVER)