「やりたいことはすぐやる」勇気が出ない時に読みたい!大胆チャレンジを即決できた女性たちのストーリー4選

いつかはやりたい事があるけれど……。」

思い切って挑戦したい気持ちがあっても、どうしても今まで築き上げてきたキャリアを手放すことに抵抗感を覚えてしまったり、新しい環境に飛び込む勇気が出なかったりして「いつか」を先延ばしにしてしまう人も少なくない。

そこで今回は、自分らしい仕事・働き方を実現するために大胆な選択をしたり、即行動に移した4人のインタビューをピックアップ。

チャレンジすることに二の足を踏んでいる人の背中を、きっと押してくれるはずです。

東大院卒・元LINEトップ営業の27歳がおにぎり屋に“即転身”できた理由

川原田美雪

2022年、虎ノ門にオープンしたおにぎり専門店『TARO TOKYO ONIGIRI』。その運営会社の代表を勤めるのが、27歳の川原田美雪さん。

実は彼女、東京大学大学院を卒業した後LINEに入社し、営業としてトップクラスの成績を残した経歴の持ち主。入社2年目の時にある転機が訪れ、「おにぎり屋」の代表になることを決意しました。

川原田さん

大学の先輩である、まん福ホールディングスの加藤智治社長から「世界一を目指す、おにぎり屋の代表をやってみないか」と電話をもらったんです。

驚いたけど、すごく魅力的でチャレンジングなお話だったので、単純に「面白そう!」とワクワクしましたね。

電話を頂いたその場で「やります、いつからですか?」と即決しました。悩んだところで、「やる」という結論は変わらないと思ったんです。

全くの未経験の「おにぎり」の世界に飛び込んだ結果、見えてきたこれからの目標とは?

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別府移住&起業を即実行したYOGIRLS・沈彦希のシンプルな哲学

YOGIRLS・沈彦希

大分県別府市で、ヨガと温泉のある暮らしを通じて女性のキャリア支援をする、YOGIRLS代表の沈 彦希さん。

新卒から10年勤めたAppleを辞めて次の道を模索する中で別府と出会い、その2カ月後には別府への移住を決め、YOGIRLSのクラウドファンディングを開始。初めて別府を訪れたわずか半年後にはYOGIRLSをオープンしました。

沈さん

日本で移住するなら別府だなって思ったけど、その時は老後に住みたい場所くらいに思っていたんです。

でもよく考えたら、「なんで老後なんだろう」って。

「やりたいけど……」って思いながらやらずにいるのは、自分をないがしろにしているのと同じこと。やらない理由を重ねてしまっていたけど、よく考えたら後回しにする理由がなかった。

沈さん

当時はすでに会社も辞めていたから、失うものもありません。むしろ逆にチャンスなんじゃない?って。

そう思って、2カ月後にもう一度別府へ行って、その翌日に住む家を契約しました。

「かつては不安や悩みがたくさんあった」と話す沈さんが、これほどのスピード感で自分らしい未来を切り開いてこられたのはなぜなのでしょうか。

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英語力も料理経験もなかったが女性が、ハワイでチーズケーキショップを起業できたワケ

チーズケーキショップ『ALOHA STATE BAKE SHOP』

新卒で大手人材系企業に入社し、広告営業職として働いていた万福 佳奈子(Kana)さん。現在は、ハワイで人気のチーズケーキショップ『ALOHA STATE BAKE SHOP』を経営しています。

会社員時代は、自他共に認める仕事人間。生きるために仕事をしているのか、仕事をするために生きているのか、正直よく分からなくなる毎日を送っていたと話します。

ハワイへ旅立ったのは、27歳の時。とうとう心身の限界を迎え、会社から逃げるようにして日本を出発したそう。

Kanaさん

当時は営業リーダーでバリバリ稼いで昇進もして、キャリアは順調。他人から見れば「なんで今辞めるの?」という感じだったと思います。

ですが、「今辞めなければヤバいぞ」という自分の心の声に従うことにしました。理由なんてなんだっていい。

貯金がなくなるとか、今まで積み重ねてきたものを手放すのが怖いとか、将来が不安だとか……。

そんなことを考えている余裕なんてなくて、夢も目標もないまま、みっともなく逃げ出したんです。

計画なんて一つもないまま、なりふりかまわずハワイにやってきたKanaさん。料理経験も飲食店経営の経験も一切なかった彼女は、一体どのようにしてチーズケーキ屋を開業するに至ったのでしょうか。

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日本人女性唯一の南アフリカ政府公認サファリガイド誕生の裏側

太田ゆか

日本人としてただ一人、南アフリカ政府公認のサファリガイドの資格を持つ太田ゆかさん。大学卒業とともに南アフリカに移住し、サファリガイドとしてサバンナで働いています。

大学に入るまでサファリガイドという仕事を知らなかったと話す彼女。

さらに現地での生活は「英語が話せない」「唯一のアジア人」「何年間もほぼ無収入」など、決して平坦ではない道。

それでもこの仕事をすると決めたことで、「生涯続けたい仕事に出会えた」と笑顔で話します。

太田さん

元々興味のあった「動物を守る」ことに自分ならどう貢献することができるのか、知ることから始めました。

ボランティアやインターンなどさまざまな動物に関する活動に参加することで、考えうる選択肢を増やしていったんです。

そんな中で「これしかない」と思えるやりたい仕事に「偶然」出会えた。あの時の行動量が、今の私をかたちづくっています

太田さんが唯一無二の“自分の仕事”を見つけるまでの、道のりを聞きました。

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