日本人女性初の宇宙飛行士・向井千秋さんに聞く、仕事も暮らしも豊かにする共働き夫婦のあり方

向井千秋さん

「女性が仕事と家庭を両立しながら夢をかなえるためには、支えてくれる人の存在は大きいですよね」

そう話すのは、アジア人女性初の宇宙飛行士となった向井千秋さん。

私生活では、元同僚で医師・エッセイストの向井万起男さんと1986年に結婚。その後、妻の夢を熱烈に応援する夫に見送られ、二度の宇宙飛行を実現した。

万起男さんの著書『君について行こう』や『女房が宇宙を飛んだ』(ともに講談社)では、宇宙飛行士になった妻の姿や、同居にこだわらずお互いに好きなこと・夢中になれることをしながら精神的に支え合ってきた夫婦の様子が軽妙に描かれている。

いまでこそ多様な家族のカタチも受け入れられるようになってきたが、向井さんが結婚したばかりの頃は「女性は家庭を守るもの」という社会規範が今よりも根強かった時代。

そんな中、自分たちらしい夫婦のカタチを実現できたのは、なぜだったのだろうか。

好きな仕事を続けていきたい、ライフステージが変わっても長く働きたいーー。そんな女性たちが大切にしたいパートナーシップのあり方について聞いた。

向井千秋さん

東京理科大学 特任副学長
向井千秋さん

宇宙飛行士、医師・医学博士。1952年、群馬県生まれ。77年、慶應義塾大学医学部卒業。同大卒の女性として初の心臓外科医に。 85年、アジア人女性初の宇宙飛行士に選出。94年、98年と2度の宇宙飛行を行い、微小重力下でのライフサイエンスおよび宇宙医学分野の実験を実施。 2004年~07年にかけて国際宇宙大学の教授として、国際宇宙ステーションでの宇宙医学研究ならびに健康管理への貢献を目指した教育を行う。07年~15年、 JAXA 宇宙医学研究室長、宇宙医学センター長として宇宙医学研究を推進。 15年、東京理科大学副学長に就任し、16年4月より現職

憧れるのは“キャンプ生活”みたいな協力のカタチ

ーー夫・万起男さんは「宇宙飛行士の亭主」が最大の肩書だと著書の中で自認していますよね。男性が「妻についていく」価値観も、同居にこだわらない夫婦生活も、今と比べて珍しかったのではないかと思いますがいかがでしたか?

そうですね。私たちが結婚した時はまだ男女で就労機会に差があったり、職種によって女性は夜遅くまで働いてはいけないと決まっていたり、キャリアの面では大きな違いがありました。

それに、いまと比べたら「女は家庭を守るものだ」という社会規範も根強かったし、子育てに参加する男性はもっと少なかったと思います。

ですから、私たちの夫婦のあり方は当時も「新しい」とよく言われていました。

でも、私たちには「自分は自分」でお互いの世界があって、各々で好きなことをやっていこうという考え方がもともとあった。その価値観が二人ともぴたりと共通していたのです。

だから、私が宇宙に行くことになった時も彼は心から応援してくれたし、物理的に一緒に暮らしていなくても夫婦の危機にはなりませんでした。

なぜなら、「人からどう思われるか」を気にして生きるのは、他人の意思の上で生きるということだから。私はそういうことはしたくない。自分たちが望む自分たちらしい生き方をした方が、最後に後悔しないと思います。

ただ、私たちのようなライフスタイルがかなうのは、子どもがいないからでもある。そういう意味では、すべての夫婦がお互い好き放題やるべきだとは思いません。

ーー向井さんにとって、パートナーと共に過ごす時間を増やす以上に、仕事をしながら夫婦生活を長続きさせるために大事なことは何ですか?

向井千秋さん

性別で役割分担を決めず、各々の得意分野を生かして補い合いながら生活していくことですね。

同じ家で暮らしているなら、料理、洗濯…日々の家事は「得意」「好き」と思えるものを各々がやればいい。

それに、「今日は早く帰れたから、買い物は私が行くね」っていう感じで、できる人がその日のタスクを臨機応変にこなしてお互いに協力し合える関係性が大事なんじゃないでしょうか。

例えば、誰かとキャンプに行ったら、手の空いてる人がその場で水を汲みにいったり、火をおこしたり、料理作ったり……その場で役割を見つけてやりますよね?

私はそういう“キャンプ生活”のような夫婦関係に憧れます。

そして、そうやってお互いに補い合える相手をパートナーに選ぶことが、仕事を頑張りたい女性にとってはものすごく大切だと思うんです。

逆に、「自分の方が偉い」「自分が上に立つ」みたいなことにこだわる“猿山のボス”タイプの人と協力していくのは難しい。

常に上下関係で人付き合いを把握する人は、上に立ったら横柄だし、自分が相手より下の立場になったら自分自身を卑下しがち。

しかも相手を打ち負かすことばかり考え出すから、一緒に力を合わせて家庭を回すことができなくなります。

だから、「得意なことで相手を助ける」「不得意なことは誰にでもあって当たり前」って考えられるような人をパートナーにすること。

そして、自分自身も「男のくせに」「女なんだから」というステレオタイプや役割意識にしばられすぎないこと。それが大事です。

きっと皆さんの職場だって、チームの中にはいろいろな得意・苦手を持った人たちがいて、それぞれが補いあって成果を出していると思います。

夫婦、家族にもそういう考え方を応用できれば、もっと肩の力を抜いて楽しく生きていけるのではないでしょうか。

共通の目的に向かって、一緒に何か取り組んでみる

ーーお互いを補い合えるような対等なパートナーは、どうすれば見つかると思いますか?

明確な回答じゃなくて申し訳ないけれど、そもそも今の若い人は「対等であること」をずいぶん大事にするようになっている気がします。

だから、対等な関係を築けるパートナーを見つけられる確率は、以前よりもずっと増しているのでは?

ーーなぜそう思うのでしょうか。

向井千秋さん

収入面を考えても男性が一人稼ぎで専業主婦と子どもたちを養っていくような社会ではないから、夫婦共働きを望む若者は大学生を見ていてもともに多い印象があります。

それに、いまの20代は日本の景気が上り調子だった時も知らない世代。経済的にどんどん落ち目になっていく中で、限られたリソースを共有する感覚も強い。

シェアハウスやカーシェアリングなど、独占して物を所有することにこだわらず、当たり前のようにシェアする暮らしを送っています。

そう考えると、誰かと家庭の資源を共有したり、時間・労力をシェアすることも自然とできる人たちが今後ますます増えていくと思うんですよね。

そして、男性の育児参加はまだまだ進んでいないところがあるのは事実だけど、とはいえ、子育てにコミットしたい男性も確かに増えてはいると思います。

例えば、東京理科大の私のオフィスは飯田橋の校舎にありますが、大学周辺ではよくベビーカーを押すお父さんたちを見かけます。

びしっとスーツを着て、子どもと一緒に保育園に行くんでしょうね。何だか素敵だな……なんて思いながら彼らを見ているのですが。

そういう人が「当たり前」にいる景色ができてきて、若い世代からしてもますます「育児は女性だけがやるもの」という感覚は薄れていっている気がしますね。

だから、今の20代の人たちならそんなに心配しなくても、夫婦として協力関係を築ける人に出会える可能性は高いと思う。

だけど、なるべくなら結婚する前に、共通の目的に向かって一緒に何か取り組んでみるようなことをするといいんじゃないでしょうか。

すると、お互いの得意なことでそれぞれの苦手を補い合えるような関係なのかが見えてくるかもしれない。

一緒に旅行の計画を立てて実行してみるとか、キャンプに行って料理をしてみるとか、取り組むことは何でもいいと思うんですけどね。そこでうまく協力し合えるのか試してみるといいんじゃないでしょうか。

相手が人生を懸けているものは、黙って見守る

ーー「対等な関係」を大切にする他、仕事と家庭生活をうまく両立していくために心掛けた方がいいことは何だと思いますか?

お互いに、相手が大事にしていることやそれに人生を懸けているようなことを見守ることじゃないでしょうか。

ーーなぜそう思うのでしょうか?

向井千秋さん

実は、二度目の宇宙飛行に行きたくても行けない時期が長かったのですが、その時に夫から「専業主婦をやればいいじゃない」って言われたことがあったんです。

それは、「そんなに頑張りすぎなくてもいいよ」「目的がもしかなわなくても、バックアッププランもあるから安心して」っていう意味で彼なりの優しさだったのは分かるんですけどね。

もう本当に「私のことが分かってないんだから!」って悲しくなりました(笑)

だって、私は宇宙に行くことに人生を懸けているわけじゃない? それを「頑張らなくてもいいんだよ」なんて言われたくないじゃないですか。

むしろ「あきらめるな、頑張れ」って思いながら黙ってくれていたらそれでよかったんですよ。

ーー相手を思いやったつもりが裏目に出てしまうパターンですね(笑)

そう。相手が何かに一生懸命に取り組んでいるときは、余計なことを言わずに見守っていればいいんですよ。

「心配してるよ」「見守ってるよ」なんていうことさえも言わなくていい。相手が人生を懸けているものだけは、そっとして、尊重してあげること。これは大事ですよ。

ーー万起男さんのご著書には、毛利 衛さん・土井隆雄さん・向井さんの三人(日本人宇宙飛行士の一期生)の中で、毛利さんが一番最初に宇宙に行くことが決まった時に、「女性が最初に選ばれるわけないよ」と声を掛けたら向井さんが悲しい顔をしたというエピソードがありました。

土井隆雄さん、向井千秋さん、毛利 衛さん

左から、土井隆雄さん、向井千秋さん、毛利 衛さん。訓練中の様子(JAXA/NASA)

はい。それも同じことで、そんなふうな言い方しなくていいのにっていうことなんですよね。

これも彼はただただ、がっかりする私を慰めようとして、「君に能力がなかったわけじゃない」って言っただけのことだと分かるんです。

ただ、「女性だから」とか言われちゃうと「なんでさ!?」って思うじゃない(笑)。だってそれは変えようもない事実だから、自分ではどうにもならないことじゃないですか。

そこは、「毛利さんのここがすごいから、やっぱり彼が一番先だったんだね」とか、「千秋ちゃんはここが足りていなかったんだろうね」って普通に言ってくれれば、「そうか、もっと次は頑張ろう」って思えるのにな……と。

ーー職場でもそういうことはありそうですね。例えば、育休復帰後の女性に「頑張らなくていいよ、ママなんだから」なんて、善意のつもりで声を掛けてしまって意欲を削ぐ人もいるような……。

いまでこそ「そういうことを言ってはいけない」という意識も高まってはいると思うけれど、ひと昔前なら平気でそういうことを言う上司も多かったかもしれませんね。

ーー向井さんは、職場や家庭でそういう「モヤモヤすること」を言われた時はどんなふうに対処するんですか?

ツンケンしてつまらないエネルギー使いたくないから、「ありがとう。でも大丈夫です」ってはっきり言いますね。

向井千秋さん

心配してくれたんだなって思うなら、それにはありがとうなんだけど、ご心配には及びませんよっていう気持ちもちゃんと伝える。

言われたことにイライラしたり頭にきたりして負の感情にとらわれると、無駄なエネルギーを使ってしまってもったいないじゃない?

人間関係のフリクション、つまり摩擦ってすごい消耗するんですよね。

車だって、摩擦があったら速く走れなくなるでしょう? それと同じ。人と人の間の摩擦もなるべくなくしておいた方が、仕事も家庭生活もスムーズに進みやすいですからね。

ただね、こうやってパートナーシップのことを今日はお話しさせていただきましたけど、こんなに長く夫婦をやっていたって「うちの夫は、本当に私のことを分かってないなぁ」って思うことは今もありますよ。

それに、私もすぐ彼にがっかり感を出しちゃうし(笑)

お互い完璧な人間じゃないから、夫婦になったって「二人で完璧」ってことでもないんだけど、それでもそれぞれが苦手なことを補いあいながら、助け合って生きていく

それができれば、お互いに夢を追いかけたり、仕事を頑張ったり、家庭生活を円滑に回したり。二人で人生全体を豊かにしていけるんじゃないでしょうか。

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取材・文/栗原千明(編集部) 撮影/洞澤 佐智子(CROSSOVER)