くりぃむしちゅー有田哲平さん母、84歳で世界マスターズ水泳出場「巡ってくる“ツキ”を見逃さなければ、人生は楽しくなる」

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2023年8月。世界マスターズ水泳2023九州大会が、福岡・熊本・鹿児島の3都市で開催される。

約200カ国が参加する本大会に、84歳にして出場権を得たのが、今回お話を伺った有田迪子さんだ。

実は彼女、人気お笑い芸人、くりぃむしちゅー有田哲平さんの母でもある。

くりぃむしちゅー有田哲平の母である有田迪子がプールを背にしている様子

10代の頃にオリンピックの日本代表候補だった彼女は、20代前半で水泳の世界を引退した。

しかし60歳で水泳選手にカムバック。ドイツで開催された世界マスターズ水泳大会に出場し、多くのメダルを獲得した。それ以降、水泳の世界大会に出場を続けている。

「今年の九州大会での目標は泳ぎ切ること。勝ち負けはどうでもいいんですよ。ただただ水泳が楽しいからやるだけ

そう明るく話す有田さん。彼女がいくつになってもやりたいことを楽しみ続けられるのは、なぜなのだろうか。

「大会で泳ぐのはしんどい」その気持ちを一変させた世界マスターズ

水泳を始めたのは、中学1年生の時。

高校生になると、オリンピックの日本代表候補に選ばれ、卒業後も東レの実業団で水泳を続けていました。

この頃の私にとっての水泳は、「しんどいもの」でしたね。頭の中はタイムを上げることとライバルたちに勝つことでいっぱいで。練習も本当に厳しくて。

20代で限界を感じちゃったんですよね。もう水泳はやりたくない。そう思ってローマ五輪の翌年、22歳で引退しました。

それ以降は、水泳とは一切関わらない生活を送っていました。事務の仕事をしながら、趣味で日本舞踊を始めてみたりして。

結婚、出産、育児も経験して、充実した毎日でしたよ。

仕事、育児、家事、趣味と忙しく過ごしているうちに、子どもたちもすっかり大きくなって。

少し時間にゆとりが生まれてきた頃に、水泳協会から連絡が来たんです。

「指導員をやらないか」とのお誘いでした。40歳くらいの時ですね。

もう水泳には関わりたくないと思っていたので、断っていたんだけれど、何度も何度も声を掛けてくれて。

熱意に押されて、取りあえずプールに行ってみたんです。

いざプールを目にしてみたら、「楽しそうだな」という思いがふつふつと沸き上がってきたんですよね。不思議なものですね。

これがきっかけで、指導員として子どもたちや初心者の人たちに教えることになりました。やるからにはちゃんとやろうと思って、水泳指導員の最上位資格も取りましたよ。

指導員の仕事は、それはもう楽しかったですよ。できなかった子どもができるようになっていくのを見るのはすごくすてきな経験でしたね。

真剣にやればやるほど、子どもたちは上達するんですよ。中には九州大会で優勝する子もいました。

こういう水泳の楽しみ方もあるんだというのは、発見でしたね。

指導員時代の有田迪子(くりぃむしちゅー有田哲平の母)

指導員時代の有田さん

指導者の仕事をする中で、「世界マスターズ水泳」という大会があることを知りました。

私が若い頃にやっていたストイックな水泳じゃなくて、大人が楽しむ水泳の大会。

こんな大会があるんだなと思って。こういうのならもう一度泳いでみてもいいな。そう思ってエントリーしたのが、60歳の時に開催されたドイツ大会です。

この時はあえて目標タイムは設定せず、200m泳ぎ切ることを目標にしました。結果、メダルはいくつかいただきましたけど、競うことには一切こだわっていなかったので、何位だったかとか、メダルがいくつだったかとかは、あんまり覚えていませんね。

ただ参加するだけで楽しかった。若い頃に競い合っていた選手たちと数十年ぶりに会ったり、いろんな国や地域に足を運んだり、そういうのも楽しくて仕方がなかったですよ。

あとは何より水が好き、泳ぐことが好きなんだなと再確認しました

若い頃と違って純粋に水泳を楽しめるようになったので、その後もあれこれ世界大会に参加していましたね。

体力が落ちても、ケガをしても、水泳はただ楽しいだけ

今年の世界マスターズは、私が住んでいる九州で開催されます。

海外の大会に出場するときは、成田空港から出発することも多かったので、行き帰りに息子の哲平のところに泊めてもらって、結果を報告したりもしていました。

今年は新幹線ですぐ行けちゃうので、日帰りで参加しようかなと思っています。

私の専門は平泳ぎなんだけど、今年は背泳ぎで参加する予定。

実は数年前に股関節を骨折してしまって。平泳ぎができなくなっちゃったんですよ。

なので、股関節に負担を掛けずに泳げる背泳ぎでエントリーしました。

今は関節を痛めているので、泳ぐ練習はできません。週に1回、プールの中を1000mくらい歩くだけ。水の中は陸の4倍の負荷がかかるので、4km歩くくらいの感じですね。

泳ぐ感覚は体が覚えてるので、練習で泳げないことに不安はありません。歩く練習も疲れませんよ。ただ気持ちがいいだけ。

プール

※写真はイメージです

「ケガしてまでどうして出るの? 高齢だと体力的にも大変じゃない?」なんて聞かれることもあるけれど、しんどさは全くないですよ。楽しいだけ

キツイなとか、嫌だなと思うようになったら水泳は辞めるつもり。

若い頃はタイムにこだわって水泳がしんどくなってしまったので、今は水泳を嫌いにならないように、タイム目標は掲げないようにしているんです。

自分が楽しみ続けられる関わり方にできるように気を付けていますね。

私はもともと水泳選手なので、人に教わらなくても泳げる体がある。国内外どこに出ていっても安心して泳げる。

昔身に付けた基礎があるから、今純粋に水泳を楽しめるんだなぁと、つくづく感じますね。

若い頃はしんどかったけれど、あの時水泳を頑張って本当に良かったと思います。水泳のおかげで今こんなに楽しいし、長生きできているんだから。

私が水泳を楽しめるのはツイてるだけ。でもそのツキは誰にでも巡ってくる

今年の夏は、8月の世界マスターズだけでなく東京の花火大会に行く予定もあります。あとはバリ島に友達と旅行に行く予定も。

どちらも今からすっごく楽しみ。水泳だけじゃなくて、楽しいと思えることは何でもやりたいですね。

私が80代になっても好きなことを楽しめているのは、「ツイてる」だけだと思います。

水泳の世界に帰ってこられたのも、いいタイミングで声を掛けてもらったからだし、指導者の仕事が楽しくなったのも、教えた子どもが上達してくれたから。

還暦を過ぎてから選手としてまた水泳を楽しめるようになったのも、いいタイミングで世界マスターズのことを教えてもらえたから。

私はいいタイミングで巡ってきたチャンスを見逃さずに、与えられた環境で頑張っただけ。

このラッキーの連鎖は、若い頃に苦しい中でも水泳を頑張った頃からスタートしているのかもしれませんね。

あの時に頑張ったから、今苦労しなくても世界中いろんなところで水泳を楽しめる体があるし、指導員として結果を残せたのも下地があってこそ。

昔はあんなに嫌だったけれど、水から離れられない人生ってすてきだなと思いますね。本当に水泳をやっていてよかった。

四つ葉のクローバー

※写真はイメージです

今の若い人たちも、目の前の仕事が嫌だな、楽しくないな、今の生活を変えたいなと思うことがあるかもしれません。

でも、目の前のことを地道に頑張っていたら、何かしらチャンスが巡ってくるときがあると思うんですよ。

それを逃さずに取りあえずやってみると、今の自分を変えるきっかけになるんじゃないですかね。

私がまた水泳の世界に戻ってこないかと声を掛けてもらえたのも、若い頃にがむしゃらに頑張っていたおかげだと思います。

指導員に誘われた時、もう水泳は嫌だと思いながらもプールに足を運んだ自分を褒めてあげたいですね。

あの時プールに行かなかったら、今水泳を楽しめている自分はいなかったでしょうから。

地道にコツコツ努力していれば、こういうツキは誰にでも巡ってくるんじゃないですかね。それを見逃さなければ、きっと人生は楽しくなると思いますよ。

取材・文/光谷麻里(編集部)