AKB48スタイリスト・茅野しのぶ「一人で戦うのはもうやめた」挫折乗り越え“アイドル衣装の天才”と呼ばれるまで【オサレカンパニー】
この連載では、各界のプロとして活躍する著名人にフォーカス。 多くの人の心をつかみ、時代を動かす“一流の仕事”は、どんなこだわりによって生まれているのかに迫ります

アイドルの魅力を最大限に引き出し、見る者すべてを魅了するーー。
「アイドル衣装の天才」として名高いのが、オサレカンパニーで取締役・クリエイティブディレクターを務める茅野しのぶさんだ。
22歳の時、デビュー間もない『AKB48』のスタイリストとして単身で飛び込んでから18年以上、業界の第一線を走り続けてきた。
その他『=LOVE(イコールラブ)』など人気アイドルグループの衣装に加え、有名高校の制服デザインを手掛けるなど活動の幅を広げている。
そんな輝かしいキャリアを歩む彼女だが、かつては「衣装デザイナー失格」と思うほどの挫折を味わったと打ち明ける。
昔は一人だけが頑張ればいいって思っていたんです。でもあることをきっかけに、それじゃプロになれないと気付きました。
どうやってその挫折を乗り越え、プロとして唯一無二のポジションを築き上げることができたのだろう。彼女の軌跡を聞いた。
街中で見掛けた「AKB48の1期生募集」ポスターが人生を変えた
高校までは普通科に通い、なんとなく大学に進学しようと考えていた10代の頃の茅野さん。
ファッション関係の道に進もうと考えたきっかけは高校の文化祭のときだった。
当時欲しい洋服が高くて買えなかったので、服をリメイクしていたんです。それを見た友達に「文化祭で披露するダンスステージで着る衣装を作ってほしい」と言われたんですね。
そうしたら、衣装を見た担任の先生が「すごく感動した、あなたには才能があると思う」と絶賛してくれて。
普段はそんなことを言うタイプの先生じゃないから、私も本気になっちゃったんです。
その後服飾の道に進むことを決意し、専門学校に入学。AKB48のスタイリストになったのは22歳の時。
在学中からアシスタントとして従事していたスタイリストはいたものの、茅野さんはそのまま師匠の元で独り立ちしていく道は選ばなかったという。
師匠の下でやっていく方が、仕事にも恵まれるんですけど、師匠を超えることは難しいじゃないですか。
だから、自分ならではの仕事をしたくて靴下メーカーに企画を売り込んだり、デザインコンペに応募したりしていましたね。

そんな時に街中で見つけたのが、AKB48の1期生募集のポスター。
「メンバーを募集している段階であれば、衣装デザイナーやスタイリストの枠はまだ埋まっていないのでは」と考え、ポスターに記載している連絡先に問い合わせた。
ダメ元で連絡したら、ありがたいことに面接をしてもらえて。
当時まだスタイリストとして経験は浅かったけれど、「マネジャー的な仕事でも、なんでもやりますから!」って頼み込んで、なんとか採用してもらうことができました。
「私はスタイリスト失格だ」挫折を味わい意識が変わる
AKB48総合プロデューサー秋元康氏の下で、創設当初から衣装担当を務める茅野さん。
始動から4年、『言い訳Maybe』『ヘビーローテーション』など、CDシングルが軒並み1位を取り、AKB48は“会いに行けるアイドル”から“国民的アイドル”へと成長した。
そんな中、国立代々木競技場でのコンサートという晴れ舞台の日に、事件が起きる。当時センターを務めていた前田敦子さんの衣装が紛失し、ステージに出ることができなかったのだ。
原因は、茅野さん含む衣装チームによる設置ミス。しかし当時、ネットの掲示板では「メンバーから衣装を隠されたんじゃないか」「いじめられているんじゃないか」と心無い憶測が飛んだ。
単純に衣装のミスですって言えればよかったんですけど、当時SNSをやっていなかったので、そんな機会もなく。
アイドルを輝かせる立場のはずが、足を引っ張ってしまっているなんて「衣装担当として失格だ」って思いました。
さらに、同時期に制作していた新衣装について秋元氏から大目玉を食らったことが、追い打ちをかけた。
試作品を見せたとき、「これはAKB48じゃなくて、別のアイドルグループでも着られる。AKB48が着る必要のない衣装だ。ずっとこういうのを作っていたら、他に負けるよ」と言われてしまって。
その言葉を聞いて、はっとしたんですよね。
自分としては一生懸命作っていたつもりだったけど、いつのまにか目の前の仕事をこなすことだけに精いっぱいだったんだって気付いたんです。

『ヘビーローテーション』が発売初週で52.7万枚を売り上げるほど、当時AKB48の人気が爆発的に広がった。
そんな状況でも、茅野さんは誰かに頼ることなく衣装デザインからフィッティングまで、ほぼ一人で担当していた。
アシスタントはいたものの、まだフィッティングを任せられる状態ではなく、メンバーを何十人か並ばせて、一人ずつ服を着せて……と常にてんやわんやだったと振り返る。
自分一人が頑張ればいいと思っていたんです。なんとかなるって。
でも、この時に「AKB48というグループが大きくなるのと共に、自分たちも大きくなっていかなきゃいけない。そうじゃないと足を引っ張っていってしまう」と実感しました。
それで、人を育てていくこと、チームでやっていくことを決めて、初めて会社化することを意識し、その後オサレカンパニーを立ち上げました。
若手にチャンスを与えたい。会社創立10年目を迎えた今見据えるもの
個人で動く意識では、プロとして大きな仕事を成し遂げることはできない。そう気付いてからは、後輩たちを育てるとともに「一緒につくる」意識をより強めていった。
一緒に衣装を作るスタッフには、私の頭の中にある“デザインの着地点”を共有するようにしています。今までは全部自分の中で完結していたことを言語化し、共通のゴールに向かってみんなを導いていく。
例えば『=LOVE』の『あの子コンプレックス』という曲は失恋がテーマなので、どこか退廃的で切ない雰囲気にしたくて。
イメージを具体的に伝えるために、皆に枯れた庭園の写真を見せながら共有していました。

『=LOVE』の『あの子コンプレックス』佐々木舞香さん衣装。全体的に落ち着いたトーンでまとめて、繊細なレースではかなさを表現している。「胸元に草花の装飾を施し、退廃的な庭園を演出しています」(茅野さん)
そうして仲間と奔走し続け、オサレカンパニーは2023年で創立10年を迎えた。立ち上げ時は数名だったメンバーも、今や50人を優に超える。
10年という一つの節目を迎え、茅野さんは「社員一人一人が輝ける会社にしていきたい」と目を輝かせる。
衣装制作に携わるスタッフは今20人くらい在籍しているのですが、それぞれの得意・不得意をよく理解して「このアイドルグループはこの子が得意」とか、「2.5次元舞台だったらこの子が詳しい」みたいに、長所を思う存分発揮できる環境を用意してあげたいですね。
個々が能力を発揮できれば、「チームとしての力」も一層大きくなる。
さらに自身の経験を踏まえて「もっと多くの若手にチャンスを与えていきたい」と意気込む。
今私がこうやってお仕事できているのも、22歳のときに秋元さんがチャンスをくれたから。
どんなに魅力的で才能がある人でも、チャンスが巡ってこない限りはそれを発揮できない。
逆に言うと、チャンスを与えてあげれば思わぬ逸材が発掘できるかもしれません。若い才能をどんどん発掘して、組織としてより大きく成長していきたいですね。

自己満で終わるのはプロじゃない。失敗から学んだ“三つの視点”
「アイドル衣装と言えば、オサレカンパニーの茅野しのぶ」。そう言っても過言ではないほど、業界をけん引するプロフェッショナルとして唯一無二のポジションを確立している茅野さん。
最近ではアイドル衣装に限らず、学校制服や医療制服をデザインするなど各所からオファーが殺到している。
そんな茅野さんが「プロ」として仕事をする上で心掛けていることは一体何だろうか。
問い掛けると、「仕事に関わるすべての方の要望に、100%で答えること」と笑顔で答える。
「自分の心に刺さるものを作る」では、アマチュアの仕事なんですよね。
だからこそ私は「三つの視点」を大事にしています。
それは「アイドル本人の視点」、「事業のプロデューサーやクライアントの視点」、そして「ファンの視点」の三つを指す。
これらを大切にするに至った経緯は、AKB48のデビューまもない頃にまでさかのぼる。
初期のAKB48は、ファンがいてこそ成り立っていました。それなのに、初めてアキバにある劇場以外の会場でコンサートをした際、ファンをがっかりさせてしまったんです。
プロデューサーの秋元さんとは「いつもと同じような衣装を着て、“劇場から飛び出してきた”みたいなコンセプトが成功するだろう」って話していました。
でもいざ当日を迎えたら、「せっかくの大きな会場なのに、いつも通りか」ってファンの声が耳に入って。
ファンの方はもっと新しいAKB48を求めていたのに、私たちプロデュース側は「いつも通り」を求めていた。
この時に初めて、「立場によって求めるものが明確に違うんだ」って気付いたんです。それはアイドル本人もしかりだったかもしれません。
三者の要望はそれぞれ異なるから、それらがほんの少しでも交わったところをくみ取って、感動できたり、共感できたりする部分を衣装で魅せる。それがプロとしての、私の仕事だと考えています。

元AKB48峯岸みなみさんの卒業ドレス。「“AKB48らしさ”をとことん詰め込みたくて、色んな赤チェックの生地を取り寄せて使用しました」(茅野さん)
絶対的な「正解」がない衣装デザインの世界。さらに「アイドル衣装」は、前例も少ないニッチな業界でもある。
そんな中、プロとして“突き抜け続ける”ことができるのは一体なぜなのだろう。
彼女の原動力を聞くと「私、ドラマチックなことが大好きなんですよね」と照れくさそうに笑顔を見せる。
アイドルたちを見ていると、なんだか「文化祭の前日」がずっと続いているみたいだなって思うんですよ。
例えば、AKB48はよく音楽番組の収録前に円陣を組むのですが、「メークさんや衣装さんが寝る間を惜しんで、この日のために準備してくれました。テレビの向こう側にいるファンの人を思って、最高のパフォーマンスをしましょう!」って大声で叫ぶんです。こんなに熱くなることって、普通に生きていたらほとんどないですよね。
短期間で衣装を完成させなくちゃいけなかったり、常に複数の案件が進行してたりでてんやわんやな毎日ですけど、「ドラマチックな出来事がたくさんあったな。でもすごく楽しかったな!」って、最後に笑顔で言える人生にしたい。
その思いが、私を突き動かしているのだと思います。

株式会社オサレカンパニー 取締役・クリエイティブディレクター
茅野しのぶさん
創設当初より総合プロデューサー秋元康氏の下で衣装担当として活動。その後、デザイン・衣装・ヘアメークなどの事業を担うオサレカンパニー社のクリエイティブディレクターに就任。これまでに制作した衣装はおよそ35,000着。メンバーの個性を引き出す豊富な衣装デザインとバリエーションに定評があり、AKB48以外にも、声優、コスプレイヤー、2.5次元アーティストの衣装、学校制服・医療制服のプロデュースなども行う。2022年3月よりオサレカンパニー取締役に就任 ■X ■note
取材・文/於ありさ 撮影/洞澤 佐智子(CROSSOVER) 編集/柴田捺美(編集部)
『プロフェッショナルのTheory』の過去記事一覧はこちら
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