俳人・夏井いつきさん「仕事選びに迷ったら、耐えやすいことを選択なさい」
バラエティー番組『プレバト!!』(TBS系)などのテレビ番組でお馴染みの、俳人・夏井いつきさん。30代半ばで俳句の世界に進み、その後の30年は「言葉の力」を伝え、広げていくことに尽力してきた。
20代の頃に教師をしていた夏井さんは、「俳人になったきっかけは、教師の仕事を辞める時の言い訳だったんですよ」と笑顔を見せる。
「志した」わけではなかった俳人という職業。ではなぜ、ここまで長く続けてこられたのだろうか。夏井さんが考える、俳人として働く意義とあわせて聞いた。
収入を得られる見込みもないまま、俳人の道へ
よく「なぜ今の仕事を志したのか」と聞かれるのですが、私は俳人を志したことはありません。
俳人になる前に就いていた中学校の教員は「志した」と言えますが、俳人は「志した」わけではないんです。
学生時代に学校の先生を志し、卒業後に叶ったものの、30代半ばに家の事情で辞めざるを得なくなりました。その時、校長先生に辞める理由を言う必要があったのですが、見栄を張って「俳人になります」と言ってしまったんですよ。
言い放ってしまったからには「やっぱり止めます」と言うのもカッコ悪い。ただそれだけの理由で俳人の道に進みました。
とはいえ、俳句を専業にしている人は日本全国でも数人しかおらず、どうすれば俳句を仕事にできるのか、俳人と呼ばれるようになれるのか、全く分かりませんでした。
「歌が好きだから歌手になる」「野球が好きだからプロ野球選手になる」くらいの勢いで、俳人としてお金をいただく道筋も手立てもないままに、俳人になることを決めてしまいました。
ただ一つ運が良かったのは、明治以降に多くの俳人を輩出してきた俳句の都・愛媛県松山にたまたま住んでいたこと。
当時は今以上に「俳句は年寄りの娯楽」という世間の思い込みがありましたので、その中で30代半ばの人間が俳句をやっているだけで、珍しがられ、実力以上にチャンスに恵まれたんですね。
地元の学校や地域コミュニティーの俳句イベントなどを一つ一つこなしていき、いろいろなご縁も重なって、じわじわと俳人として働けるようになっていきました。
働き続ける以上は、自分の仕事に関わる人たちに喜んでもらうこと、人さま、社会のお役に立つことができた方が気持ちいいと思っています。
昔の商売人が言う「三方よし」という言葉通り、売り手と買い手が満足し、社会に貢献できてこそ良い商売。私の場合で言えば、どうすれば俳人としての活動を通じて、世間さまのお役に立つことができるかと、常に考えています。
この考え方が、私の「俳句の種蒔き」活動にもつながっています。
言葉を育てることは心を育てること
私が中学教諭になった頃は、ちょうど小中学校で校内暴力が流行り出した時期で、生徒たちがとても荒れていました。そんな時、私はよく「言葉をちゃんと育てられていないな」と感じていました。
自分の考えや思いをちゃんと言語化して相手に伝えることができないと、「自分なんて……」と思い、誰かを傷つけたり自分を傷つけたりしてしまいます。
また、教師がいくら「いじめや差別はやめましょう」と発しても、言葉が心に響かなければ、生徒たちは同じことを繰り返します。だから暴力やいじめがなくならない。
こうした経験を通じて、「言葉を育てることは心を育てることだ」と考えるようになりました。
俳句は言葉を育てる上で非常に有効な手段です。俳句をやり出すと言葉が分かる。言葉が分かると、人の話に注意深く耳を傾けるようになります。
日本語の特性を知り、使う技術をちょっと身に付けるだけで、コミュニケーションが成立するようになるんですよ。
私が俳句の種を蒔く活動として、自分の句を作り、俳句の作り方を教え、『句会ライブ』で身近さを伝え、『プレバト!!』で添削をしているのは全て、こうした言葉の力を伝えることで、世間さまのお役に立てると思っているからなんです。
私が一人で「俳句は教育にいい」と発信しているだけでは届かなくても、『プレバト!!』を通して、多くの人たちへストレートに届くようになりました。
ジャニーズの方たちが一生懸命言葉と格闘している姿を見て、10代の子たちが「言葉と向き合うってカッコいい」と思うようになる。
“おっちゃん”こと梅沢富美男さんが作る正統派な句を見て、小学生たちの言葉の理解が深まり、「てにをは」の違いや知らない日本語に興味を持ってくれる子が一定数生まれます。
すると子どもだけでなく、その親である大人たちの言葉も育てられる。俳句を続けていくことは、社会にとってプラスになるんですよ。それが巡り巡って、私自身の仕事にも繋がっていきます。
「耐えやすいこと」を仕事にする
昔から、「仕事に生きがいを持とう」「楽しめることを仕事にしよう」といったメッセージをよく耳にします。しかし、最初から「こうなりたい」と志を持ち、そこを目指すことのできる人の方がまれなのではないでしょうか。
今考えてみると、私が教員時代にやってきた進路指導なんて、嘘っぱちだったなと思うんです。
一番上に目指す職業があり、そこから進むべき大学や資格、さらには高校と目標を落としていく指導をしていたのですが、その時点で明確な将来の目標を持っている子はほとんどいませんでした。
それは高校生も大学生も変わらないはず。
なぜなら、本当の意味での「生きがい」や「楽しさ」は、長く働き続けていく中で、自然と体に寄り添うようにポコッと出てくるものだから。
ですから、仕事は長く続けられることがまず大事。そのためには、耐えやすいことを選択するのが一番のポイントだと思います。
私にとっては「子どもたちを相手に何かを教えること」「俳句に興味のない人たちに向けて魅力を伝えていくこと」「テレビや講演で人前に立つこと」は、耐えやすいことでした。
誰かにとっては「よくそんなことできるね」ということでも私には耐えやすい、凌ぎやすいから続いているんです。
長く耐えていると、少しずつ仕事ができるようになってきます。できるようになってくると、仕事や働くことの面白みが分かり出してくる。もう少し続けられそうな気がしてきます。
そうやって続けていくと、今度は誰かから感謝されたり認められたりする。そこで初めて「生きがい」や「楽しさ」が手に入ります。
ですから、まずは耐えやすいことを選択し、長く続けてみてください。すると、自分のどこかにそっと「生きがい」や「楽しさ」が寄り添ってくるはずです。私にとっての「俳句」がそうであったように。
取材・文/阿部裕華 撮影/洞澤 佐智子(CROSSOVER)