【元JKT48 近野莉菜】アイドル引退→人生初のバイト生活。失敗続きのドン底から「やりたい仕事」つかみ取った執念

人生、詰んでからがスタートだ
ライター大木亜希子の詰みバナ!

フリーライター・大木亜希子。元アイドルで元会社員。こじらせたり、病んだり、迷って悩んだ20代を経て30代へ。まだまだ拭いきれない将来に対する不安と向き合うために、同じく過去に“詰んだ”経験を持つ女性たちと、人生リスタートの方法を語り合っていきます。「詰む」って案外、悪くないかも……?

こんにちは。作家の大木亜希子です。

連載『詰みバナ!』第3回目のゲストは、前回の佐藤すみれさんに続き、元AKB48・JKT48の近野莉菜さん

詰みバナ!

14歳からAKB48のメンバーとして活動してきた彼女は、2014年からインドネシアの首都ジャカルタに拠点を置くJKT48に移籍。日本だけでなく、海外にも軸足を広げ、アイドルとして活躍してきました。

その後、25歳で芸能界を引退。現在は、人気レディースファッションブランド『SNIDEL(スナイデル)』のプレスとして働いています。

アパレル企業でアルバイトから新たなキャリアをスタートさせた莉菜さんは、なんと入社からたった5カ月で店舗売上No.1の販売成績を叩き出し、売れっ子スタッフに。

近野莉菜

その実績が買われてプレス(PR)に転身したそうですが、この短期間のうちにも「数多くの試練があった」と言います。

AKB時代に感じていた将来への不安、人生初のアルバイト生活を送るようになって味わった苦労……、彼女はどんなふうにどん底期から這い上がってきたのでしょうか。

莉菜さんの“詰みバナ”をたっぷり聞きました。

望まないチーム異動に「ショックで過呼吸、頭真っ白」状態に

大木亜希子(以下、大木)

莉菜さんは研究生オーディションを受けて、わずか2カ月で劇場デビューを果たしたそうですね。

近野莉菜(以下、近野)

はい。ラッキーでした。歌が好きな普通の中学生が審査に合格して、急にプロになって。ダンスは全く自信がなくて大変でしたけど。

大木

私もダンス未経験でSDN48に入って振り付けを覚えるのに苦労したので、気持ちは分かります。一日15時間以上は踊りましたね。

大木亜希子
大木

当時、練習は厳しかった?

近野

めちゃくちゃ厳しかったです! 無事に劇場デビューしてからも、当時はAKBが売れる前なので客席もまばら。

さらに短期間で先輩方のアンダー(※)として公演用の16曲分の振り付けを何人分も覚えなきゃいけなくて大変でした。

※アンダー要員:外部の芸能活動で劇場公演に出演ができないメンバーに代わり、研究生や若手のメンバーが公演内で正規メンバーのポジションへ入る制度

大木

なかなか正規メンバーに昇進もできず、苦しい思いをしたそうですね?

近野

はい。当時AKB48は「チームA」「チームK」「チームB」の三つのグループと研究生で構成されていたんですけど、私は絶対にチームKに入りたかったんです。

大木

なぜ?

近野

チームカラーが自分に一番合っているなと感じたからです。でも当時は、チームKの定員枠に中々空きが出なくて……。

大木

その後、二年の時を経て「チームK」のメンバーになっていますよね。その時はやっぱりうれしかった?

近野

はい。でも、半年も経たないうちに、突然チームBへ異動が発表されたんです。

大木

ええ! ようやく希望のチームに入れたのに……。

近野

発表された時はショックで過呼吸になってしまったんです。この先どうなるんだろうと思ったし、何も考えられず頭真っ白でした。「全て終わった」と思いましたね。

近野莉菜
大木

いざチームBに移籍してからはどうでした?

近野

最初は落ち込んでいたんですけど、入ってみると意外と楽しめるようになってきて。

「チームBで活動するからには前向きな気持ちでいよう」と頭を切り替えて、この状況を楽しもうと決めました。

大木

発想の転換ですね。

近野

そうですね。結果的に、2010年には初めて選抜入りも果たすことができて。『ミュージックステーション』(テレビ朝日)などの憧れの番組にも出演できて、うれしかったです。

“キャリア迷子”のアイドル6年目。直感で決めたジャカルタ行き

大木

その後、JKT48への移籍はどんなふうに決まったんですか?

近野

しばらくチームBのメンバーとして頑張っていたんですけど、20歳の時に「JKT48に行ってみないか」と運営から打診がありました。

大木

それまでジャカルタに行ったことはあったんですか?

近野

一度もありません(笑)

大木

なるほど、打診を受けて未知の世界に飛び込むことにしたんですね。移籍するか悩みませんでしたか?

近野

そうですね、ただもともとアイドルとしてのキャリアに悩んでいた時だったので、「これはチャンスかも」と思いました。

近野

当時の私はアイドルになって6年目。人気のメンバーと次世代メンバーの間で「中堅メンバー」と呼ばれ、今後の身の振り方を決めかねていて。人気も実績も、若手に追い抜かされ始めて焦っていたんですよ……。

大木

会社員に置き換えてみても、勤続5〜6年目ってキャリアに悩む時期ですよね。後輩も育ってくるし、自分はこれからどうしたいんだっけ? って考える。

大木亜希子
近野

ええ、なのでこのJKT48移籍が自分の転機になるかもと思って「行きます」と即答しました。

大木

でも、海外移住もともなうわけですから、大きな決断ですよね。周囲の反応はどうでした?

近野

親からはメチャクチャ反対されました。でも私は直感型で、何事もやりたいと思ったら即行動に移すので、所属事務所にも親にも事後報告でしたね(笑)

大木

すごい決断力。当時、元AKB48の仲川遥香さんが一足先にJKT48に移籍して人気になっていましたよね。現地でもテレビCMなどに数々出演して、日本でも話題になっていて。

近野

そうなんです、遥香ちゃんが現地で活動しやすい道をつくってくれていたのはありがたかったですね。安心感がありました。

大木

不安は全くなかった?

近野

多少はありましたけど、不安よりも新しい場所で挑戦できる喜びの方が大きかったですね。自分を変えたかったし、他の人とは違う経験が得られると思ったので。

まるで呪文? インドネシア語が分からず「完全に詰んだ」

大木

実際に現地に行ってみていかがでした?

近野

想像以上に大変でしたね……。正直「本当にここでやっていけるんだろうか」という不安が何度も頭をよぎりました。

近野莉菜
大木

文化の違いもいろいろとありそうですね。

近野

宗教上の理由で衣装も露出が激しいのはNG。あと、イスラム教のメンバーはラマダン(※)期間中は、太陽が昇っているあいだ水を飲むのもダメ。

その時期は劇場公演ではなく、別のイベントに切り替えて活動していました。

※ラマダン「断食」をおこなう月のこと

大木

チームメンバーとのコミュニケーションも難しそうですよね?

近野

はい。最初は現地のメンバーが話している言葉が「呪文」にしか聞こえなくて、困りました。インドネシアの言葉を覚えるためにステージやレッスンの合間に勉強もしていましたが、あまりにも辛くて……。

次第に脳がインドネシア語を勝手にシャットアウトするようになるほどでした(笑)

大木

波乱の幕開け。まさに「詰んだ」状態ですね。

近野

はい。現地の語学学校に通って勉強していましたが、なかなか身が入らなくて。ある時「メンバーと話した方が語学の上達スピードが上がりそうだな」とふと思ったんです。

そこから思い切って学校に通うのをやめて、空いた時間でチームのメンバーと遊びに行ったり、私の家に招いて手料理を振舞ったりして過ごすようにしました。

近野

すると、少しずつ言葉が分かる、通じる状態になっていって。メンバー同士でおしゃべりする機会も増えていきました。

大木

まさに「習うより慣れろ」ですね。現地のファンの方と触れ合う機会はあったんですか?

近野

ありました。握手会やイベントでお話しするたびに意識していたのは、イベントに来てくれたファンの方、一人一人に丁寧に接して名前を覚えるようにすることでしたね。

大木

チームメンバーとは、どのように関係を深めていったんですか?

大木亜希子
近野

最初のうちは私の語学力がなくて全く意思疎通ができなかったので、思い切って「言葉が分からなくて、自分の気持ちを上手く伝えられない」と打ち明けたことがありました。

近野

そうしたら皆、日本から来た私に対してライバル心もあったと思うんですけど、協力してくれるようになっていって。そこから一気にJKT48として活動しやすくなって、アイドル10年目にしてようやく「神7(※)入り」することが出来たんです。

※神7:AKB48選抜総選挙において、上位の7名までに入ったメンバーたちを指す言葉

大木

周囲に本音を伝える決断をしたことで「詰み」状態から脱却していったんですね。

近野

はい。できないことを相手に伝えるのは自分の弱みを見せるみたいで最初は抵抗があったんですけど……そうこう言っていられないなと思って。でも、ここで本音が言えて本当によかった。

そこから段々と、「地獄から這い上がる」じゃないですけど、ジャカルタでの活動にも馴染んできました。

25歳で人生初のアルバイト生活スタート。“第二の詰み期”が到来

大木

4年ほどJKT48で活動して、アイドルを卒業したんですよね。その理由は?

近野

ジャカルタ滞在中も日本のバラエティーやドラマを観ていたんですけど、「日本に戻ったときに、自分は一体何がやりたいんだろう」と考え始めたんです。それがちょうど24歳の時でした。

最初はぼんやり「女優になりたいなぁ」なんて思っていたけれど、それが本当にやりたいことなのかと言えばちょっと違うな、と。

大木

そこから、芸能界以外の道に進むことにしたんですね。

近野

はい。お洋服が好きだったので、アパレルブランドのプレスの仕事に興味を持ちました。でも、その時点では何もツテはなくて……。

近野莉菜
大木

では今の会社、マッシュスタイルラボ(※)にはどんな経緯で入社を?

※マッシュスタイルラボ:スナイデル、ジェラート ピケ、フレイ アイディーなどのファッション事業を展開

近野

普段から板野友美さんと仲良くさせてもらっているのですが、その頃、たまたま彼女に連れて行ってもらった展示会で、プレスの方と知り合って。

思い切って「この会社で私も働かせてください」と直談判してみたんです。

大木

すごい! 直球勝負。

近野

いろいろとお話しした末に、「近野さんの気持ちが決まったら連絡ください」と言ってくださって。

なのですぐに連絡しました。「もう私の気持ちは決まっています!」って(笑)

大木

かなり攻めの姿勢ですね(笑)

近野

その後、所属していた芸能事務所に新しい目標ができたことを説明して退社しました。

大木

アパレルブランドのプレスになりたいということでしたけど、誰でもなれるわけではないですよね? 狭き門のイメージです。

近野

その通りです。なので、私も最初は渋谷にある『FRAY I.D』の店舗で、ショップ店員のアルバイトから始めて。本当に、ゼロから新しいキャリアをスタートさせました。

大木

人生で初めてのアルバイトですよね?

近野

そうです! 14歳からアイドルとして働いていたので、25歳にして人生初のバイト生活。

でも、どうしてもプレスになりたかったので、「絶対にここで結果を出すぞ」と腹を決めて仕事に取り組みました。

大木

実際に店頭で働いてみて、いかがでしたか?

近野

インドネシア語ではないですけど、ここでも言葉に苦戦して。接客の場で使う敬語が使いこなせなくて、いっぱいいっぱいになってしまいました。

これまでの人生で一度も、「恐れ入ります」とか「承知いたしました」とか、言ったことがなかったので(笑)

大木

私も25歳の時に初めて一般企業に就職したので、ビジネス敬語には苦戦しました!芸能界だと、丁寧な言い回しでも少し砕けた言葉遣いをすることが多かったので。

大木亜希子
近野

それに、敬語以外でも最初のうちは失敗ばっかりしていました。

大木

例えば、どんなミスを?

近野

お会計で金額を打ち間違えてしまったり、お客さまから商品券を1枚多くお預かりしてしまったり……。

店舗での「お金のミス」は大ごとなので、私のミスをリカバリーするために先輩、上司を巻き込んで膨大な時間を割いて……という感じで。お客さまにも、誠心誠意、謝罪して。

近野

その時の店長には、頭が上がらないですね。失敗して、周囲の人に迷惑をかけて、一つ一つの確認が大切なんだと学びましたね。

大木

お金の間違いはひやっとしますね。アルバイトを始めたばかりのこの時期は、莉菜さんにとってどんな時期でした?

近野

ジャカルタに行った時以来の、第二の詰み期ですね。「同僚に追いつかなきゃ」という焦り、「プレスに早くなりたい」という気持ち、いろんな感情が入り混じってうまくいかない時期でした。

大木

でも、そこからわずか5カ月後には 、店舗スタッフの中で売り上げNo.1になったんですよね?

近野

はい。絶対に他の同僚には負けたくないという強い気持ちがあったので、必死に食らいつきました。それによく考えれば、アイドルも握手会やイベントがありましたし、ある意味では接客業だなって気が付いたんです。

大木

どうやって短期間で成果を出したんですか?

近野

お客様の状況を冷静に見極めることを意識するようにしました。話しかけてほしいと思う、絶妙なタイミングでお声がけすることを徹底して。

近野

あとは何度も店舗に来て下さる方や、沢山お洋服を買ってくださる方の名前は必ず覚えました。

私の名前が本社に良いニュースで届くように意識したり、しっかりと売り上げを積み上げていったり。小さな積み重ねを大事にしていましたね。

近野莉菜
大木

わずか5カ月で異例のスピード出世を果たしたわけですが、本社勤務になってからはすぐプレスチームに?

近野

いえ。実際は今の部署に配属される前に他の部署を経験しました。プレスチームに配属となったのは、2019年の4月から。念願がかないました。

自分の長所を全力で伸ばす、短所は潔く切り捨てる

大木

アイドルという特殊な職業から現在の仕事に就いて、今思うことはありますか?

近野

これまでのことを振り返ると、何事も謙虚に学ぶ姿勢を持つこと、あとは、どんな環境に身を置いても柔軟に対応していくことも大事だったなってすごく思います。

大木

新しい一歩を踏み出すことが怖い人や、職場で周囲とコミュニケーションを取ることに不安を感じる人も多いと思います。そういう人は、どうしたらいいと思いますか?

近野

自分が知らないことや分からないことは、素直に教えてもらうこと。そのほうが自分のためになるじゃないですか。

プライドは無駄というか、捨ててしまったほうが楽ですよね。

近野

私自身、JKT48の時も、ショップ店員の時も、今のプレスの仕事でも周囲にゼロから教えてもらうことがたくさんあったのでそう思います。

近野莉菜
大木

働く上で、心がけていることはありますか?

近野

苦手を克服するよりも、得意なところを徹底的に伸ばす。それを大切にしています。苦手なことは同じチームの人を頼ったり、相談したりしながら対応すればいいと思うので。

大木

これまで様々な場所で、自分の道を切り開いてきた莉菜さんならではの言葉ですね。

近野

自分の人生だし、自分がやりたいようにやるのが一番ですよね。たとえ失敗しても、それを踏まえてまた新しく夢ができるだろうし。

自分の人生の主役は自分だと思ってチャレンジできたらいいなって思います。

大木

貴重なお話をありがとうございました!

詰みバナ!

<プロフィール>

大木亜希子
1989年8月18日生まれ。千葉県出身。2005年、ドラマ『野ブタ。をプロデュース』で女優デビュー。数々のドラマ・映画に出演した後、10年、アイドルグループ・SDN48のメンバーとして活動開始。12年に卒業。15年から、Webメディア『しらべぇ』編集部に入社。PR記事作成(企画~編集)を担当する。18年、フリーライターとして独立。著書に『アイドル、やめました。AKB48のセカンドキャリア』(宝島社)、『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』(祥伝社)がある。
Twitter:@akiko_twins
インスタグラム:akiko_ohki
note:https://note.com/a_chan

近野莉菜
1993年4月23日生まれ。東京都出身。アイドルグループ・AKB48の第5期生。2010年12月「チャンスの順番」でAKB48として初の選抜入り。14年にJKT48へ移籍し、インドネシアに単身渡る。18年3月にJKT48を卒業し、同時に芸能界を引退。現在は、人気レディースファッションブランド『SNIDEL(スナイデル)』のプレスとして活動中。
Instagram:chikano.rina
スナイデル公式オンラインショップ:https://snidel.com/

取材・文/大木亜希子 編集/栗原千明(編集部) 撮影/洞澤佐智子(CROSSOVER)