累計3億本突破・日本初「糖質ゼロ」ビールの原点「おいしさは絶対にブラさない」/『キリン一番搾り 糖質ゼロ』森下あい子さん

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日本で初めて「糖質ゼロ」を実現したビール『キリン一番搾り 糖質ゼロ』。2020年10月の発売から今年5月末の時点で、累計販売本数は3億本を突破した。

そんな『キリン一番搾り 糖質ゼロ』の快進撃の裏側にいるのが、技術開発担当の森下あい子さん。

糖質ゼロを実現する技術的なハードルをクリアしつつ、『キリン一番搾り』ブランドとしてのおいしさも両立させた立役者だ。

森下あい子さん

キリンホールディングス株式会社 R&D本部 飲料未来研究所 応用技術開発ユニット 主務

森下あい子さん

「糖質ゼロ」で「おいしいビール」という矛盾

――20年に発売して大ヒットとなった『キリン一番搾り 糖質ゼロ』ですが、この商品を開発するきっかけは何だったのでしょうか。

2人目の育休中に、友人とお花見をする機会があったのですが、「ビールは好きだけど、体形が気になるから1杯だけにしておく」と友人が話すのを聞いて。

その時に、「ビールが好きな人の中には、同じように思っている方が多いのかもしれない」と思い、もっと気兼ねなく飲めるおいしいビールを作りたいと考えるようになりました。

そこで育休から職場に復帰した際に、「ビールの原材料だけで、糖質を限りなくゼロにする技術開発に取り組みたい」と提案したんです。

当時、糖質オフ・ゼロの商品はいくつかあったのですが、糖質ゼロのビールはなかった。ビールの糖質を限りなくゼロにする技術が開発できれば、よりお客さまに喜んでいただけると思いました。

――社内で最初にプレゼンをした時の周りの反応はいかがでしたか?

難しい挑戦になると、みんなが感じていたと思います。ビールの糖質をゼロにすることは、技術的なハードルが相当高いと最初から分かっていましたから。

森下あい子さん

それでもさまざまなアイデアやアプローチ方法を提案してもらえて、期待されているのを感じましたね。

また、「自分もそんな商品が欲しかった」という声もありました。自社の社員でもこんなに糖質ゼロのビールが欲しいと願っているのなら、潜在的にこの商品を待っているお客さまはたくさんいる。そう実感する機会にもなったと思います。

――『キリン一番搾り 糖質ゼロ』を作る過程で、特に苦労したことを教えてください。

そもそも糖質をゼロにすること自体、ものすごく難しいことでした。

というのも、ビールは主原料として麦芽を50%以上の比率で使うことが酒税法で定められています。麦芽はビールならではのおいしさの要素でもあり、とても重要なもの。

通常、この麦芽に含まれる糖質と、ビールに含まれる糖質は比例します。つまり、麦芽を使う量が増えるほど、糖質も増えてしまうのです。

また、ビールに含まれる糖質はおいしさを構成する要素の一つでもあります。だからこそ「糖質をゼロにして、かつおいしいビールを作る」のは難しいと言われてきました。

――ビールにとって不可欠な糖質をゼロにする。矛盾のようにも感じる挑戦だったのですね。

「糖質ゼロ」と「おいしさ」の両立には、本当に苦労しました。

あと一歩というところまで来ているのに、何度繰り返しても「糖質ゼロ」と「おいしさ」が両立できなくて。2018年には開発中止を検討せざるを得なかったほど、なかなか前進できない日々が続きました。

――そんな中、諦めずに開発を続けられたのはなぜだと思いますか?

マーケティング部門とディスカッションを重ねる中で、「この商品を実現できれば、これまでにない価値をビールで届けることができる。ビールではない糖質ゼロを仕方なく選んでいるお客さまに、絶対喜んでもらえるはず。だから頑張ろうよ」と声を掛けてもらったことが大きかったですね。

目の前の技術開発に没頭していると、どうしても目的を見失いがちです。でも、マーケティング部門のみんなのおかげで初心に立ち戻り、ビールで糖質ゼロが実現させる革新性や価値を再認識できました。

開発期間は5年、試験醸造は350回以上

――開発にはどのくらいかかったのでしょうか?

最初に提案してから発売まで、全部で5年かかりました。

――5年……!

通常、試験醸造は数十回ですが、『キリン一番搾り 糖質ゼロ』は350回以上行っています。商品開発担当者と何度もディスカッションをしながら、試行錯誤を繰り返しましたね。

森下あい子さん

――技術開発そのものの苦労はもちろんのこと、『キリン一番搾り』ブランドから発売するプレッシャーもありますよね。

それはもう、大変なプレッシャーでしたね(笑)。当社のメインブランドである『キリン一番搾り』から発売することはとてもうれしく、やりがいを感じる一方、決して失敗は許されないという緊張感がありました。

そして、『キリン一番搾り』を冠した商品として世に出すには、おいしさは必須条件です。

たとえ糖質ゼロがかなったとしても、当初イメージしていた以上のおいしさを実現しない限り、お客さまに商品はお届けできない。そう自分に言い聞かせ、高いハードルを課していました。

――その上、「他社が先駆けて糖質ゼロのビールを販売するかもしれない」という焦りもある……?

そうですね。もちろん最短で発売できるよう全力は尽くしましたが、企画から商品の発売までに5年間かかっていますから、常にひやひやしていました。

だから商品が完成し、ようやくお客さまの元にお届けできることが決まった時は、うれしさよりもホッとする気持ちの方が大きかったです。

「次のヒット商品も生み出せるんじゃないか」

――5年越しの『キリン一番搾り 糖質ゼロ』に対する、お客さまの反応はどうでしたか?

最初に感想を聞いたのは『キリン一番搾り 糖質ゼロ』を作るきっかけになった友人だったのですが、「こういう商品を待っていたんだ」と言ってもらえて、本当に頑張ってよかったなと思いました。

高いハードルを越えることがお客さまへの価値提供につながることを実感しましたし、諦めずにやり続けることの重要性を改めて感じた瞬間でもありましたね。

――『一番搾り 糖質ゼロ』は大ヒットとなりました。ヒットの理由を、森下さんはどう分析していますか?

従来は存在しなかったビールで糖質ゼロを実現しながらも、『キリン一番搾り』ブランドとしてのおいしさを満たしている。そこに納得いただけたのだと思います。

また、近年は世の中全体の健康志向が高まっていますが、新型コロナウイルス感染症の影響で、より健康を気にする方が増えました。そういった外部環境の変化も要因だと思います。

――おいしさにこだわったかいがありましたね! 今はどんな気持ちでしょう?

発売まで時間がかかったこともあり、安心したというのが本音です。私自身にとっても良い経験になりましたが、それ以上にチームメンバーみんなで商品を出せたことがうれしいですね。

今回私が学んだのは、「商品開発は一人ではできない」ということ。「この商品が作りたい」といった強い気持ちを持ちながら、一緒に取り組む仲間を増やし、さまざまな部署からの協力を得る。

そうやって研究所内に共感が広がり、背中を押し、励ましてくれる人がいたからこそ、『キリン一番搾り 糖質ゼロ』は完成したのだと思います。

森下あい子さん

――大ヒットに対して、社内の反響はどうでしたか?

成果として評価をしていただき、うれしく思っています。一方で、「次のヒットも楽しみにしてるよ」といった期待の言葉をいただくこともありますね。『キリン一番搾り 糖質ゼロ』の開発経験を、他の商品にも横展開することが求められていると感じています。

私自身、挑戦への意志は強くなったような気がしていて。「1回ヒット商品を生み出せたのだから、またできるんじゃないか」という自分への期待値は、今までよりも上がったように思います。

だからこそ、自分のチームのメンバーだけではなく、研究所全体として今回の経験を生かせるようにアプローチし、次の商品につなげていきたいですね。

実現が難しいと思われていることでも、道はある

――友人の何気ない一言から『キリン一番搾り 糖質ゼロ』は誕生しました。ヒット商品を出すには、日ごろからどんな心掛けが必要でしょうか?

今回の友人の一言は偶然耳にしたことでしたが、そこから企画につなげられたのは、普段からアンテナを張っていたからだと思います。

お客さまは何に喜びを感じ、何を欲しているのか。そういったことを日頃から考えることが、ニーズをキャッチするために必要なのかもしれませんね。

あとは、社外の方とお話をすることも大切だと思います。社内の人間同士だと、どうしても同じような意見になりがちですから。私の場合、友人の意見を聞くことが多いですね。本音で、飾らない言葉で、率直に話してくれるので助かっています。

――『キリン一番搾り 糖質ゼロ』の開発を経験したことで、森下さん自身が変化したと感じることはありますか?

挑戦への意欲はもともとあるタイプでしたが、以前なら躊躇(ちゅうちょ)していたであろうチャレンジにも積極的にトライするようになったかもしれません。

技術的に実現が難しいと思われていることでも、道はある。そう実感できたことが大きいです。

森下あい子さん

また、子育て中はどうしても家庭とのバランスを考え、「本当にできるかな」と不安になることもあるものですが、それでも「一歩踏み出そう」という気持ちが強くなりました。そう思えるのは、周囲のサポートがあったからこそです。

だから、次は私がメンバーの背中を押す役割を担わなければと思っています。

特に若い人はユニークな発想を持っています。時に突拍子もない提案もありますが、形を変えれば良い方向に進む可能性も秘めている。それをどうやって実現性に近づけるか考えるのは、これからメンバーと一緒に私がやるべきことだと考えています。

――最後に、今後の目標を教えてください。

一つは、自分のチームメンバーにもヒット商品を生み出す経験をしてもらうことです。今回の経験を踏まえて、それをサポートしていきたいと考えています。

そしてもう一つは、まだ幼い子どもたちと一緒に楽しめる商品を作ること。子どもたちは学校で「ママが作ったビールなんだ」と『キリン一番搾り 糖質ゼロ』を自慢してくれて。

だから、今度は子どもたちもおいしく飲めるような商品や、子どもたちが楽しめるサービスにつながる技術開発など、アイデアを出していきたいですね。

取材・文/モリエミサキ 撮影/竹井俊晴 編集/天野夏海