【山口真由】“年収の壁論争”から考える「他人と比べない・納得感ある働き方」を選ぶために20代女性に必要なこと

山口真由さん

所得税や住民税などの課税最低限、いわゆる「103万の壁」や「130万の壁」といった“壁”の撤廃に関するニュースが話題だ。

これら「年収の壁」は賃金格差の元凶とされ、撤廃されることによる税と社会保険の大改革は、女性のキャリアアップ意識や賃上げをかなえると期待されている。

一方で、年収の壁の議論をめぐって、「専業主婦は優遇され過ぎだ」「共働き、”子持ちさま”は被害者面している」など、さまざまな立場を批判する叩き合いがネット上では繰り返されている。

叩き合いはなぜ起こるのか。そして今、20代の働く女性がどんな人生を選んでも「納得感のある働き方」をし続けるにはどうすればいいのか。

法律家であり、信州大学社会基盤研究所特任教授の山口真由さんに話を聞いた。

山口真由さん

1983年生まれ、北海道出身。2006年に東京大学を卒業後、財務省に入省。その後弁護士事務所を経てハーバード大学ロースクール卒業、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。現在は信州大学の特任教授として教壇に立つかたわら、テレビでのコメンテーターとして「羽鳥慎一 モーニングショー」(テレビ朝日)、「ゴゴスマ」(CBCテレビ)などに出演中。著書に『挫折からのキャリア論』(日経BP) 『前に進むための読書論』(光文社新書)など多数。X

「103万円の壁」問題で浮彫りになった、専業主婦モデルへの疑問

編集部

「103万の壁」「130万の壁」など、年収の壁に関するニュースが話題です。ただ、なぜ「壁の撤廃」がそこまで議論になるのか、実はよく分からない人もいるようです。そもそも、これはどういう問題なのでしょうか?

山口さん

所得が103万円を超えると、親の扶養から外れることで家族全体の税負担が増えるため、「103万円を超えないように働こう」というのがいわゆる「103万の壁」ですね。

「103万円の壁」が税負担の問題であるのに対して、社会保険料負担が増えるために壁とされているのが「106万」「130万」です。

今こうしたさまざまな「壁」の引上げや撤廃が議論されています。

編集部

これらの年収の壁を撤廃することによるメリットは何でしょうか?

山口さん

もちろん、国全体で労働力不足が問題になっている中で「働き控え」が減ることは期待されると思います。

また個人としても「103万円の壁」が引上げられれば手取り収入が増えるでしょうし、「106万円の壁」や「130万円の壁」が撤廃されれば、短期的には負担増でも、長期的には将来、得られる年金額が増えることが期待されています。

編集部

専業主婦やパートで働く人たちの問題なのかなと思っていたのですが、「年収の壁」撤廃は正社員で働く女性たちにも影響があるのでしょうか?

山口さん

個人的には「103万円の壁」で大きな影響を受けるのは、親の扶養の枠内で働いてらっしゃる学生さんのような層だと思っています。

専業主婦(夫)だったけれどパートでも働くという方の場合には、すでに配偶者特別控除という制度があって、(一定の年収要件があるものの)150万円までは満額の控除を受けられるんです。

その後も201万円までは段階的に控除が減っていくという仕組みなので、「実際には『103万円』は壁ではない」などといわれています。

山口さん

とはいえ「103万円」が会社の手当だったり、個人の心理的にも一定の目安になっているのは確か。

さらにこんなに「壁」がいっぱいあって、働きたい人のハードルになっているのかという議論の扉が開いたのもよかったのではないでしょうか。

編集部

「年収の壁」の問題は長年議論されてきましたが、このタイミングで政府が「103万の壁」「106万の壁」撤廃に踏み切る決断をしたのはなぜなのでしょうか?

山口さん

共働き家庭が増加していく中で、いよいよ「専業主婦優遇モデル」が日本社会に合わなくなったということだと思います。

そもそも日本の制度って、「年収の壁」の問題も含めてかなり昔の家族モデルが採用されているんですよ。制度上で語られる「家族」の形は1980年代から変わっておらず、「専業主婦優遇モデル」だと言われています。

年金のモデルケースとされているのも、一家の大黒柱の夫、専業主婦の妻、子どもが2人いるみたいな家族だったりしますし。

それが今回表面化したことで、「家族ってこういうものだよね」といった80年代の価値観を引きずっていることを実感する良い機会になったかな、とも思います。

「専業主婦」「共働き」それぞれのつらさを想像して

山口真由さん
編集部

「専業主婦優遇モデル」という名前にもあるように、このニュースをきっかけに「専業主婦は優遇されている」という批判も目立ちました。

ほかにも「共働き、“子持ちさま”は被害者面してえらそう」のように、ネット上ではいろいろな立場の人が叩き合っている印象です。

山口さん

最近のSNS空間の炎上を見てると、すごいなと思います。自分と違う属性の人をねたましく思う気持ちは、分からなくはないですが。

SNSで叩き合っても生産性がないのは、皆分かってるはずなんですけどね。

私も子どもができるまでは「大企業の会社員は3年もゆっくり育休取れていいな」「子どもが3人いれば9年も休めるんだ、いいな~」なんて思ってしまうこともあったんですよ。

でも実際に子どもが生まれると、視点が代わって「ずっと子どもと一緒にいられる人ってすごいな」と素直に思えるようになって。

私の場合は、大人と仕事をしていた方が、24時間目を離せない子育てよりもよっぽど楽だったんですよね。

編集部

今までの自分とは違う属性の人になってみて初めて気付いたと。

山口さん

ええ。属性が違うと、相手の事情って分からないじゃないですか。

でも、実はどんな立場の人でもそれぞれ事情があるし、お互いのつらさが見えていないだけってことだったんです。

皆、それぞれ疲れているんですよ。それなら叩き合うより、SNSは「疲れたな」とか「つらい」と吐き出して共有できる場所になった方がいいなと思います。

私はオピニオンを大展開するよりも、自分の視点から切り取った世界を呟いてみようと思ってます。この人の目から世界がこう見えてるんだっていうのを、他の人のも知りたいし。

編集部

それがSNSの理想的な使い方ですよね。

山口さん

もちろんねたみとか、うらやましい気持ちを抱いてしまうのはしょうがないんですけどね。

特に女性は、インスタなどのSNSを見てキラキラで優雅な人を見て憧れたり妬ましく思ったりすることがある人は多いはずです。

「夫に甘えてビジネスクラスとってもらいました!」「シャンパンおいしい~」みたいな投稿を見ると、みじめな気持ちになることもありますよね。私もそう思うことはありましたし。

編集部

気持ちは分かります……!

山口さん

でも「この人はこの人で、つらいことはある」って想像できるようになったら、みんな頑張ってるし愛おしい! と思えるのではないでしょうか。

そしたら「シャンパンの投稿にいいねでも押してあげるか~」って余裕が生まれると思うんですよね(笑)

きれいの裏に隠れている実像、相手の弱いところやつらさを想像することが大事なんだと思います。

「もしも」を考えることが、後悔のない人生を送るカギ

山口真由さん
編集部

ネット上では叩かないとしても、自分と比べて他人をねたまないとか、相手の立場に立って考えるって結構難しいですよね。

山口さん

そのためには、自分自身の選択に納得感を持って人生を歩むことも大事ですよね。

編集部

確かに。どうすれば納得した選択ができると思いますか?

山口さん

私も転職を何度か経験しているので、その度に大きな悩みを抱えていたんです。でもそのときに「会社にい続ける」ことも選択だなって思えたんですよね。

つまり現状を維持することも、一つの選択だと意識することが大切だと思います。

編集部

何も考えずに今のままでいるのではなくて、現状維持を自分の選択だと意識すると。

山口さん

例えば、今の会社にこのままいたら、40代、50代の自分はどんなふうになっているだろう? どのくらいの年収を得てるんだろう?と考えたときに、それでも今のままの会社で留まるのか。それって、実は積極的な選択肢の一つなんですよね。

実際には転職を考えてなかったとしても「もし転職したら?」ということも含めて、考えてみるといいかもしれません。

特にWomantype世代の20代後半の人こそ、自分の将来の選択肢をしっかり考えた方がいいと思いますよ。

編集部

目の前のことに追われて、なかなか考える機会はないかも……。

山口さん

そうですよね。私も20代、30代はとにかく目まぐるしく働いていたから、あんまり考えられていなかったです(笑)。

でも将来の可能性が無限大な年代だからこそ、「もしも、私が……」と想像してみるのがいいのではないでしょうか。

考えるきっかけとして学生時代の友人に会うのもいいですし、あとは先輩のママたちに話を聞いてみるのもいいですね。

編集部

ママ、ですか?

山口さん

なぜなら今は独身でも、「結婚する・しない」「子どもを持つ・持たない」ことを、ある程度自分の中で決めておけるといいからです。

ママたちに「結婚して子供が生まれたら、生活はどう変わりますか?」と聞いてみると、喜んで答えてくれると思いますよ。

結婚や出産の選択肢を完全に閉ざさなくてもいいから、「私は結婚しなくても、子供がいなくても幸せになれる」と決めておくことで、違う属性の人たちにモヤモヤすることもなくなるし、将来の不安を減らすことができると思います。

編集部

なぜそう考えるのでしょうか?

山口さん

かつての私は、40歳を過ぎて子どもを産んでいる芸能人たちのニュースを見て「私もいけるんだろうな」と何となく思っていたんですよ。

でも、あれはめずしいから目立つだけで、その裏には希望がかなわず後悔している女性もたくさんいるわけです。

そうしてたくさん将来のことを考えた上で、今の自分が立っている場所は自分の選択で決めたものなんだと堂々と言えるようになるといいのではないでしょうか。

編集部

それが他人と比べず、選択に納得感を持って進める自分をつくるためのファーストステップになりそうですね。

山口さん

そうですね。例えばこの年末年始、まとまった時間をとって考えてみてはどうでしょうか?

それが今後自分の人生を自信を持って歩めるきっかけになるかもしれませんよ。

取材・文/大室倫子(編集部)