元宝塚おじさん役・天真みちる「カッコいい男役はできなかったけど、おじさん役を掘り下げる努力は無限にできた」
生き方も、働き方も、多様な選択肢が広がる時代。何でも自由に選べるってすてきだけど、自分らしい選択はどうすればできるもの? 働く女性たちが「私らしい未来」を見つけるまでのストーリーをお届けします
「情報量の多いおじさん役者」「タンバリン芸人」「歌って踊れる社長」

これらの看板を背負ってわが道を歩む、天真みちるさん。なんと元タカラジェンヌだ。
宝塚歌劇団を退団後、約1年間の会社員生活を経て独立し、現在は社会人としてのセカンドキャリアを右往左往しながら絶賛奮闘中。
宝塚にいた頃も、退団後も、いわゆる“一般的な道”ではなく、「自分だけの道」を切り開いてきた天真さん。その道をさかのぼると「できないこと」にたどり着くという。
宝塚の枠を超えて「やりたい」を追求したかった
私が12年間在籍した宝塚歌劇団を退団し、もう約5年がたちます。
宝塚から離れて最初に思ったのは、「選択肢、無限過ぎない?」ということ。
退団後も何となくエンタメに関わりたいと思ってはいましたが、「じゃあ、それをどこでどうやっていくの?」は全く考えていなくて。
以前は宝塚の一員として進むべき方向性があったけど、外の世界に出たら全ては自分次第。
だから、一度放り投げられたような感覚がありましたね。

ありがたいことに友人からの紹介で、宝塚卒業後2週間で会社勤めを始めましたが、自分一人でやってみたい思いが強くなって、結局1年もたたずに辞めちゃって。
というのも、私は「やってみたいな」って思った瞬間に、感覚で飛び込む系の気質。
「やってみていいですか?」と確認をして、回答を待つ時間に耐えられないんです。というか、気になった瞬間にやらないと好奇心が続かない。
そういうタイプだから、フリーランスの方が自分には合ってるのかもしれない。
そう思って実際に独立したら、いよいよ何でもしていいんですよね。
どこに進んでいったらいいんだろうって、最初はもう、すっごいパニックでした。
ただ、今思えば劇団にいた頃から、宝塚の枠を超えて自分のやりたいことを追求したい思いはあったんです。
私は宝塚でみんながトップを目指す中、「おじさん役」に活路を見い出した人間です。それも、面白いおじさん。

演出家の先生によっては演じ方を任せてもらえることがあるんですけど、「こう演じてみたい」を取り入れていったら、「タカラジェンヌとして、それはどうなの?」と歯止めをかけられることがあって。
宝塚は「清く正しく美しく」が基本です。そこに自分のオリジナルを入れようと思う人は少ないというか、憧れて入った劇団の一員として、胸を張ってタカラジェンヌを名乗り、そう認められることに重きを置く人が多い。
そういう周りの人たちから、私はちょっと外れていたんですよね。
役を頂いて、好きにやれる部分があったとしても、そもそも所属しているのは宝塚。
そこを忘れて、自分視点で自由に考えすぎちゃうことがありました。
結果、一時期は「自分がやることによっていちいち周りを怒らせてしまう」みたいな状態になってしまった(笑)
今は笑って話してますけど、これは私にとって一番ショックな状態です。
純粋に「面白い」を突き詰めた結果、人の不快を買ってしまっているわけなので……。
たとえお客さんから拍手を頂いたとしても、袖にはけたら一緒に舞台をつくっている皆さんが仁王立ちして待っている。
それを見て、「これはダメだったのか!」って気付くという……。
そこの感覚がちょっとズレているのは当時から感じていました。
だからといって、周囲に合わせて続けていく道を想像した時に、自分の中で何か失われていく感覚や感情のようなものがある気もしていて。
宝塚としてはここまでだけど、ぶっちゃけ自分はここまでやりたい。
そんな思いがどこかにあったことが、宝塚を辞めるきっかけになったように思います。
退団後、「トップを目指さなかった」負い目に変化
だから卒業した頃は、「宝塚の肩書を捨てて、人間一人で行くんだぜ!」みたいな気持ちでいました。
実際に今は全てが自分の采配次第で、「こうやった方が楽しい」を実際にやれる面白さをめちゃくちゃ感じています。
その一方で、ありがたいことにタカラジェンヌだった頃の自分を知ってくださっている方からお仕事を頂くことが多いんですよね。
また、1冊目の本『こう見えて元タカラジェンヌです』を出した時にいろいろ取材を受ける中で、自分がいかにイレギュラーな道を歩んでいるのか、ようやく客観的に見られるようになった気がします。

実は、これまでは劇団に対して胸を張って、「おじさん役やってきたんですよ」とは言えなかったんです。
「トップスターを目指さなくなってしまった人間」という負い目がどこかにあって。
宝塚では、皆さんが当たり前のようにトップを目指して進んでいきます。そんな中、私はスタートダッシュすら切れなかった。
私、宝塚に入ったら、自分をプロデュースしてもらえると思っていたんです。実際は自己プロデュースの世界だから、自分で勝ち取っていくしかない。
それなのに「誰かが導いてくれるだろう」と思ってボサっとしていたら、どんどん出遅れてしまった。
結果、1〜2年たつ頃には崖っぷちっていうか、「自ら辞めるか or 辞めさせられるか」くらいまで落ちていって。
宝塚は「トップになれるかどうか」が分かりやすい面もあって、「同期の中ではこの子が一番期待されているのかも」みたいなことを、みんなが敏感に感じ取っています。
一方、私は箸にも棒にも掛からない場所にいて、その状況からトップを目指したとして、実を結ぶのは何年後だろうという思いがありました。
そこで目をつけたのが、おじさん役者です。
通常は20〜30年のキャリアを積んだ上級生が担うポジションだったので、そこを3年目ぐらいで取ったら面白いんじゃないかっていう。
急がば回れというか、ない道を掘って進んだというか、「ここに穴を開けたらあそこ行けそうだぞ!」みたいな感じで。途中から逆ハイというか、「もういっか! 一人ぐらい違っても!」っていう(笑)

だから、組織に認められている人間ではないっていう自覚がずっとあったんです。
でも、こういう自分の過去を知った人からは、「トップではないポジションをつくった」と言ってもらえて。それを周りの方に「面白い」とも言ってもらえました。
自分の道は特殊であり、それを売り出すために必要な自己紹介の一つが「元宝塚」。
それなら、そのことを念頭に置きながら進んでいった方が楽しそうだなと思うようになりました。
「退団後の自分、何を人間一人でやっていこうとしてたんだよ」って今は思います。あの頃の自分、ロックでしたね(笑)
つまずいた時こそ、自分らしさを知るきっかけになる
私の場合、「これはできないな」と思うことが、結果的に自分らしさにつながっていったことに最近気付きました。
つまずいた時こそ、自分らしさを知るきっかけになるというか。
「私は絶対にトップにはなれない」と思ったことがまさにそう。トップになるための努力が足りないことは分かっていたけど、私にはその努力がどうしてもできなかったんです。
みんなが当たり前のように進んでいく道は、私にとっては自分を押し殺さないと行けない道だった。
それでも宝塚には残りたかったから、じゃあどうする? って考えた結果、面白いと思ってもらえたら残れるんじゃないかって。
だから、おじさん役は最初、苦肉の策だったんです。
それなのに、角刈りにしてみよう、もみあげをつけてみよう、おじさんらしい靴を買いに行こう……っていう、その時々のおじさん役を掘り下げる努力は無限にできて。
格好つける役はできなかったけど、おじさん役に関しては「多分これ、私にしかできないな」と思えた。
自分にはかっこいい瞬間を生み出すことはできないと思っていたけど、おじさん役をやるようになって、二枚目とは違う三枚目のかっこよさを知りました。結果、「かっこいい」のジャンルも広がった。
自分の存在によってトップがよりかっこよく見える瞬間があることも分かって、「誰かを立てる」ことをパフォーマンスとして学んだら、そんな自分を「かっこいい」と言ってくれる人も出てきた。
退団してからも、会社で働いたからこそ組織ではなく個人で動く方が向いていると気付けました。
会社員の頃を振り返れば、苦手なことが多すぎて「こんなにできないか……」って泣きそうになりますけど、それに気付いた大きな1年間でしたね。

「会社員時代のダメダメなエピソードが本にまとまっているんですけど、共感してくれる人もいて少し安心しました。議事録を書けないのはこの世に私ただ一人だと思っていたので(笑)」(天真さん)
組織が好きなら歯を食いしばってもいいんじゃない?
今の居場所で花が咲いていない人は、その場所に長く居るか、場所を変えるかの二択かなと思います。
まずは「その場所に居たいのか」を自分に問うといいんじゃないかな。
残るのであれば、鍛錬を積む覚悟が必要なのだと思います。
宝塚で言えば、10年以上在籍していれば、センターではなくとも1列目で踊る機会が一度は与えられます。
そのときに、「この人はただ残ってきたのではなく、宝塚が好きで、技術を蓄えてきたんだな」というのは必ず分かる。それに先生方やファンの方が気付いて、その人の価値が急浮上する瞬間があるんですよ。
ただ、それはかなり限られたことではあるので、その道がダメそうなら私みたいに「こいつ何やってんだ?」っていう、良くも悪くも話題をつくる方に進むやり方もある(笑)
いずれにせよ、その場所が好きで居続けたいのであれば、胸を張って「ここにいました」と言えるように、一定期間は頑張った方がいいんでしょうね。
特に宝塚の場合、タカラジェンヌになること自体のハードルが高いから、元宝塚というだけで広がる道筋があることに辞めてから気付きました。
所属している場所にもよると思いますけど、自分の箔をつけるためにも、組織が好きなら歯を食いしばって試行錯誤するのもいいんじゃないかって思います。

そうやって自分の生きる道を模索してきた宝塚での体験や、退団後の右往左往してきた社会人生活を反すうし、本としてまとめてみたら、「じゃあ次はこうやってみようかな」っていうものが見えてきた気がして。
いまだに選択肢は無限ではあるんですけど、「元タカラジェンヌだから創れる作品を目指す」という、やりたい方向性も見つかりました。
私には、宝塚をもっと遠くまで届けるきっかけになれたらという思いがあります。
宝塚にいた頃、宝塚ファン以外のお客さんが多い公演ほど燃えるところがあったんですよ。というのも、普段の公演とは笑いが起こる場面が違うんです。
宝塚ファンのお客さんはファンゆえに盛り上げてくださっているところもあるでしょうし、逆に初めて宝塚を観た方はノリ方が分からないというのもあるんでしょうね。
そういうときこそ、「ここで笑わせるぞ!」と。
その結果、たどり着いたのがタンバリン芸です。タカラジェンヌだったけれども、どうも芸人魂が燃えてしまう(笑)

でも、宝塚を辞めてから舞台やイベントに出るときに、ほぼ必ず「タンバリン叩いてくれませんか?」って言ってもらえるんですよ。
宝塚の中だけでの隠し芸だったものが、外の世界でも求めてもらえるのはうれしいこと。もっと広げていきたいですね。
他に、最近は脚本や連載など、書く機会を頂くことも増えました。
他の元タカラジェンヌが書くもののほとんどは宝塚ファンの方に向けたものなので、私は宝塚ファン以外の人に届けられるものをつくりたい。
そうやって宝塚に興味がない人を“宝塚沼”の入り口に呼び込むことに関して、自分にしかできないことはたくさんあるのかもと思っています。
書籍情報

『こう見えて元タカラジェンヌです 遅れてきた社会人篇』(左右社)
宝塚歌劇団で「情報量の多いおじさん役」として愛された天真みちる=「たそ」による大人気エッセイ『こう見えて元タカラジェンヌです』に、待望の続編が爆誕!
タカラヅカ退団後二週間で企業に就職して「歌って踊れるサラリーマン」になり、華麗なる歌劇団と一般社会のギャップにおののきながら、慣れない議事録作成、初めての脚本執筆、 演出家への険しい道のりをタンバリン片手に突き進む。
フリーランス転向の決意、ひとりで生きていく覚悟を決めた直後に運命の人とまさかの結婚……そしてフィナーレは、歴代トップスターたちが総出演の『エリザベート ガラ・コンサート』への大抜擢!
地上に降り立った元タカラジェンヌ、右往左往のセカンドキャリア!
取材・文・編集/天野夏海 撮影/赤松洋太
『「私の未来」の見つけ方』の過去記事一覧はこちら
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