慢性疲労症候群で「寝たきり獣医師」に。働きたいのに働けないジレンマを乗り越え見つけた仕事選びの本質
忙しい日々が続くと、「もう働きたくない……」と思ってしまいがちなもの。
でも、世の中には「働きたくても働けない」状態の人もいる。そんな経験をした人の話に耳を傾けてみると、仕事の見方が変わるかもしれない。
そこでお話を聞いたのが、“寝たきり獣医師”の近藤菜津紀さん。

中学一年生の時に「慢性疲労症候群」という病気を発症して以来、深刻な体調不良に悩まされてきた。マイナーな病気であることから、診断名がつくまでに20年以上かかったという。
困難な状況であるにも関わらず、近藤さんは幼い頃から目指していた獣医師になる夢を実現。期待を胸に動物病院で働き始めるも、体が思うように動かない、頭が働かない……“ぎりぎりの状態”が続くようになった。
ほどなくして、院内での立ち仕事がどうしても続けられず、やむなく動物病院を退職。
公務員などいくつかの仕事を経験し、現在はペット✕IT関連の多彩な事業を手掛けるスタートアップ企業、TYLでペットの飼い主のためのオンラインカウンセリングに獣医師として取り組んでいる。
夢だった仕事にせっかく就くも、病気のせいで思うように働けない――。
そんなもどかしい時期を過ごしてきた近藤さんが、自分らしく働くことを諦めなかったのはなぜか。そして、「仕事」が人生に与えてくれたものは何だったのだろうか。
難病だと知らず……「頑張ればできる」と思い込んでいた
ベッドの上から失礼します。“寝たきり獣医師”の近藤菜津紀です。

近藤さんが可愛がっているペットの小鳥もオンラインインタビューに参加
私は「慢性疲労症候群」という病気を患っているため、一日の中で活動できる時間が限られています。でも、こうして介護ベッドに寄りかかっていれば大丈夫なので、今日はこの状態でお話しさせていただきますね。
私が獣医師を目指すようになったきっかけは、幼少期にさかのぼります。
父親が獣医師で、母親が研究職という環境で生まれ育ったので、子どものころからたくさんの動物たちが身近にいました。動物とともに暮らす世界は、私にとってとても居心地の良いものでした。
獣医師になりたいと思ったのは、そんな大切な動物たちの生命に関わる仕事がしたいと思ったからです。そして、獣医学部を卒業。獣医師になる夢を叶え、動物病院に就職しました。

しかし、この時すでに、何年も病気の症状に悩まされ続けていたのです。
中学一年生のときにインフルエンザにかかると同時に、「慢性疲労症候群」という病気を発症。それ以来、症状がない日は一日もありませんでした。
慢性疲労症候群は、「疲労」という言葉が病名に含まれているので、「人よりも少し疲れやすい病気なのかな?」と思われがちなのですが、実際の症状はもっと深刻です。
まるで高熱が出ているときのような倦怠感、歩けないほどの脱力感、全身の慢性的な痛み……。
日によって程度の差はありますが、体を動かして活動量が増えるほど重い症状が出るので、他の人と同じように日常生活を送るのは非常に困難でした。
そんな状態で普通に動物病院に就職する道を選んでしまったのは、「自分はやればできる」という思い込みがあったから。病名がつかず、歪んだ認知で自分の健康状態をとらえていたのです。
ただ、やっぱり他の人と同じように働くことはできませんでした。いや、正確には、ほとんどのことは“すごく頑張れば”できるのです。
でも、限度を超えて活動してしまうと、勤務中に足が前に一歩も出ない、手が思うように上がらない、言葉が出てこなくなるという症状が頻繁に起こるようになりました。
一番困ったのは、物事を同時処理が困難になる「高次脳機能障害」の症状です。近くで電話が鳴ったり、ワンちゃんが鳴いていたりすると、目の前の飼い主さんの話をうまく聞き取れず、スムーズな会話ができなくなってしまった。
このままでは何か重大なミスを起こしてしまうのではないかと、不安で不安で仕方がありませんでした。結局、動物病院で医師として働けたのは半年程度。退職後は、自分にできる仕事を探し始めました。
働けないけど、働きたい。出産しても意思は変わらなかった

病名がついた瞬間、喜んでしまうのは、本当はいけないことないのかもしれません。
でも、ようやく正式に「慢性疲労症候群」という診断が降りた瞬間は、心の中で思わずガッツポーズをしてしまいました。病気を発症してちょうど20年が過ぎた、31歳の時です。
中学生の頃からノートに書き続けてきた症状の記録を手に病院を探し回り、「この病気だと思うのですが……」と自ら医師に訴えたことが、今回の診断につながりました。
「病気なんだから、今までできなかったことは仕方ないことだったんだ」という、形容しがたい安堵感が、体の底から込み上げてきました。
ただ、病名がついたところで、病気が治るわけではありません。一生付き合わなければいけないという現実はショックではありましたが、その一方でとても良いことがありました。
理学療法士の方が「疲労感を軽減するために、車椅子を使用してみてはどうですか?」と提案してくださったのです。
使い始めてみると、全身の痛みが驚くほど緩和されて、今までにないような快適な時間を過ごせるようになりました。

現在、近藤さんが使用している車いす
今でも覚えているのは、友人の結婚式に車椅子に乗って参加した時のこと。お料理をいただいた瞬間、心の底から感動したんです。「なんて美味しいんだろう」って。
今までは体のどこかが常に痛かったので、量を多く食べることや、食事を楽しむことはできていませんでした。でもこの時は、もうずっと感じてこなかった喜びを文字通り噛みしめられたんです。
しかもこの時期は、私自身の大きな幸せも身近にありました。それは、今私の隣にいる3歳の娘が生まれたこと。
「その体調でどうやって妊娠、出産を?」と驚かれるかもしれませんが、実は妊娠したことによって全身の血流が良くなり、比較的良い状態で妊娠期間を過ごすことができました。
出産した後も、働くこと辞めようと思ったことは一度もありません。それどころか、思うように「働けない」時期を過ごしたからこそ、「働きたい」気持ちは強くなる一方。
獣医師の専門性が必要かどうかにはこだわらず、さまざまな仕事に挑戦してきました。
仕事とは自分に「生きる意味」を与えてくれるもの

「そうは言っても、やっぱり獣医師としての知識や経験を生かせる仕事がしたい」
そう気づいたのは、実は最近のこと。クラウドソーシングで動物関連の文章を書く仕事をしていたときに、動物や飼い主さんの困りごとを解決したいのに……という気持ちが強くなっていきました。
そんな時、私のSNSのページを見て声を掛けてくれたのが、今の私の職場であるTYLでした。
TYLは「ペットの家族化推進」の実現を目指してさまざまな事業を展開している企業です。今年5月に始めたアニホック往診専門動物病院で、診察前や診療後に飼い主様の相談にオンラインで乗れる獣医師を探していて、私を見つけてくれました。
寝たきりの状態でもできて、獣医師としての専門性も活かせるなんて、願ってもないお仕事です。すぐにお返事をして、TYLに入社。飼い主さま向けのオンラインカウンセリングの仕事を始めて5カ月が経ちました。

TYLのメンバーと一緒に
今の状態を一言で言うと、ものすごく幸せです。体に負荷をかけず、自分の専門性を役立てて働くことができるようになりました。
飼い主さまからは、日々さまざまなご相談が寄せられます。「今すぐ病院に行った方がいいですか?」といった緊急性の高いものから、動物病院では聞きづらい「ペットにダイエットをさせるにはどうしたらいいですか?」といった日常生活に関するものまで。
不安を感じていた飼い主さまに、「それなら安心ね」と言っていただけると、自分の役割を果たせたことに大きな喜びを感じます。
これまでの経験を振り返って感じるのは、仕事とは自分に「生きる意味」をくれるものだということ。
病気になると、誰かの役に立つ実感はなかなか得られなくなります。じっとしている時間が長かったり、自分よりも他の人がパッと動けるのを目にすると、どうしても辛くなってしまう。
それでも、仕事を通して自分の役割を果たせると自信が湧いてきて、それが生きる楽しさにつながります。

ベッドの上からでも、自分らしく働ける
ただ、「役割が与えられるなら仕事は何でもいい」というわけではありません。本当に充実感を得るためには、「自分はどんな風に人の役に立てれば幸せなのか?」を知り、それを満たせる仕事に出会うことが大切。
私の場合は、専門性を生かせることに加えて、「飼い主さまとの会話を大切にしたい」という軸がありました。飼い主さまとオンラインで会話ができる今の環境には、とても満足しています。
健康な人の中にも、今の仕事にやりがいを感じられない人もいるかもしれませんが、イキイキと働くことを諦めないでほしい。自分の果たすべき役割を全うできる仕事は、想像もつかなかった充実感をもたらしてくれます。
時間はかかるかもしれませんが、自分が一番大事にしていることを軸にしていれば、きっといつか自分が幸せになれる仕事とめぐり会えると思います。

取材・文/一本麻衣 写真/ご本人提供(取材はオンラインで実施)