松坂桃李が20代で決断したキャリアの脱・安定志向「今の時代に必要なのは、安心を捨てる勇気」
近年、「アンラーン」という考え方が注目を集めている。既存の知識をリセットし、過去の学びによって染みついた思考のクセやパターンを取り除くことによって、さらなる成長を実現する学習方法だ。
だが、今までやってきたことを捨て去るのは決して簡単なことではない。どうすれば積み上げた成功体験を手放せるのだろうか。
そのヒントとなるのが、映画『雪の花 ―ともに在りて―』だ。本作は、痘瘡(天然痘)撲滅のために、蘭方という新たな学問と向き合う漢方医・笠原良策の物語。
漢方から蘭方へ。同じ医の道でありながら、異分野の学問を取り入れる良策の姿は、まさに学び直しの必要性が問われる人生100年時代のキャリアの良きモデルケースだ。
変化の激しい時代の中で、柔軟に成長を続けるために必要なものは何か。主人公・笠原良策を演じた松坂桃李さんとともに考えてみたい。
大事なのは、固定観念を持たないこと
俳優という仕事は、常に新しい学びの連続なんです。
そう語る松坂さん。その言葉にはどんな意味が込められているのだろうか。
作品が変われば役も変わる。新しい人物を演じるたびに、演者もその役に必要なことを学ばないといけません。そのアプローチの仕方も、役によって違います。
だから大事なのは、固定観念を持たないこと。こうすればいいという正攻法に縛られず、絶えず自分が積み上げたものを崩して、そこにまた新しいものを足しては崩す。
そういう作業を繰り返していかないといけないんです。
本作においても、これまでの経験則にはない刺激があった。
今回は、全編フィルムだったんです。それが僕は初めてだったので、やっぱり他の現場とは違う緊張感がありました。
『居眠り磐音』以来、約5年ぶりとなる時代劇。しかも、名匠・黒澤明の愛弟子である小泉堯史監督の現場ということにも、格別の高揚感があった。
現代劇は、普段と着るものも違うし、身のこなしから立ち回りまで気をつけなければいけないことはたくさんあります。
しかも、小泉組に参加できるなんて一生に一度あるかないかの経験。現場に入る前から自ずと気持ちが高ぶるところはありましたね。
そんなハードルの高い現場で、松坂さんが心に置いていたのは、意外にも“いつもと変わらない”気持ちだった。
時代劇だからといって特別に構えたり、普段と違うことをするのではなく、役と純粋に向き合おうと思いました。
なぜかと言うと、時代こそ違えど、この作品で描いていることって僕たちの今と地続きでつながっているんですね。
僕たちもコロナ禍の緊急事態宣言で世の中全体が止まったり、感染した人が隔離されるのを目の当たりにしてきた。
それはこの映画の中で描かれていることと同じで、時代はこうやって繰り返されるものなんだと痛感しました。
未知のものに対する恐怖や不安は150年前の人も僕たちも同じ。そこに時代劇や現代劇といった垣根はないなと。
そういったマインドを持てたおかげで、いつもと違う現場でしたが、肩の力を抜いて演じられた気がします。
変化の時代に必要なのは、安心を捨てる勇気
漢方医の良策は、京都の蘭方医・日野鼎哉(役所広司)のもとで新たに蘭方を学ぶ。
キャリアを積めば積むほど、これまで正しいと信じてきたものをリセットし、ゼロから知識を吸収することへの抵抗は大きくなる。
にもかかわらず、懸命に前進する良策の姿に胸が熱くなる。
そこが良策のすごいところですよね。
やっぱり成功体験を持っていると安心するじゃないですか。僕たちの仕事も同じです。
一つ作品がヒットすれば、周りもこぞって同じような作品をつくろうとする。そっちの方が絶対楽ですから。
良策が今までの常識を捨て、蘭方という未知の世界で、無名の町医者という厳しい風当たりにも耐えながら信念を貫けたのは、やっぱり医師としての志があったからだと思います。
その志に、演じる松坂さんも大いに感化された。
成功体験を持つこと自体は大事です。でも、そこに安住していたらいけない。
なぜなら僕たちの生きる現代は、良策の生きた時代よりもずっと進化のスピードが速い。今って価値観も世の中のニーズもすごく流動的だし、飛び交う情報量も膨大じゃないですか。
その中で僕らは常に変化を求められている。成功体験にしがみついていると、あっという間に置いていかれるのが今の社会です。
そんな時代に生きる僕らに必要なのは、安心を捨てる勇気なんだと思う。
その答えに行き着いたのも、松坂さんのキャリアが常に「やったことのない挑戦」によって切り開かれてきたからだ。
そもそも僕自身がすごく安定志向の人間なんです(笑)。放っておくと、つい安心を求めてしまう。
だが、それでは成長を得られない。そう実感したのが、20代半ばに入った頃だった。
それまでの僕は、新人としてパブリックイメージに沿った仕事をやってきました。
でも先々のことを考えたら、作品の幅を広げるためにもそろそろ毛色の違う作品に挑戦する必要がある。
そうマネジャーさんと話している時にいただいたのが、『娼年』という舞台のオファーでした。
『娼年』は直木賞作家・石田衣良の人気小説。松坂さんはこの舞台化で、主人公の男娼役を演じた。
観客の視線を直接感じる生の劇場空間で、自らの肌をさらす。R-15指定を受けた衝撃作を見事に演じきり、キラキラとした爽やかな従来のイメージを一新させた。
もうあれ以上さらすものがないという舞台をやったことで、恐怖心がなくなった。おかげで、ちょっとは安定志向から抜け出せたかなと思います(笑)
あの作品は、今の自分ならもうできない。20代後半のあのタイミングだからできたチャレンジでした。
安心という心地の良い毛布を捨てることは困難だ。できれば、いつまでも温かい毛布に包まれて、ぬくぬくと生きていきたい。
でも、いつかその毛布を手放さなければいけないときがやってくる。なら、転んでも、傷ついても、まだ立ち上がれる20代こそが、その絶好のタイミングだ。
たくさんの寄り道が、アウトプットの質を高める
『侍戦隊シンケンジャー』で俳優デビュー。以降、多くのドラマや映画で様々な顔を見せてきた松坂さんも36歳。すっかり大人の色気と落ち着きが似合う俳優となった。
仕事に対する取り組み方も、20代の頃とはまた違う変化が生まれている。
結婚して父親になったことによって、作品や日々の日常に対する見方も考え方が幅広くなってきたなと感じています。
今、僕が作品に取り組む上で指針に置いていることは、自分が参加する意義です。
特に、自分の仕事は映画やドラマなどの作品として残るものなので、いつか子どもが目にするかもしれない。
そのときに何か子どもにとって刺激になるような、そういう作品に参加したいと考えるようになりました。
そう話す松坂さんには、不要な焦りやプレッシャーはまるで感じられない。むしろどこか余裕を持って、仕事を楽しんでいるように見えた。
たぶんそれは、これまで築いてきたキャリアに一定の自信と納得があるからだろう。
人と比べていい悪いではなく、どうやったら自分が納得できるキャリアを積めるのか。松坂さんの答えに、迷いはない。
それにはたぶん寄り道も必要だと思います。
寄り道なんてしている暇はない。そう肩に力が入っている人たちを、柔らかく包み込むように松坂さんは続ける。
例えばですが、僕に海外の作品に出たいという目標があったとします。今やっている仕事がそれに直結しているかと言うと、必ずしもそうではないんですよね。
でもだからと言って、今この時間が無駄になるのかと言ったら、そうではない。
目の前にある仕事を一つやり遂げることで、また次の仕事につながる。そして、その次の仕事がまたその次の仕事へと続いていく。
その道筋が、最終的にどこかで海外という目標につながっているかもしれない。それは誰にも分かりません。
でも少なくとも、たくさん寄り道をしたことで、目標に向かって最短距離で進んだ道よりも、ずっと広くて太い道ができる。
その道の太さは、いつか目標にたどり着いたとき、経験という糧となってアウトプットの質を高めてくれる。
だから、キャリアにおいて無駄なことなんて何一つないと思います。
大事なのは、目標という場所にたどり着くことではない。目指したその場所で、自分に何ができるかだ。
そのとき、自分ならできると胸を張れる力を、いくつもの寄り道が与えてくれる。
特に若いときほど、これって無駄じゃないかと思うことはいっぱいあります。
でもそれはそのときだから思うことであって、いつか年月が経って振り返ったときに、あの経験があって良かったと思える日が絶対にやってくる。
だから思いっきり寄り道を楽しんでほしいなと思います。
松坂さんの大らかで穏やかな空気感は、無数の寄り道によって生まれたものかもしれない。そう考えると、停滞気味の毎日さえ意味のあることに思えてきた。
大事なのは、安心を捨てる勇気と、寄り道を楽しむ心。そこで得たいくつもの学びが、まだ見ぬ明日の私をつくっていく。
作品情報
作品名:『雪の花 ―ともに在りて―』 2025年1月24日(金)全国ロードショー
監督:小泉堯史
脚本:齋藤雄仁 小泉堯史
音楽:加古隆
原作:吉村昭「雪の花」(新潮文庫刊)
出演:松坂桃李 芳根京子 三浦貴大 宇野祥平 沖原一生 坂東龍汰 三木理紗子 新井美羽 串田和美 矢島健一 渡辺哲/益岡徹 山本學 吉岡秀隆/役所広司
配給:松竹
>>公式サイト
公式X:@yukinohana2025 クレジット:©2025映画「雪の花」製作委員会
取材・文/横川良明 撮影/洞澤佐智子(CROSSOVER)編集/栗原千明(編集部)