【元男装アイドル・喜屋武ちあき】2年の引きこもり生活を経て、「自由に働く」をかなえた捨て身の状況リセット術/大木亜希子の詰みバナ!

人生、詰んでからがスタートだ
ライター大木亜希子の詰みバナ!

フリーライター・大木亜希子。元アイドルで元会社員。こじらせたり、病んだり、迷って悩んだ20代を経て30代へ。まだまだ拭いきれない将来に対する不安と向き合うために、同じく過去に“詰んだ”経験を持つ女性たちと、人生リスタートの方法を語り合っていきます。「詰む」って案外、悪くないかも……?

『詰みバナ!』4回目のゲストは、男装アイドルユニット風男塾の元メンバーで、現在はフリーランスタレントやヨガ講師、アニメ制作の裏方として活躍する喜屋武ちあきさん

大木亜希子さん・喜屋武ちあきさん

私も作家になる前はアイドル活動をしていたので、喜屋武さんとは同じライブに出演することがよくありました。

男装アイドルとして数多くのステージに立ってきた喜屋武さんですが、卒業後はセカンドキャリアに悩み、心労でベッドから起き上がれなくなるほど追い込まれていたと言います。

そんな当時の“詰みバナ”をたっぷり聞きました。

「新しいアイドルのかたち」を作り上げていく楽しさがあった男装時代

大木さん

今日は、いつも通り「きゃんち」と呼ばせてもらいますね。

きゃんちといえば「男装」のイメージだけど、最初はグラビアでのデビューだったんだよね。

喜屋武さん

そうです。でも、グラビアはうまくいかなくて……。 私はコミュニケーション力に自信がなかったので、グラビアの現場でも人見知りをさく裂してしまったんです。

撮影現場って、スタッフさんとのコミュニケーションがとても大切なのに、私は自分の殻に閉じこもってばかりで。

デビューしたてだからといろいろなグラビア誌に出させてもらったものの、「もう1回ウチの雑誌に出てください」という「おかわり」が、どこからもありませんでした。

大木亜希子さん・喜屋武ちあきさん
大木さん

仕事の「おかわり」の難しさ、すごく分かります! 私も10代で芸能界デビューした時、キー局のドラマに出演した後に「もう1回」のオファーがもらえませんでした……。

きゃんちはその後、中野腐女子シスターズ(後に中野風女シスターズに改名)に加入してグラビアからアイドルへとシフトチェンジしたんですよね?

喜屋武さん

はい。この先、グラビアアイドルとしてやっていくのは難しいかなと感じていたのですが、私がオタク趣味について発信していたブログを見てくださったテレビ業界の方から声をかけていただいて。『はなわレコード』というバラエティー番組への出演が決まったんです。

その番組のなかで、芸人のはなわさんがプロデューサーで「メンバー全員がオタクのアイドルグループをつくろう」という企画が持ち上がり、メンバーに選ばれたんです。

大木さん

アイドルになったのは、番組がきっかけだったんですね。

喜屋武さん

そうです。でも「メンバー全員がオタクの、歌って踊れるアイドルグループ」と言っても、最初はライブ活動をしても、お客さんは5人くらいしか入らなかったんですけどね。お客さんよりもメンバーの方が多いくらい(笑)

ただ、「他のアイドルがやっていないような面白いことをやろう」というノリを大切にしているグループだったので、楽しみながら活動できていました。

大木さん

男装アイドル「風男塾」の誕生も、そのノリの一貫だったとか?

大木亜希子さん・喜屋武ちあきさん
喜屋武さん

そうです。きっかけは忘れましたが「男装したアイドルなんて面白いんじゃない?」という声がグループ内で出て、「武器屋桃太郎」という眼鏡男子のキャラクターが生まれました。

大木さん

当時のきゃんちのこと、よく覚えてます! キャラクターづくりが徹底されていて、楽屋で会うとドキッとするくらいでした。本当にかっこよかった……。

喜屋武さん

ありがとう! 風男塾の武器屋桃太郎として接していると、メンバー同士での上下関係とかを気にしなくてよかったり、コミュニケーションをとる中でお互いのキャラクターを作り上げていくのが楽しくて。

新しいアイドルのかたちを作っていく感覚もあり、充実していました

大木さん

当時の風男塾の人気はすごかったですよね。

喜屋武さん

中野サンプラザでライブができた時は、感慨深かったですね。私は歌もダンスも未経験からのスタートだったので、他のメンバーが引っ張ってくれて。

その分、私は年長者としてグループをまとめたり、トーク方面で頑張ろうと思っていました。

私がいるはずだった席に、別の人が座っていた

大木さん

きゃんちが風男塾を卒業したのって、グループのCDがオリコンウィークリーチャートでTOP10に入っていたような時期ですよね。順風満帆に見えたのに、なぜ?

喜屋武さん

8年間グループに在籍したおかげで、いろいろな活動をさせてもらいました。なので「もうやり切ったかな」と思ったんです。

ちょうど30歳になる頃だったので、先のことを考えてみて。10年後もこの活動を続けるのか、と自問自答してみた時に、イメージがわかなかったのも理由の一つですね。

大木亜希子さん・喜屋武ちあきさん
大木さん

でも、ソロになるには勇気が必要だったんじゃない?

喜屋武さん

そう。だから私にとっての「詰み期」は、グループ卒業後に訪れたんです

大木さん

ここできゃんちの「詰み」が始まるんですね……!

喜屋武さん

はい。当時、個人での活動ではアニメやゲームに詳しいオタクキャラとして番組ゲストに呼んでもらえることが多かったんです。

でも、「風男塾」の活動が自分にとって大切すぎて、そっちに重きを置きすぎた部分があって。

いざソロになって、「これからまた自分の得意なことを生かして仕事をしていきたい」って思って周りをみたら、すでにそのポジションには私よりも何歳も若くて、トークもうまい人がたくさんいました。

大木さん

狙っていた席が、すでになかったという……。

喜屋武さん

今思うと、ソロになった後の考えが足りなかったのが詰みの原因でした。もっとよく考えて準備しておくべきだったなと。

風男塾として毎日ハードに働いていたのに、急に暇になってしまったことも苦痛でした。

大木さん

結局、ソロになってからはどんなお仕事をしていたの?

喜屋武さん

グラビアアイドルとして再デビューしたり、舞台に出演させてもらったり、いろいろと単発の仕事をしていました。

大木さん

グラビアや舞台で頑張っていこう! と思っていたの?

喜屋武さん

うーん……お仕事をいただけるのはありがたかったけど、先を見て動けているというより、目の前のものを淡々とこなす感じでした。

楽しくなかったわけじゃないけど、女優になりたかったわけではなかったので舞台の現場にいても夢中になれる感覚はなくて。やっぱり「アニメに関する仕事をしたい!」という気持ちはありましたね。

アニメに関するバラエティー番組を見ると「なぜそこに座っているのは私じゃないんだろうか」なんて思うこともありました。

大木さん

やりたいことと、実際の仕事にミスマッチを感じていたんですね。

私もSDN48を卒業して「何者でもない自分」になった時に、何を仕事にすれば良いのか全く分からなかったから、気持ちはよく分かります。

喜屋武さん

私がやりたいと思うことと、事務所の目指す方向性がうまく噛み合わないと感じることも多くて。いろいろな葛藤はするんですけど、糸口を見つけることができないでいました。

そんな風にして過ごしていたら、だんだんとスケジュールに空きが増えていって、3年程たったある朝、突然ベッドから起き上がれなくなってしまったんです

大木さん

えっ!? 何の前触れもなく……?

大木亜希子さん・喜屋武ちあきさん
喜屋武さん

体調を崩しやすい時期だったこともあったんですが、思うように動けなくなってしまって。何より気力が全く湧かないんです。

将来への不安も強くて、突然涙が出てくることもありました。

仕事の予定もそんなになかったので、昼間は家に引きこもって、気が向いたら出掛ける……みたいな。

寝て、ゲームをして、また寝て、起きて動けそうだったら仲間とお酒を飲みに行く。そんな自堕落な生活をしばらく続けていました。

大木さん

当時、どんな気持ちで毎日を過ごしていましたか?

喜屋武さん

このままだと私、どうなっちゃうんだろう、という焦りはあったけど、何をしたらいいのか本当に分からなかったんです。

年齢のことを考えて婚活をしてみたりもしたのですが、それも結果が出なくて。「私ってなんてだめなんだろう」と思いながら過ごしていました。

「グータラするのは、もう飽きた」全部リセットしてつかんだチャンス

大木さん

そんな状況からどうやって抜け出したの?

喜屋武さん

これもまた突然なんですが、ある日、ふと「この生活、もう飽きたな」って思ったんです。

大木さん

そう思うに至ったきっかけは何だったんだろう。

喜屋武さん

2年間くらい自堕落な生活を送ってしまったので、本当に「飽きた」というのが率直な気持ち。

あとは、このままじゃいよいよ近いうちに生活が成り立たなくなって家を失うという切羽詰まった事情も。

なので、ここまできたら全てリセットして開き直ろうと思って、フリーランスになる決意をしました。これ以上失うものもないかな、って。

大木亜希子さん・喜屋武ちあきさん
大木さん

それはまた思い切ったね! 不安はなかったの?

喜屋武さん

まったくなかったわけじゃないけど、本音を言うと、独立したい気持ちはずっと前からあったんですよね。それこそ、風男塾を辞める前から。

事務所のおかげで最初の大きな一歩を踏めたし、長い間お世話になった恩はあるけど、事務所に所属しているからできないこと、っていうのもたくさんあった。

特に、事務所があることで自分がやりたいと思ったことがすぐにできない。そんな不自由さへのストレスがあったんです。

大木さん

フリーになってからは、どんな仕事を?

喜屋武さん

司会業や自分の好きなコンテンツに関わる仕事をしながら、アニメの企画制作を行う会社で働くようになりました。

大木さん

アニメの“裏方”の仕事ですね!

大木亜希子さん・喜屋武ちあきさん
喜屋武さん

そうなんです! 以前、アニメ関連のイベントで知り合った方が、独立し創業されていて。

そこに「企画プロデュースの方法を教えてくれませんか?」と尋ねて行ったことがきっかけでした。

大木さん

すごい熱意! でも、フットワーク軽く動けるのってフリーランスならではですよね。

喜屋武さん

そうですね。今まさに新しいキャリアのスタート地点にいることを実感しています。

芸能界しか知らなかった私にとっては未知の世界。会議での立ち振る舞いも分からなくて、最初は戸惑ってばかりでした。

喜屋武さん

でも少しずつ、周りの方の仕事を見ながら自分なりの意見を考えてみたり、役割を探したりして。自分にできることを増やしていったのです。

そうやって会議の回数を重ねるごとに、これまでと違う視点から物事を考えられるようになったり、知識が増えることがすごく楽しくなりました。

今は「もっと学びたい!」っていう気持ちでワクワクしています。

これからは、チームでの「ものづくり」で価値を提供したい

大木さん

「詰み期」を乗り越えた今、これからどんな仕事をしていきたいですか?

喜屋武さん

今までは、アイドルとして、タレントとして、私という存在そのものに対価をいただいてきました。

でもこれからは、私自身ではなく、私とチームの仲間が生み出した「成果」に対して、価値を感じてもらえるようになりたいと思っています。

大木亜希子さん・喜屋武ちあきさん
大木さん

分かります。過去のキャリアを否定するのではなく肯定した上で、いかにして「今の能力を評価してもらえるか」ということが重要ですよね。

きゃんちは自力で詰みから脱出できたけど、かつてのきゃんちと同じように行き詰まっている人がいたとしたら、どんなアドバイスをする?

喜屋武さん

現状がつらくてどうしようもできないなら、思い切ってその状況から抜け出してみるのも一つかなと。

状況を変えるのが怖い、というその気持ちはよく分かります。私も本当は変化に触れるのは嫌いだし「うまくいかなかったらどうしよう」と考えることは今でもあります。

喜屋武さん

でも、たとえ働く場所が変わったとしても、それまでの経験や築き上げてきた信頼がリセットされるわけじゃないんですよね。

私も、かつての仕事や人との関わりの中で生まれたつながりのおかげで、今、アニメに関する仕事ができています。

つらいのに無理して現状維持を続けるよりも、時には思い切った変化を起こしてみると、パッと視界が開けることもあると思います。

大木さん

貴重なお話をありがとうございました!

大木亜希子さん・喜屋武ちあきさん
大木 亜希子(おおき・あきこ)

1989年8月18日生まれ。千葉県出身。2005年、ドラマ『野ブタ。をプロデュース』で女優デビュー。数々のドラマ・映画に出演した後、10年、アイドルグループ・SDN48のメンバーとして活動開始。12年に卒業。15年から、Webメディア『しらべぇ』編集部に入社。PR記事作成(企画~編集)を担当する。18年、フリーライターとして独立。著書に『アイドル、やめました。AKB48のセカンドキャリア』(宝島社)、『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』(祥伝社)がある■Twitter:@akiko_twins/■Instagram:akiko_ohki/■note:https://note.com/a_chan
喜屋武 ちあき(きゃん・ちあき)

1984年3月13日生まれ。埼玉県出身。現在はフリーランスとして司会者、プロデューサー、プロモーター等で活動するほか、ヨガインストラクター講師・健康リズムカウンセラー等の資格を持ち、ヨガ講師としても活動中。2003年、スカウトがきっかけでグラビアから芸能界デビューへ。06年9月からは、バラエティ番組『はなわレコード』から誕生した“全員オタク”の女性アイドルユニット・中野風女シスターズのメンバーとして活動。同じメンバーで構成された男装ユニット・風男塾では武器屋桃太郎として活動後、14年に卒業 ■Twitter:@kyanchiaki /■Instagram:kyanchi

取材・文/大木 亜希子 撮影/洞澤 佐智子(CROSSOVER)編集/秋元 祐香里・柴田捺美(ともに編集部)