自意識の病にもがき苦しむ20代があるから、”おばさん”に無事着陸できる【ジェーン・スー×山内マリコ】
3月20日、同時期に発売されたジェーン・スーさんの『私がオバさんになったよ』と山内マリコさんの『あたしたちよくやってる』の刊行記念トークイベントが開催された。
『私がオバさんになったよ』は対談集。ジェーン・スーさんが「過去に対談したことがあって、もっとじっくり話したい」7人と、「まだじっくり話したことはないが、どうしてもお話してみたい」1人の合計8人と語り合った内容がまとまった一冊で、そのうちの一人が山内マリコさんだ。記事の後半では「男女の生きづらさ」について、お二人が語った内容を紹介しよう。
>>前編:「普通の女として見られたい」と我を失った過去。“女らしさ”の初期設定に無理がある

ジェーン・スーさん(写真左)
1973年東京生まれ。コラムニスト/作詞家。著書に『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(講談社エッセイ賞受賞)、『生きるとか死ぬとか父親とか』などがある。TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のパーソナリティを務める
山内マリコさん(写真右)
1980年富山県生まれ。作家。2008年に「女による女のためのR-18文学賞」で読者賞を受賞。12年のデビュー作『ここは退屈迎えに来て』、『アズミ・ハルコは行方不明』が映画化される。『あのこは貴族』など著書多数。新刊は短編&エッセイ集『あたしたちよくやってる』
女性の生きづらさはコインの裏表で、男性の生きづらさでもある
ジェーン・スー:「女としてこう生きるべき」って私たちが思ってしまうのは、家族や周囲の人から直接何かを言われたというよりは、顔のない世間からのプレッシャーなんですよね。雑誌やテレビを見ているだけで、「こうすべき」という情報が入ってくるんですよ。「女の子らしくない」って言ってる男の人たちも、前の時代から「こういうものが女らしさだ」って社会から思わされているだけで、何か信念があっての発言ではないんだと思います。
山内マリコ:人は無意識に吸収していますからね。メディアの人の物言いや、職場のムード。そういうものにいつの間にか染まって、女性差別的なものを自分の中に取り込み、次世代にパスしてしまう。女性差別はシステムの問題なんだけど、文化として浸透していることも厄介ですよね。
ジェーン・スー:『ジェーン・スー 生活は踊る』っていうラジオ番組で、生理の話をしたんですよ。「昼間から生理の話をするなんて」っていう反響があるがのはまだ分かるんですけど、「女は俺たちのことを無視するのに、なんで俺たちが女のことを理解しなければいけないのか」っていう声がいくつかあったんです。理解しろなんて話は一言もしてないんですよ?
なんでこうなるんだろうって考えていたら、彼らも「男たるものこうあるべき」っていう社会規範の犠牲者なんですよね。「女の子なら料理できた方がいいじゃない」っていう浅はかな発言を男がするのと同じように、「男だったらもっと稼いでよ」っていう女もいるわけじゃないですか。お互いが傷つけ合ってしまっている。置かれた環境的に、そういうことを言う異性ばかりが目に付いてしまうのかもしれない。
山内マリコ:まさに「男性の生きづらさと女性の生きづらさはコインの裏表」ですね。『私がオバさんになったよ』の中で男性学の田中俊之先生がおっしゃっていた通り。男らしさって、虚勢を張ることにつながるし、女らしさは萎縮につながる。だから人に、男らしさも女らしさも求めちゃダメなんだって、今ならわかります。それより自分らしさが大事。みんなで楽になろうよ(笑)!
「俺はこの女にこんなに金を使えるぜ」貢ぐ男の根底にはハンター精神がある
山内マリコ:女性は「生きづらい」って言えるけど、男性って自分のつらさや弱みを言いにくいと思うんです。弱音を吐くこと自体を「男らしくない」と言われてしまうから。なんなら感情を出すこと自体、女々しいとか言われてしまう。だからこの問題に関しては、どうしても女性の声が大きくなるし、男の人の方が分が悪いというか、ハンデだなとは感じます。
ジェーン・スー:私やっと分かったんだですど、男の人がつらいって言えないのは、「男らしさ」って男同士の競争でもあるからじゃないかなと。弱点を見せたりや弱音を吐いた瞬間に、そこを他の男から攻め込まれるわけでしょ?それじゃ言えないよ。

ジェーン・スー:山内さんと『私がオバサンになったよ』の中で対談した時に、なるほどと思ったんですけど、昔「アッシー(女性が移動手段としている男性)」「メッシー(女性に食事を奢る男性)」ってあったじゃないですか。女の人が男の人にお金を貢がせているって思われてたけど、そうじゃなくて女の人が賞金首になっていたんですよね。「俺はこの女にこんなに金を使えるぜ」みたいなハンター精神で隣の男と戦っていた。
山内マリコ:男性が同性同士で競争するのは、本能っていうより、社会的な背景が大きいと思います。男の子は、競って勝つことを焚きつけられて育てられるから。だけど男性にも、競争や勝ち負けが苦痛な人もいるはずですよね。
ジェーン・スー:これも田中先生が前に言ってたんだけど、男の子は社長とかサッカー選手とか、99%の人が挫折する夢を持つことを期待されるんですよ。子どもの頃はそういう夢を語ると親が喜んでくれたのに、それなりの年になったら今度は「そんなこと言ってないで公務員になりなさい」とか言われちゃう。
山内マリコ:冗談みたいなダブルバインドだけど、笑えないですよね。一方で女性に期待される夢のほとんどが、人の世話をする仕事だったりするわけで。本当に、この問題どれだけ根深いんだろうと、途方に暮れてきます。
“おばさん”になることを受け入れるために、20代のモヤモヤがあったのかも
ジェーン・スー:この間エゴサしていたら、「ジェーン・スーは子どもを産んだこともないのに、よくラジオで人の相談にのれるよね」っていうツイートを発見したんですよ。その人のホーム画面を見に行ったら独身のアラサーの女性で、ツイートをさかのぼっていくと「子どもを産んでなかったら女としてダメだ」みたいな内容が出てきて。
彼女は「子どもも産んでないのによく人の相談にのれるよね」って発言をすることで、自分にバツをつけているんだと思うんです。結局は自分自身に対して言っている。本人が幸せじゃないと、「“旧来型の女の幸せ”を持ってない女」が幸せそうにしてるのが許せなくなってくるんですよ。
山内マリコ:女性って、実は男性以上にミソジニー(女性嫌悪)を植え付けられて育つから、無意識にひどい女性差別をしているんですよね。私も今から思うと20代のときは、頭の中が50代のおじさんみたいな感じでした(笑)。何歳までに結婚しなかったら女としておしまい、みたいに思ってましたから。だけどそういう批判的な決めつけって、ゆくゆくは自分に返ってきちゃう。だから他でもない自分のために、女性を縛る考え方からは、自由になった方がいい。

ジェーン・スー:30代の半ばぐらいまでは、もがき苦しんで生きていることがのちの人生の糧になるし、体力もあるからそんなに大変じゃないですけど、30代後半ぐらいで自意識の病をまだ患っていると、体力的にも精神的にもキツいじゃない? いかにネガティブ過ぎず、ポジティブ過ぎず、“おばさん”というものに着陸できるかっていうのは大事だと思いますね。
山内マリコ:たしかに、年齢的に“おばさん”になることを受け入れられるようになるために、20代のモヤモヤとした自意識の葛藤みたいなものが必要だったのかなって気がします。いや、逆か。20代の時、自意識と格闘したご褒美として、楽しいおばさん期がやって来た! という感じでしょうか。まあ、精神的に楽になったな……と思ったら、今度は首が張って体が動かないんですけどね(笑)
ジェーン・スー:光浦さんがまさに『私がオバサンになったよ』の中で「今、20代の体力があったら天下取れる」っておっしゃってました。分かる!っていうね。
確かに体は動かないし、年齢を重ねたら何をやったって全部アウトだって思ってた時代もあったけど、実際に歳を取ってみたら、そんなこと全然ないんですよ。むしろ女子校のマインドでキャッキャやれちゃう。おばさんは思っていたより楽ですね。
取材・文・撮影/天野夏海 開催場所:青山ブックセンター本店
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『私がオバさんになったよ』(幻冬舎)
人生、折り返してからの方が楽しいってよ。先行き不透明であたりまえ。ネガ過ぎずポジ過ぎずニュートラルに。ジェーン・スーさんと、わが道を歩く8人が語り尽くす「今」。ジェーン・スー、光浦靖子、山内マリコ、中野信子、田中俊之、海野つなみ、宇多丸、酒井順子、能町みね子。

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