元読売テレビアナ・清水健がシングルファーザーになって知った現実「弱音を吐くのがこんなに難しいなんて」

バラエティ番組『どっちの料理ショー』や『24時間テレビ』、夕方の報道番組のメインキャスターなど、読売テレビの顔として第一線で活躍していた、アナウンサー・清水健さん。
プライベートでは2013年にスタイリストだった女性と結婚し、一年後には新しい命も授かった。
公私ともに順風満帆──。そんな最中に妻を乳がんで亡くし、4カ月の赤ちゃんを抱えるシングルファーザーとなった清水さん。

妻の奈緒さんが亡くなる前、奇跡的に行くことができた親子3人での旅行の際のワンショット
「突然シングルファーザーになって、初めて知った現実があった」と語る清水さんは、育児と仕事の両立に苦しんだ末、2017年に17年間勤めた読売テレビを退社する。
清水さんがシングルファーザーになって見えた現実とは何だったのか。混乱の中にあった当時を振り返って今何を思うのか。
読売テレビの退社から7年たち、現在はフリーランスのアナウンサーとして働く清水さんが語ったこととは。

フリーアナウンサー
清水 健さん
1976年大阪府堺市生まれ。2001年読売テレビに入社。09年から夕方の報道番組『かんさい情報ネットten.』を担当、メインキャスターをつとめ、「シミケン」の愛称で親しまれる。13年5月に、スタイリストだった女性と結婚。14年に長男が誕生。112日後に妻を乳がんで亡くす。16年4月、一般社団法人清水健基金を設立し、代表理事に。17年1月、読売テレビを退社し、子育てをしながら講演活動を行う。現在はフリーランスのアナウンサーとして活動しながら、シングルファーザーのオンラインサロンも運営。著書に『112日間のママ』(小学館)、『笑顔のママと僕と息子の973日間』(小学館) ■オフィシャルサイト / X / YouTube / Facebook/Instagram
「周りの人に頼る」がこんなに難しいとは
キャスター時代に、シングルマザーの方を取材する機会はよくあったんです。
「頑張ってますね」なんてコメントしていたけど、いざ自分が同じ立場になって、現実を知りました。あの頃自分が思っていた以上に、みんな必死に踏ん張っていたんだなと。
子育てをしていると毎日やらなければいけないことがたくさんあるけれど、生活をするためには、もちろん働かなければいけない。どっちかを選ぶことなんてできないので、両立させなければいけない。
でも、その両立ってすごく難しいんですよね。どっちも100%なんてできっこないのに、つい「どちらもちゃんとやらなくちゃ」という呪縛にとらわれてしまう。
僕も同じでした。シングルファーザーになったからといって、自分のできるかもしれない100%を90%、80%になんてしたくない。
キャスターとしても100点、父親としても100点でいたい。そうでなければならない。
今なら「できるわけがない」って分かるんですけど、あの頃は、自分の理想を崩すことがどうしてもできなくて、無理に無理を重ねてしまっていました。

僕の場合は、母も姉も快く手を貸してくれましたし、職場の人たちも僕の置かれている状況を理解し、気を遣ってくれていました。きっと、恵まれているシングルファーザーだったと思います。
それでも「頼る」ことが本当に難しくて。
どんどん追い詰められて、日に日に痩せていく僕を見て心配した母が、手助けをしてくれるんですが、その優しさが「自分がちゃんとできていないこと」を突きつけられているようでつらさに追い打ちをかける。「ほっといてくれ!」と母親に当たってしまうこともありました。
多分、「助けてほしい」と言えば、周りの人たちは助けてくれたと思うんです。助けを求める手を振りほどくような社会ではない。
でも、当時の僕はどうしても「助けてほしい」と言えなかった。「僕のしんどさなんて、誰にも分かるわけがない」と勝手に心のシャッターを閉ざして、曇った目で社会を見てしまっていた。
シングルマザー、シングルファーザーに限らず、マイノリティーな立場にいる人たちが、周囲の人に助けを求めることのハードルは思った以上に高い。これはシングルファーザーになって初めて気付いたことでした。
こんな状態でカメラの前に立っていいのか。こんな自分が父親を名乗っていいのか。中途半端な自分が許せないのに、カメラに映る自分は「立派に父親をやりながら仕事も頑張ってるキャスター」として見られている。
そんな現実とのギャップも苦しさに拍車をかけて、結局僕は17年続けたキャスターの仕事から一旦、距離を置くことを選びました。
「子どもにYouTubeを見せていた」って言える社会であってもいい

会社を辞めてから7年。当時2歳だった息子も、10歳になりました。
仕事では、講演会活動をしながら、フリーランスとしてアナウンサーの仕事も再開しています。また、シングルファーザー向けのオンラインサロンも運営するなど、さまざまなことにチャレンジさせてもらっています。
生活にも心にも少しゆとりが生まれた今、当時の自分を振り返って思うのは、「もっと弱音を吐けばよかった」ということ。
子どもの前でもついかっこつけてしまっていたけれど、子どもに弱音を吐いたっていいんですよね。
「パパちょっと疲れちゃったよ」とか、「今日はもう早く寝ちゃわない?」とか。最近になってようやくこういうことを言えるようになりました。

ただ、弱音を吐けなかった当時の自分を責める気持ちもありません。
困っている人を見捨てる社会では決してないけれど、弱音を吐きづらい世の中ではあると思っていて。これも自分が勝手に思い込んでいるだけかもしれないんだけれど。
例えば、保護者が集まる場で「昨日、YouTubeを6時間見てたんだ~」と子どもが発すると、お母さんがあわてて「1時間でしょ!」ってかぶせる。そんな場面を見ることがよくあります。
でも、手が回らない時はYouTubeだって見せるし、ゲームだってさせる。「100点ではできないこと」を認めてあげられる社会でありたいですよね。
僕がシングルファーザーのオンラインサロンを作ったのも、なかなか理解されにくい立場にあるシングルファーザーの人たちが、弱音を吐けずにがまんしている現実を知ったから。
「今日ちょっと疲れたな~」とポロっとこぼせる場所があるだけで救われる人って意外と多いと思うんです。僕の場合は、周りの人たちが僕の立場に理解を示して気を遣ってくれていたからこそ逆に、弱音を吐きづらくなってしまっていた。
僕と同じような人もいるかもしれないし、逆に自分の立場を理解してもらえるか分からない場所で弱音を吐くことにハードルを感じている人もいるかもしれない。いずれにせよ、弱音を吐くのはとても勇気がいることだと思います。
でもあの頃、「子どもの夜泣きで昨日全然寝られなくて……」とカメラの前で言えていたら、それがキャスターとしての正解かは分からないけれど、何かが違っていたかもしれない。
僕自身もきっと楽になれていたし、もしかしたらカメラの向こうで苦しんでいる人たちが弱音を吐くきっかけにできていたかもしれない。
誰もがこういった弱さを、100点満点でできないことを、勇気を出さずともさらけ出せる社会になるといいなと思うし、こうやって今僕が当時苦しかったことを話すことで、そんな社会に一歩近づくといいなと、心から思っています。

ガス抜きしなきゃ、頑張れない
まだまだ日本社会では、育児と仕事の両立にさまざまなハードルがあるのが現実だと思います。そんな中でできない自分を責めてしまう人も多いかもしれません。
そんな人たちに伝えたいのは、「みんな頑張っている!本当に。そんな自分を認めてあげてほしい」ということ。
仕事でも育児でも100点満点を出すなんて、そもそも無理なんです。だからまず、自分を責めるのをやめてほしい。
そうは言っても、「できていない自分」に向けられる世間の目に、心がえぐられるような思いをすることもあるかもしれません。
でも「当事者」にならないと分からないことってあるから、100%理解してもらおうと思わなくてもいいんじゃないかと思います。

僕自身もそれを実感することはよくあって。
例えば、息子とラーメン屋さんなどに立ち寄ると「今日はお母さんいないの? お父さんと二人、いいね!」なんて声を掛けていただくこともあるんだけど、息子には今日だけじゃなくてずっとお母さんがいないんですよね。
これは何てことない「日常の会話」であって、決してラーメン屋の店主さんに悪気はないわけで。僕たちみたいなマイノリティーな立場の人に、常にそこまで気をまわしてほしいと思っているわけでは決してない。
でも、言葉ひとつで、受け取り方って変わってしまう。当たり前が当たり前ではないことを知ってほしいなとは思います。
育児と仕事を両立する人はマイノリティーではないけれど、「当事者じゃないから、想像できない」人は少なからずいると思います。
だから、周囲の人たちから100%理解してもらえなくても、気兼ねなく弱音を吐けて、言いたいことを言える場所を見つけてほしい。

「無理せずに、がむしゃらに」これは僕の座右の銘なんですが、人間、がむしゃらにやらなきゃいけない時ってあると思うし、がむしゃらに働けるってすごく幸せなことだと思うんです。
ただ、ちゃんとガス抜きができなきゃ、がむしゃらにはできないんですよね。僕の会社員時代の一番の失敗がこれです。
弱音を吐きながら、できないことは「できない」と言いながら、助けてほしい時は「助けて」と言いながら、がむしゃらに働ける。そんな場所は必ずあると思うので、ぜひ見つけてほしい。
もしかしたら、今いる場所だってそうかもしれない。一度弱音を吐いてみたら、周りの人たちは「なんだ、そうだったのか」って受け止めてくれるかもしれません。
自分一人で100点を出せなくても、周囲の人たちの手を借りながら100点にできるなら、それはすごく幸せなことだと思います。
世の中は、自分が思ってるよりも優しいし、広い。ゆっくり、あせらずに探してほしいなと思います。
書籍情報

笑顔のママと僕と息子の973日間(小学館)
乳がんで亡くなった妻・奈緒さん。
そのとき生後112日だった息子。
関西の人気キャスター“シミケン”が退社を決断し、前を向いて歩き始めるまでの973日間──。
取材・文・編集/光谷麻里(編集部)